3.悪名高い隣国の王様が私だけを甘やかしてくれるって本当ですか?

3-1

《とある王女の受難(?)》 



 稀代の愚王。

 放埓の化身。

 その王宮は腐敗と淫蕩の坩堝。


 それが一転、救国の英雄王だ。


「姫様。どうかご辛抱を。必ずや。必ずや御身をお救いにあがりますゆえ」

「ええ。待ってるわ」


 帝国スリザールの国王――ユースタス・サラザ・スリザールの元に人質として送られることが決まったのは、私が十五の誕生日を迎えた、僅か半月後の話だった。


 皇国グリフィンドル第七王女――ハルモニア・ポート・グリフィンドル。

 その肩書が、今ほど憎らしく思ったことはない。

 どの道、皇位継承とは程遠い立場だ。政争の具にされることに今更逆らおうなどとは思わない。私が今まで許されてきた王族としての暮らしは、この時のために供されたものなのだから。


 それでも、まさか。

 母国が戦争に敗れた上、その賠償金のイロとして差し出されることになるなんて。

 こんな屈辱があるか。

 それが決まってから私のもとを訪れてきた姉上たちのあの顔ときたら!

 ああ可哀そうにと猫撫で声で慰めるその掌の向こうで、ああ私でなくて良かったと、あれほど雄弁に目で語られては姉妹の絆などあったものではない。


 だが、では私が逆の立場であったとして、彼女たちと同じ目をせずにいられるかは自信がなかった。

 相手は淫蕩の愚王。その伏魔殿。

 そんな場所に敗戦国からの人質として送られ、どんな目に合うかなど、想像するまでもない。 


「すまぬ。ハルモニア。全てはあの異界の勇者などに信を置いた余の不徳よ」


 しれっと平民に責任転嫁をする皇帝陛下お父さまにも、ほとほと愛想が尽きた。

 よく言ったものだ。あのひょろひょろとした軟弱な男にこの国の命運を預けようなどということがそもそもの間違い。

 一年前にあの男が戦死したとの報を聞いたとき、そんな馬鹿なと狼狽する陛下や大臣たちを、私は既に白い目で見ていた。それ見たことか、と。


 そして二月前、とうとう最後の会戦で大敗を喫した我が国は、この大陸の歴史に大きく残るであろう屈辱と汚名を着せられることになった。

 

 出立の日、私に与えられた屋敷には啜り泣きと嗚咽の声が充満していた。

 おいたわしや、おいたわしやと、今日まで私の身の回りの世話を焼いてくれた侍従や乳母たちが、私を見送ってくれた。


「どうか。どうか今しばらくのご辛抱を」

「大丈夫よ。分かってる。私だって王女だもの。自分のやるべきことは分かってるわ」

「ああ。姫様……」


 そうだ。

 私にできることは絶望に項垂れて涙を流すことではない。

 救国の英雄王?

 馬鹿な。数年前まで稀代の愚王と蔑まれてきた人間がそう簡単に変われるものか。

 化けの皮を剥がしてその下劣な本性をむき出しにさせてやる。

 そして、この身を賭してその獣心を飼い慣らし、わが国の利に資するよう調教する。


 私を捨てた王家になど未練はない。

 けど、今まで私を育んでくれた屋敷の家族と、領民の暮らしが毀損されることだけは許さない。

 

 見ていろ、愚王。


 グリフィンドルが敗れても、私の心は絶対に屈したりしない!!





 ……。

 …………

 そう思っていた時期が、私にもありました。



「ハルモニア嬢。なにか不足しているものはないか」

「ないわよ!!」


 私は今、異国の王宮の離れにて、自国でもされたことがないような甘やかされ生活を送っていた。


 私には兄が四人、姉が六人いるが、物心ついたときには側室である母は亡くなっており、周りにいたのは使用人だけだった。私に与えられたのは、王族としての教育と、将来嫁がされるときのための淑女教育のみ。辛いと思ったことはあったが、思ったところでどうにもならないことは早々に悟った。

 私の屋敷に分配された予算は多くはない。筆頭公爵家に嫁ぐことが決まっているグレンダ姉様の屋敷に連れていかれたときはその落差に愕然としたものだった。

 だが――。


「夜は寒くないか? グリフィンドルと帝都では気候も違うだろう」

「お気遣いなく! 体は丈夫なの!」

「なんだ、やはり寒いのではないか。新しい寝具を手配させよう。ああ、そうだ。ここの食事には慣れたか? 苦手なものがあれば遠慮なく――」

「あああもう!!」


 これだ。

 くすんだ金髪を丁寧に編み込み、お父様にも向けられたことがないような甘い微笑みを浮かべてくる男。

 この退廃の国の国王が、今日も私を甘やかしにくる。


 もう春だというのに、確かにこの国の夜は寒い。だが、入国初日に与えられた自室にはこれでもかというほど羽毛を詰め込んだ寝具が積まれ、夜気を辛く感じたことは一度もない。

 なんなら戦争中の緊縮財政期間の自分の屋敷の方が寒かったくらいだ。

 そして、決して贅沢ではないが、しっかりした量と味付けの食事にも不満などない。そもそも食の好みなんて自分の屋敷にいた頃には聞かれたこともない。出されたものは全て食べることが当たり前で、好き嫌いなどは言わせてもらえなかった。


 一日の大半に詰め込まれていた淑女教育も王族教育もなくなり、暇を持て余してやいないかと使用人たちや国王自らが繁く足を運んでは勝手に話相手になってくる。かと思えば気疲れしてやいないかと一人の時間もしっかり用意してくれる。

 その采配を振るうのも国王自らだというのだから恐ろしい。あれほど風にも聞こえた放蕩ぶりなどは微塵も感じさせず、常に清潔で威厳に満ちた姿で私を甘やかしてくるのだ。


 不足してるもの?

 あるわけがない。むしろ有り余っている。

 具体的に言うと、この数日で明らかに増えたお腹の肉が余っている。


「陛下~。ハル様ったら、いっつも美味しそうにお食事を召し上がるんですよ~。私たちにも気をかけてくれるし、教養もあるし、本物のお姫様ってこういう感じなんですね~。正直前に来たシュタイン家の令嬢のほうがよっぽど手が――」

「イヴリン。日頃のお前の働きには報いてやりたいが、今日は少し口が滑らかすぎるようだな」

「す、すみません~」


 それに加えて、このメイドたち。

 一体なんなのだろう。とても正規の使用人教育を受けているとは思えない。まるでその辺の町娘を捕まえてメイド服を着せてるだけではないか。

 だが、敵国の王女である私に物怖じするでもなく、敵意を向けるでもなく、まるで親戚の子供であるかのように接するその態度には、正直言って助けられていた。いつの間にか『ハル様』などという愛称までつけられて……。


 こんなことは、完全に予想外だった。

 ここに来るまで、一体どんな粗末な暮らしを強いられるのだろうと、どんな嫌がらせを受けるのだろうと、心の中は不安で一杯だった。道中だって、涙を堪えるのに必死だった。屋敷を出るとき、表情を崩さずにいられていたかどうかも自信がない。


 だって、今回の戦争の非は明らかにグリフィンドルこちらにあるのだ。

 一方的に仕掛けた侵略戦争で、お為ごかしに掲げられた大義にも、真実など欠片も存在しない。一体この国の民がどれほど犠牲になったことか。どれほどの兵士たちが命を散らしたことか。彼らの家族たちが、どれほどの涙を流したことか。


 それが、この下にも置かない歓待ぶり。

 流石に気味が悪くなって、一度だけメイドの一人を捕まえて聞いたことがある。

 なぜこんなにも私に良くしてくれるのかと。


『そりゃあ戦争は嫌ですよぅ。私の故郷も焼かれちゃいましたし。けど、ハル様が来る前、陛下が王宮の人間全員に直々にお話しくださったんです。ハル様は故郷でも平民たちの暮らしに心を砕く優しくて聡明な王女様だって。今回、下らない政治の道具として私たちの国に寄こされるだけで、ハル様に一切の非はない。戦争の恨みつらみを忘れる必要はないけど、それをハル様に向けることは許さないって』


 なんだ、それは。

 それがかつて他国にまで知れ渡った愚王の言葉だというのか。

 上っ面だけの綺麗ごとではない。人質とはいえ他国の王族なのだ。それに対する待遇としては非の打ち所もなく、そんな扱いをしてもらった以上、私個人としてスリザールに敵意を抱くことなど許されない。つまり、今後の戦火の芽を摘む目的もあるのだ。

 理と義によって説かれた、正しき道。

 グリフィンドル王家の人間のうち、誰か一人でもこんな言葉が吐けるものがいるだろうか。


 さらに――。


『ハルモニア嬢。君の家の領地経営の話が聞きたいのだが』

『なるほど。流石だな。君くらいの年の頃、俺はそんなことを考えもしなかった』

『これはリラックス効果のあるハーブで作ったポプリだそうだ。寝る時に使ってみるといい』

『城下町の商会から甘味が献上されてな。君の分も持ってきたぞ』


 やめろ。

 今まで家族の誰にも認めてもらえなかった私の努力を誉めるな。

 甘味なんて月に一度の贅沢だったんだぞ。そんなに頻繁に持ってくるな。


「そうだ。この甘味は君の故郷で生まれたそうだな。アンコを使ったものなんだが……」

「アンコ!?」


 数年前に勇者と聖女の入れ知恵で開発されたっていう、あの珍味!?

 姉様たちが買い占めたせいで私の所には一度だけしか回ってこなかった、あのアンコ!?


「どうやら気を引けたようだ。イヴリン。茶の用意を」

「かしこまりました~」

「ふぐぅ」


 心が。


 私の、心が折れる……!!

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