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 篠森潮ウシオ・シノモリは脳筋である。


 今でこそ救国の勇者と称えられ、吟遊詩人にも高らかに歌われ、既に彼のいさおしを讃える戯曲も作られるほど民衆からの人気も篤いが、この帝都に来たばかりの彼を知るものならば、皆が承知している。

 彼の頭の中を占めるのは、自らの体を鍛えることと、自分より強い敵と戦うこと。

 他者を顧みず、弱者を顧みず、ただひたすらに己の道を往く。

 それが彼の本質であり、正体なのだ。




「ウシオ様が狙われている?」


 そんな話を私に聞かせてきたのは、すっかり顔馴染みとなった傭兵組合の番頭だ。

 とある昼下がりの組合本所で、最近の下町の様子について聞いていた折のことだった。

 初めは、ここの所他国からの流れ者が目に見えて増えていると、そんな話題であった。こちらでも先日、転がり込んできたハーフルバフの冒険者に傭兵の流儀を叩き込んでいたところ、彼らは物別れしたはずの仲間と再会し、そのまま帝都から逃げ出してしまったのだという。

 恩知らずな、と呆れる気持ちもありはすれど、その彼らに『仲間を大切にせよ』と説いた手前、その選択を無碍にもできないと、傭兵たちから愚痴を聞いていたところだった。


 その因果関係に大いに心当たりがあった私としてはなんとも言及し難い。

 やはりいくら優秀な人材とはいえ、それまで縁もゆかりもなかったものをいきなりミソノ様の元で働かせるのは無理があったのだろう。

 …………何故か私との会話を最後に逃げ出していったような気もするが。


 ともあれ、そんな近況報告の延長線上で、ここ数日ウシオ様の近辺で妙な動きが見え隠れしているらしいと、そんな話題が出たのであった。


「どうやら本気でタマぁ狙ってるみたいだな」

「それは…………お気の毒に」


 努力が徒労に終わるというのは、誰にとっても辛いことだ。

 まあ、こちらとしてはウシオ様のいいにでもなってくれればいい。

 例によって、先方に生き延びる程度の腕があるならばこちらに勧誘するのも手だろう。


メイド長あんたも大概、連中に毒されてきたなぁ」

「はい?」

「ああ、いやいや。なんでもねえよ。それより、そう単純な話でもねえんだ。どんだけの規模で動いてんのか知らねえが、ウシオ相手に正面なり背後なりから殴り掛かるほど馬鹿でもねえらしいぜ」

「と、言いますと?」

王宮おたくんとこの総団長さ」

「あああ……」


 そこで出てきた名前に、私は思わず瞑目してしまった。

 帝国騎士団長総団長――ルシウス・アイザックス。伝統あるアイザックス公爵家の当主でもある男だった。


「もう市井の連中でも噂してるぜ。戦争中、あんだけミソノとウシオが大暴れ――ああ、世間的には大活躍っつうのか?――してんのに、肝心要の帝国騎士団は何してたんだ、ってよ」


 この国は、戦時中よりも平和なときのほうが危険。

 全く、こんな陳腐な言葉をどれだけ引っ張らせるつもりなのか、確かに今、帝国騎士団の在り方について総団長は窮地に立たされつつある。

 彼もまた伏魔殿たる王宮内で現在の地位を築き上げた傑物ではあるが、この戦争中に王宮内の勢力は大きく塗り替えられてしまった。旗色は、いいとは言えなかった。


 先日軍縮を訴え帝都から追放されたグリフィス伯爵も、反アイザックス派の一角であったのだ。ミソノ様やレンタロウ様にとっては、戦時中なにかと協力体制を敷いていたルシウスに総団長を続投させたほうが諸々都合がいいが、教会の顔役たる聖女が騎士団総団長と表立って友誼を結ぶこともまた、勢力図のバランスを見るに問題があるとして、現在は慎重な姿勢を貫いている。


 そしてそこに勇者ウシオ様を絡めてしまえば話はさらにややこしい。

 ウシオ様がそんな神輿に乗ることなどあり得ないと、当然承知しているものとそうでないものがいる。客観的に見て反アイザックス派にとっては絶好の旗印であることは確かだ。

 どうやらそんな事情のごたごたに紛れて、ウシオ様に直接刃を向けている連中がいると、そういう話であるらしかった。


「俺だってウシオの身のこたぁ何も心配してねぇがよ。連中、ウシオが一番嫌いなやり方で喧嘩売るつもりらしいからなぁ。言っとくが、あいつがマジギレしたとこなんざ俺は見たくねえぜ? ま、せいぜい気をつけといてくれよ」


 そんなものは私だって見たくない。

 できれば敵方のアジトが郊外にあってくれればいいがと、私が復興中の町の様子を想い相槌を打つと、傭兵たちは彼らなりに仕入れた情報をいくつか提供してくれた。


 そういえば先日、ウシオ様が魔獣狩りに出た際に獲物を横取りされたとの報告を聞いていたのだが、どうやらそれも今回の件の一環であったらしい。

 ウシオ様が仕留める寸前まで追い詰めた獲物を横から止めだけ刺してきた男がいたのだとか。私が聞いていたのは一件だけだったのだが、実際は他にも二件同様の妨害行為があったのだという。


 他にも、彼の食事に泥を引っ掛けるだの、寝床を水浸しにするだの、地味と言えば地味だが確実に神経を消耗させる方法で嫌がらせを行っているらしい。下手人はその都度捕まえたり逃げられたりしているのだが、ここ数日で増えた他国からの流れ者に金を握らせて使い走らせているらしく、碌な情報も搾り取れなかったそうだ。

 だが、ここぞとばかりに反アイザックス派の連中がウシオ様に擦り寄り、これは総団長からの嫌がらせに違いないと、彼を焚きつけようとしているのだとか。


 その後いくつかの有益な情報提供を受けると、念のため彼ら自身も身辺には気を使ってもらうよう注意し、私は組合を後にした。

 日も傾きかけた往来を歩みながら、どうしたものか、と思案する。

 ミソノ様に相談してみるべきだろうか。

 それとも、ウシオ様に直接話を聞くのが先か。


 取りあえず午後の予定を切り上げて王宮に戻ろうかと、そこまで決めたところで、ふと、視界の端にぼろきれを纏った小児の姿を捉えた。

 ボトル・ベビーだろうか。やけにふらふらと覚束ない足取りであったのが気になり、私は彼の後を追い、路地裏に足を踏み入れた。

 

 姿が見えない。


 そこまで距離は離れていなかったはずだが、と訝しむのも束の間。

 私の背後に、影が立った。


「おう。あんたがウシオのクソ野郎が懇意にしてるっつうメイドか?」


 野太い声が、背中に投げかけられる。

 咄嗟に振り向いた私の喉元に、肉厚の大鉈。

 それを握るのは、骨の太い身体に荒みきった肌を乗せた、中年の男だった。

 立ち姿だけで、その辺りのゴロツキとはが違うと思い知らされる。

 その顔立ちを、先ほど仕入れたばかりの情報と照らし合わせる。

 なるほど。この男が……。


「悪いな。ちょいと付き合ってもらおうか」


 …………なるほど。

 なるほどなるほど。

 これはどうやら、人質にされる流れのようだ。


 そうか。そうくるか……。

 私はなんとも言えない気持ちのまま、困惑しながらも、これだけは確認しなければということを聞いておいた。


「どちらまで?」


 私の無感動な声に僅かに意表を突かれたか、髭をたっぷりと蓄えた口元を歪めた男が、それでも余裕な態度を崩さずに答える。


「ふん。その澄ました顔が捩れるくれえ悲鳴を上げても、誰にも聞こえねえくらいの場所までさ」


 それは助かります。

 素直にそう思った言葉が口をつきそうになったのは、辛うじて堪えることができたのだった。

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