2-3

「まったく、羨ましい話だぜ。こっちは家族全員亡くして、死に目見みながらようやく辿り着いた田舎の山奥でどうにかこうにかせせこましく暮らしてるってのによぅ。あのクソ野郎。こんな別嬪掴まえて都暮らしとはな」


 そう言いながら、薄汚れた指先が赤黒い泥を私の両頬に擦り付けた。

 思わず顔を顰めてしまったが、「拭うんじゃねえぞ、あの野郎に見せつけてやりな」と脅しの言葉を吐きつけられる。


 帝都の路地裏から一刻ほども歩かされただろうか。

 そこは、半年ほど前にミソノ様が陥れた貴族家の廃屋敷だった。

 場所としては中心部から大きく離れた場所にある。どうやら後ろ暗い連中の隠れ家にはもってこいであったらしい。

 確かに、この屋敷の中で何が起きようと、何の騒ぎにもなるまい。


 小さな中庭で、私は後ろ手に拘束されたまま椅子に繋がれていた。

 背後にはここまで私を連れてきた中年の男。

 その他、大勢の人間の気配。


「やあ、そいつが例の女かい。ふん。気味の悪い髪だねぇ」


 そう言って近づいてきたのは、その内の一人、私と同年代と思しき女性だった。

「やっかみか?」

「なんだって?」

 私の背後の男と険しい視線を交し合う。

「ちっ。もう絆されたのかい? これだから山賊崩れは……」

「安心しな。山賊は仲間を裏切らねえ」

「どうだか」


 苛立たし気に私を見る女は、それでもなんとか表情を繕うと、口元を歪めて私の髪を掴み上げ、唾を吐きつけてきた。


「なに澄まし顔してんだい? あんた、まさか自分は人質だから丁重に扱われるとでも? あんたは只の餌だ。勇者とやらを誘き寄せれりゃ後は用済み。せいぜい楽に死ねるように祈っとくんだね」

「はあ」

「ちっ。もう気が触れちまったのかい? 面倒だねぇ」

「いえ。なんというか……。一応聞いておきますが、誘き寄せたはどうなさるおつもりで?」

「くはっ。おいおい。なんだ、王宮勤めのメイドってのはこんな木偶の坊でも務まるのかい? ここがパーティー会場で、これから舞踏会でも始めるように見えるってか? そりゃとんだサプライズだ」

「いえ。それだけはやめたほうがいいでしょう」

「噛み合わないやつだねぇ……!」


 いや、全く。仰る通り。

 勇者ウシオ様という存在についての認識がここまで食い違っていると、こうまで話が噛み合わなくなるものなのか。


「言っとくが、ここにいるのは私がよりをかけて集めた精鋭たちばっかりだ。こっちの国じゃあお目にかかることもできない魔道具もたんまり用意してある。勇者とやらがどれだけ強かろうと、所詮は人間一人。お気の毒だねぇ。今頃は私らの用意した案内で、一人でのこのこ向かってきてるだろうよ」


 興が乗ってきたらしい彼女は、嬉々として今日までの苦労自慢を披露してきた。

 彼女としては、勇者と騎士団長を対立させて我が国の軍事力を衰微させるのが目的だったのだろう。そのためにあれやこれやと根回しし、ウシオ様には細々とした嫌がらせを行い、怒りの矛先を騎士団長側に向けようとしていたらしい。

 

 その第二段階が、今日のか。

 恐らくここでウシオ様を害した後で、今度はアイザックス派の人間に罪を擦り付ける算段なのだろう。

 いやはや。

 なんというか……。

 私は徒労感と共に軽くため息を零すと、薄ら暗い笑みを浮かべる女に改めて視線を向けた。


「言いたいことは色々とありますが、一つだけ実利のある話をしましょうか」

「あん? なんだい、交渉でもしようってのかい? いいねえ、あんたがその体使ってどんな交渉するのか見せてもら――」

「いえ。あなた先ほど、『今頃こちらに向かってるだろう』と、そんなことを言っていましたが」

「なんだい」

「それはあまりに悠長すぎるかと」


 ひゅう。


 と、夕暮れの空に風切り音が聞こえた。

 一瞬の後、中庭になにか大きな塊が落下し、衝撃音とともに砂煙を舞い上げた。


「な、なんだ!?」

「どっから飛んできやがった!?」

「お、おい、これ!」


 女とその仲間たちが飛来物を確かめると、それは果たして、潰れた果実のようになった人間の体だった。

 混乱するその場に、正門の方から悲鳴が聞こえた。

 断続的に聞こえるその悲鳴が、徐々に近づいてくる。

 その度に聞こえる、骨の砕ける音。肉の潰れる音。

 そして。

 全員の目が釘付けになる。

 砂煙を巻いて、血の匂いを振りまいて現れた、半裸の大男。


 救国の勇者の姿に。



「よお。パーティー会場はここか?」 


 

 その凄絶な笑みに、その場の全員が凍り付いた。

 ウシオ様はぐるりと中庭を見渡し、椅子に繋がれ座ったままの私と目線を合わせた。

「おう。サっ子。なんだ、今日はパンクだな」

「すみません。日暮れまでには王宮に帰りたいのですが」

「あいよ」


「なめてんのかてめえ!!」

 そのやり取りで、ようやくならず者たちの一人が息を吹き返した。

 図らずもその会話によって、人質わたしの存在を思い出したらしい。

 しかし――。


「おいおいおい。勇者さま。なに余裕ぶってんだ!? 見えてんだろうが。あのメイド傷物にされたくなかったら大人しく――」

「アックス! ボンバー!!」

「ぐえぼっ」


 顎をカチ上げられた若い男の体が空中で一回転半して、頭から地面に叩きつけられた。


「な、あ――」

「てめえ何しやがぼっ」「ひぃ」「待て! 待でゅ」「お前ら囲め!」「ぎゃん」「魔道具は!」「急げ」「なにやってんだ!」「おい人質はどうした!?」


 あれは、確かプロレスとかいう動きだったか。

 そういえば、初めて彼の戦闘を見た時もこんな状況だったと、不意に懐かしい気持ちにさせられた。

 向かってくる男たちを嬉々として投げ飛ばし、締め落とし、踏み砕く。

 耳元まで吊り上がりそうな獰猛な笑みを浮かべた彼の姿は、予想通りに、いつも通りのウシオ様であった。 


 そこから先のことは、細かく語るまでもないだろう。

 一応後々記録に残せるよう数だけは記憶しておいたので、それだけ伝えよう。


 敵兵五十七名。

 内魔術師五名。

 未確認の魔道具二十挺。

 壊滅に要した時間は、およそ五分ほどだった。


 彼らが一体どれほどの時間をかけて今日この日のために準備をしていたのかは分からないが、まあ終わるときはこんなものだ。

 そもそも、彼らは準備の段階からいくつもの間違いを犯していた。


 まず誘い出す方法がまだるっこしい。

 ウシオ様を袋叩きにしたいなら正直にこう伝えればいいのだ。

『本日午後、こちらの指定する場所までお越しください。あなたに喧嘩を挑もうと思います』と。


 用意する戦力も百倍ほど足りない。

 よりをかけた精鋭?

 あの程度で怪我の一つでも負っては、それこそ本物の勇者に示しがつかないだろう。


 そして、この数日でウシオ様に向けた稚拙な嫌がらせ。

 獲物を横取り?

 食事と睡眠を妨害?

 全く、くだらない。

 そんなもの、ウシオ様は何一つ意に介したりなどしない。


 泥付きの肉くらい彼は普通に食べる。

 布切れ一枚あれば彼はどこででも寝れる。

 獲物を横取りされたなら、自分の筋肉が足りなかったとトレーニングメニューを見直すだろう。


 彼は弱者を顧みない。


 そんなことは、少し彼に詳しいものなら誰にでもわかることだ。

 具体的に言うと、この場においては、私ともう一人――。



「おう。頭領。久しぶりだな」

「けっ。二度と会いたくなかったぜ」



 私の背後に立ち続け、私の身を守っていた、この男だ。



「あ、あんたらグルだったのか!?」


 わなわなと震える声で、先ほど私に絡んできた女が叫んだ。

 彼女の足元には物言わぬ体となった大量の仲間たちが転がっている。


「そんな馬鹿な。あんたの素性は調べあげた。帝都に来てからだって、一度も勇者に接触なんて……」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ。誰がこんな野郎と仲良くするかよ」

「かかっ。顔見るのも随分久しぶりだな」

「まさかまだ生きてやがったとはな。おまけに『勇者』ウシオだ? 吐き気がすらぁ」

「それについちゃ俺も同意だ」

「けっ。てめえ、自分が望んだ死に方できると思うなよ。予言してやるぜ。お前は自分より強い相手になんぞ巡り合えねえ。お前より遥かに弱い雑兵に群がられて、引きずられて、摺り潰されて死ぬだろうよ」

「おう。覚えとくぜ」


 その言葉の端々に憎しみと苛立ちを滲ませる中年男は、確かにウシオ様と懇意にしているようには見えない。女はただ混乱するばかりのようだった。


「な、なんなんだ、あんた。ならなんでその女を守った!? いや、どうしてそいつが女を守ると分かった!?」

「覚えとけ、クソアマ。山賊は家族なかまを傷つけねえ」


 そう言って、男が私の頬を指でなぞった。

 ウシオ様がそれを見てにやりと笑う。


「その頬化粧も久しぶりに見たぜ。仲間の連中はみんな付けてたっけな。だからサっ子の後ろに頭領そいつがいるのを見て、ああ、こりゃ気兼ねしなくていいってことかと、派手に暴れられてたっつうわけだ」

「な。あ……。嘘だろ。そんな、咄嗟にそんな――」


 これもまた誤解されがちだが、ウシオ様は別に知能が低いわけではない。記憶力や機転についてはむしろ常人より優れているくらいなのだ。

 ただ、彼がそれを使うのが鍛錬と戦闘だけという話なのである。


 どうやら害される虞はないらしいと判断した私が、袖に仕込んでいた隠しナイフで拘束を解くと、今まさに大鉈でそれをやろうとしていた男が気まずそうに頬をかき、改めて女に向き合った。


「なあ、あんた。一体俺とウシオこいつの何を調べたか知んねえがよ。俺はあんたの計画を聞いて直ぐに分かったよ。そんなもんでこいつに勝てるわけがねえ。協力するだけ無駄だってな。あんたの策が上手くいきそうなら別に協力してやってもよかったし、あんたがこっちの話に聞く耳持ってそうなら止めてやってもよかったんだ。けどあんた、どっちでもなかった」

「ふ、ふざけやがって……!」

「言っただろ。俺は山奥でスローライフを送るのさ。この嬢ちゃんに恩着せておきゃ、便宜の一つくらい図ってくれるだろうよ」

「サっ子、一応一人は生かしておいたけど、どうする?」

「お気遣いありがとうございます」

「ふざけやがってぇえええ!!!」


 野太い絶叫とともに、女が私に突進してきた。

 その掌中には鈍く光る短剣が握られている。

 せめて私だけでも、といったところだろうか。


 私は。

 素早く半身を引いてロングスカートを翻し。

 ガーターベルトに装着していた飛竜の短剣を、鞘ごと引き抜いた。

 突き出された相手の短剣を横殴りにして弾き飛ばし、その振り戻しの腕を相手の首に絡め、自分の体を軸に半周引きずり回して転げ倒す。


 立ち上がろうとする女の膝を、横から踏み砕いた。


 再び絶叫。

 今度は苦悶の声。

 

「あ……が。くぞ……。なんで、なんで、こんな……」


 気道を痛めたところに叫び声を絞り出したせいで、完全に喉をおかしくしたらしい。体中に激痛が走っているのだろう。どこを抑えればいいかも分からず悶絶してうずくまる女を、見下ろした。


 やれやれ。なんでこんなことに、か。


「筋肉が足りなかったのでは?」


 ウシオ様が爆笑し、山賊の元頭領が、青い顔で私を見つめていた。

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