3-3

『議会制度を作ろうと思うんだ』


 レンタロウ様がその時語った話は、まるで夢物語のようだった。

 教会の僧侶が中心となった法院と、騎士団が中心となった騎院。

 二つの議院がそれぞれ国政に係る法案や人事を審議し、両院の可決をもって執行する。

 王家と王宮はそれに従い行政を司る府となって、国を動かす。


 つまり、貴族を王族の上に立てようというのだ。


『もちろん、建前上は違うけどね。あくまで王様が貴族たちに立法権を委譲する、っていう体をとる。最初から上手くいくわけもないから、初めは王宮も立法に関与していくけど、徐々にその権能を弱くしていって、最終的には行政権も失くしてく』


 そんなことが可能なのかどうか検討することすらも私には出来なかったが、レンタロウ様が言うには、決して無茶な改革でもないのだという。

 王家の統治から、議会政治への移行。これは彼らの世界でも様々な国で行われた歴史の転換点なのだ。ただ、その多くは貴族たちによる革命という形で行われてきた。ただ単に王家の打倒というモチベーションのみで行われたそれは、それゆえに革命後のヴィジョンが明確でなく、失敗がつきものだったそうだ。


 だが、今回は他ならぬ王家がそれに協力しようというのだ。成功する公算は高い……らしい。


『二、三年で実現するような改革じゃないからね。十数年単位でちょっとずつ進めてくつもり。そしてだからこそ、その頃には王族のお世継ぎなんて大した問題じゃなくなってると思う。なんだったらその段階で僕が偽物だってバラしてもいいし』


 彼が語るその言葉を嚙み砕くのに精一杯で、是非を問う余裕もなかったが、さりげなくさらに爆弾のような発言を零された。


『そうなったら、いよいよ僕らもお役御免かな。あ、死ぬつもりはないよ? 適当に身代わり立てて逃げるつもり。ソノちゃんもシオくんも、いつまでも聖女だ勇者だ言ってられないでしょ。……ああ、でもまだ草案にもなってないくらいのプランだからさ。ソノちゃんとも話詰めないとだし、お世継ぎ問題については他の手も考えてみるよ』


 そんな言葉を最後に、ひとまずその話は切り上げられた。

 それから先は戦争も終盤に向かい、遂にはグリフィンドルの侵攻を完全に退け、戦勝の後のゴタゴタに手一杯になっていたせいで、同じ話を詳しく聞くこともできなかった。

 それでも、私の頭の片隅には常にその時のレンタロウ様の言葉がしこりのように残り続けていた。


『いよいよ僕らもお役御免かな』


 そうだ。

 あの日、ホグズミードの牢獄で、私が死の縁に足を浸していた彼らを無理やり引きずり出したのは、戦争に勝利し私の仲間たちを救うためだった。

 何も契約を交わしたわけではない。だが、私の願いは叶った。そして、将来に亘ってそれを守り続ける算段も立てられようとしているのだ。


 お役御免。


 元より、勝てる見込みのない戦だった。

 のことなんて、考えている余裕はなかった。

 それを、考えなければならない時が来たのだ。



 しかし。

 今はまだ――。



「姫様、騙されてはなりません! この男は本物の国王などではない! この国の民は全員騙されています!!」


 この小さな戦争を、先に終わらせなければならない。


「な、にを……言っているの? あなたは、一体……?」


 グリフィンドル王家第七王女――ハルモニア・ポート・グリフィンドル。

 戦後の人質として王宮の離れに置かれている少女は今、混乱の極みにあった。

 彼女がこちらに来て早一月半。いつものようにアフタヌーンティーを振舞われていたところ、突如現れた騎士たちが目の前で給仕をしていたメイドを取り押さえたのである。


 口角泡を飛ばして激昂するメイド……に扮したグリフィンドルの刺客の前には、王女を背にして守るように立つレンタロウ様がいる。

 私は逆に騎士たちの後ろに立ち、その事態を見守っていた。

 騎士たちがしっかりと刺客を抑え込んでいることを確認し、レンタロウ様が王女へと向き直った。


「ハルモニア嬢。この者は我が王宮に潜り込んでいた、君の国からの刺客だ」

「え?」

「不審な鼠がいることは分かっていたのだが、まさかグリフィンドルがこのような手段を取ってくるとはな……。どうやら賠償金を高く取りすぎたらしい」

「ま、待って、待ってください。ユースタス様! 私は、私は決して、このような……!」


 顔を蒼褪めさせ、狼狽する王女に、レンタロウ様はあえて冷めた表情を向ける。

 それを見て肩を震わせた王女に、刺客が必死の形相で叫んだ。


「姫様! 私はこの二月王宮を探り、この男の不審な動きを洗い出しました! そして分かったのです。この男はとっくに本物のスリザール王とすり替わっている! 真っ赤な偽物だと!」

「何を言っているのですか!?」


 王女が悲痛な声を上げる。

 レンタロウ様はそれを鼻で笑い、刺客へと向き合った。


「ほう。そこまで言うからには確かな証拠があるのだろうな」

「当たり前――」

「いいだろう! おい。手を放してやれ」

「陛下!?」


 ぎょっとした顔の騎士たちを視線一つで黙らせたレンタロウ様に、刺客は一瞬だけ怯んだ顔を見せたが、直ぐに唇を噛みしめると、力を緩めた騎士の腕を振り払い、懐から紙片を取り出した。


「姫様。これをご覧ください」


 その紙には、数本の金髪が包まれていた。

 いや、その根元に、僅かに黒い部分がある。


「この男の寝所から採ったものです。この男は本当は黒髪なのです……! グリフィンドル王家は代々金髪の家系。この男は染料を用いて髪の色を誤魔化している! それだけではない!」


 刺客の女は矢継ぎ早に言葉を繰り出した。


 古参のメイドが言うには、ここのところ夜伽を命じられることが全くなくなったと。戦時中には、戦勝の折には必ず最初に伽を言いつけるからと約束してくれたのに、それを忘れてしまったようだ、と。


 厨房の料理人が言うには、戦争の前後で陛下の味覚が変わったようだと。あれほど偏食が激しく濃い味付けがお好きであったのに、今は調味料を節約するよう命じられるようになった、と。


 近衛騎士が言うには、戦争の間に陛下は人が変わったようだと。近衛騎士の団長の名さえ覚えてくださらなかったのに、今では一般の隊士の名前まで諳んじられるようになった、と。


「姫様。お分かりでしょう。この男は戦争の間に入れ替わったのです。聞けばこの国の勇者と聖女には同じく黒髪の三人目の仲間がいたとのこと。彼らが王宮に入り込むようになってから、その三人目の姿を見かけなくなったそうです。当然だ、その男――レンタロウ・クスノキこそ、今目の前にいるこの男なのだから!!」


 いつしかその場には、王宮内の様々な人間が集っていた。

 官僚。騎士。大臣。メイド。

 その全員が、刺客の女の言葉を聞いていた。


 レンタロウ様は白けたような顔でその言葉を受け止め、そして、刺客に直接言葉を向けられていた王女は、顔を俯かせ、拳を握り、ぶるぶると震えていた。

 一歩、一歩、足を進め、レンタロウ様を通り越し、刺客へと近づいた。

 そのまま、彼女が持ったままの髪の毛を包んだ紙片を手に取り――。


「いい加減にしなさい!!」


 女の頬を打った。


「……な。え……?」

 何が起きたのか分からず放心する女へ、叫び返す。


「この大馬鹿者! お前は自分が何をしたのか分かっているのですか!?」

「ひ、ひめさま……?」

「この方の金髪が偽物……? !!」

「な!?」


 王女の目には涙が浮かび、声は震えていた。

 それでも、彼女は自分の味方であるはずの刺客へ向け、怒気も露わに言葉を吐いた。


「この方は、私に自らの出自を教えてくださいました。自分は正室の子ではないのだと。それどころか、父上が戯れに手籠めにした娼婦の腹から生まれた子供だと。その女はこの国でも珍しい黒髪ダーク・ヘアで、自分の髪色も生まれつき夜闇のような漆黒だった。幼い頃よりそれを隠すために髪の毛を染色していたと」

「な……え? そん、そんなはずは――」

「あなたに何が分かるのですか!? この方は幼い頃より兄君たちに迫害されていました。誰もそれを援けてくれなかった。王家に生まれながら、母親の違いで不当に扱われるものの気持ちがお前に分かるというのですか!?」


 そう。

 そんな設定ストーリーを、レンタロウ様はとっくに用意していたのだ。


「夜伽をお命じにならない……? 誰ですか、そのような痴れ事をのたまったメイドは。名乗り出なさい! ユースタス様は、……この方は、もう望んでもお子を授かれぬのです!」

「は!?」

「我が国の勇者がこの都に攻め入った折、自ら戦場にたって騎士たちを鼓舞したこの方は、臣下を庇って大きな傷を負いました。その後遺症で、もうお子を望めぬようになってしまわれたのです……! 一体我が国の兄や姉たちの誰に同じ真似ができますか!? それを、それをお前は……!」


 そうだった。そんな設定も作っていた。

 よくもまあ上手いことを考え着くものだと、今更ながらに感心してしまう。


 ちなみに、そんなことを言ったメイド、とは変装したレンタロウ様だ。

 陛下の食の好みなどをばらした厨房の料理人もレンタロウ様だし、陛下を品定めするような言葉を漏らした騎士の男もレンタロウ様だ。

 さらに言うなら、わざと数日染髪を怠り、根元に黒い部分を残した抜け毛を作ったのもレンタロウ様の策だった。

 

「ユースタス様は私に教えてくださいました。自分は生来人の顔と名前を覚えるのが不得手だと。しかし、自分の身を護る近衛騎士を蔑ろにするわけにはいかないと、毎日毎夜彼らの名前を記したノートを確かめ、決して忘れぬようにしているのだ、と。そんな、そんな、臣下を思いやる、お優しい心の持ち主に、お前は、何ということを!」


 冷静に考えれば、女の主張が決して的外れでないことに気づくものもいるだろう。

 まるで誂えたかのように女が集めた証拠の反証が繰り出されるこの問答に疑問を持つものもいるだろう。


 だが、ここはスリザールの王宮。

 異世界より忍び込んだ稀代の詐欺師の根城。

 そこに住まうもの誰一人として、彼の洗脳を受けていないものなどいない。

 ましてや一月半もの間、念入りに洗脳甘やかされた王女もまた、彼の言葉を疑うことなどありえなかった。


 四方八方から浴びせられる、憎悪、嘲笑、呆れ返った視線。徐々に絶望に染まりゆく女の顔が、恐怖に凍り付いていく。

 その震える唇が、掠れるような声で言葉を紡いだ。


「……お前は、詐欺師だ」

「まだ言うか!」

「悪魔……。いや。悪魔だ。悪魔め。……悪魔め! 呪われろ! 地獄に落ちろ! いつかその首切り落としてくれる! 断頭台がお前を待っているぞ! 呪われろ! 呪われろ! のごっ――」


 騎士の一人によって頭を強打された女が地に沈む。

 その体が王宮の深部へと連れ去られていくのを見届けながら、レンタロウ様がぽつりと呟いた。


「呪いなら、生まれたときから共にあるさ」


 その場に集まったものたちのざわめきに隠されたその言葉を拾ったものは、きっといなかっただろう。

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