6.汝は王様なりや?

6-1

 帝都の門が突破されたとの報が王宮にもたらされた時、たっぷり五秒程は沈黙が流れた。


「教会に伝令!」


 それを破ったミソノ様の声が堰を切り、次の一瞬でパニックが起きる。

「状況は火急! 1から5の工程フェイズは飛ばして! 司祭でも下っ端でも何でもいいから全員で帝都全域に『聖域』の準備!」

「ぜ、全員ですか!? しかし聖女さま、戦闘の補助を――」

「いいから言うとおりに伝令しなさい! 持ち場離れた奴は後から毒殺してやるから覚悟しろ!!」

「ひっ――」


 蒼褪めた顔で伝令の聖職者が駆け出していく。

 その頃には、周囲は呆然とするものと右往左往するものとで二種類に分かれた人間しかいなかった。

 かく言う私とて、ミソノ様に背中をどつかれるまでその場に立ち尽くしてしまっていた。


「サク! あんたまで何ボケっと突っ立ってんの!」

「ミ、ミソノ様。これは、いったい――」

「落ち着きなさい。敵は多分佐藤勇一人よ」

「は? な、なぜ分かるのですか」

「いくらなんだって軍隊の進行をここまで察知できないわけがない。あのクソ野郎が一人で飛んできたんでしょ。なんのつもりか知らないけど、舐めた真似しやがって……」


 そこには、明確な焦りの色があった。

 彼女の予測がここまで外れることもまた珍しい。今、この国が過去最大級の危機に瀕していることをようやく意識し、膝が震えた。


「伝令役三人ついて来なさい。現場に出るわ。おい総団長! 指揮権寄こしなさい!」

「許可しよう。頼む、聖女殿」

「あんたらは住民の避難! 王宮の庭を開放しなさい!」

「し、しかし、そんなことをしては――」

「食糧庫と宝物殿には絶対に近づかせないで。総団長と近衛師団に任せる。あくまでも住民の安全が最優先よ。その代わり、市街地の被害は諦めてもらうわ。最悪三区画くらい更地にするからそのつもりでね」

「な!?」

「分かったらさっさと住民避難させろ!!」


 また数人、青い顔をした騎士が飛び出していく。

 そして、まだ狼狽えたままのメイドや官僚たちに気づき、私は意識して一度唾を飲み、腹の底に力を込めた。


「通常業務は全て停止します。メイドたちは怪我人に備えて医薬品の準備。マニュアルは頭に入ってますね? 文官たちは各地に伝令の準備を。裏門を開放します。ゴドリックへの伝令が最優先。他の砦の戦力は絶対に動かさないように。それから――」

「め、メイド長。我々は何を――」

「邪魔にならない場所で固まっててください」


 流石にこの状況で大臣たちにできることなど何もない。彼らに構ってる余裕もない。

 私はミソノ様の背を追いながら方々に指示を出し、騎士の駆る馬の後ろに乗って現場に向かった。

 並走する馬に乗ったミソノ様が瞬きもせずに俯き、何ごとかをひたすら呟いている。前に乗った騎士の顔が蒼白だった。

 王宮前の広場には既に住人たちが押し寄せている。

 困惑。不安。恐怖。怒り。様々な顔の人々は、しかし、一体何が起きているのか正しく理解できているものなど一人もいないだろう。


 私の脳裏に、この町の知人たちの顔が次々に思い浮かぶ。本当は彼ら一人一人に避難を呼びかけたいが、それは私がしていいことではない。

 前々から聞いていた対勇者用の戦略と戦術を思い起こし、それを実現するシミュレーションを頭の中で組み立てる。

 だが、できるのか?

 今、この町にウシオ様はいないのだ。

 一体、誰があの規格外の怪物を足止めなどできる?


 だが、そんな私の懊悩は、大通りの真ん中に集まった集団から抜け出してきた壮年の騎士の悲鳴によって消し去られた。


「メイド長! 聖女様! お助けください! 陛下が! 国王陛下が!!」


 …………は?


 レンタロウ様?

 彼ならばまだ王宮に――いや、違う。伝令役の騎士に紛れて私たちに着いてきている。その彼が、怪訝そうに人だかりの中を覗き込み、息を呑んだ。


「陛下が、敵の刃に貫かれ……! 癒術も効かず……! 万能薬エリクシルを! どうか王宮のエリクシルを! このままでは、このままでは――」


 思わず窺い見たミソノ様の目が、大きく見開かれていた。

「嘘でしょ……」と、小さな声が。

 その視線の先には、血の海の中に横たわる一人の男の姿があった。


 あれは、誰だ?

 なぜあの平民のような男が陛下と呼ばれている?


 一瞬で脳裏に過ったその解答を即座に否定する。

 だって。

 だって、そんなはずがない。

 こんな所にいるはずがない。

 今の姿を見て兵士たちが国王陛下だなどと思うはずがない。


 けど。

 しかし。

 

 その青白い顔。

 その背格好。

 その平民の服装。


 まさか。

 そんな。


「陛――」

「サク!!!」


 駆け出すために一歩を踏み出した私の腕を、ミソノ様が両手で掴んでいた。

 唇を引き結んだその顔が、真っすぐ私の目を見る。

 瞳が揺れている。


「『猟奇のはて』よ」

「なっ――」


 それは。

 その作戦は、もう放棄すると!

 今の陛下なら、その必要もないと、言っていたではないか!


「後で幾らでも私を罵りなさい。好きなだけ呪いなさい。けど! 今の状況を見て! あんたが守りたいものは何!? あんたなら判断できるはずでしょ! サクラ・アメミヤ!!」


 悪魔が叫ぶ。

 それは、誘惑の言葉ではない。

 堕落の言葉ではない。

 懇願だ。

 悲鳴だ。

 決めるのは私なのだ。


 …………。

 ……………………。

 …………………………………………ああ。


 そうか。

 またか。

 

 あの日、路地裏で死んでいた母親から衣服を剥ぎ取ったように。

 盗みを働いた浮浪児の仲間が捕まっていくのを見捨てたように。

 自ら部隊全員を死地に向かわせようとする騎士隊長を見限ったように。


 私はまた、選ばなければならないのか。


 私は一度だけ瞑目し、今にも死にかけている男に一瞥をくれ、こちらに縋りつく兵士に目線を戻した。

 今の状況。分からないことだらけの中ではっきりしていることは、今『国王』を失うわけにはいかないということ。目の前で横たわる男が、何をどうしても助かる見込みがないということ。今この場には、稀代の詐欺師がいるということ。


 私は、地獄の業火のように黒く熱く禍々しい怒りを腹の底に飲み込み、砕けんばかりに奥歯を噛みしめ、爪が皮膚を破るほどに拳を握りしめ、震えそうになる声を必死に抑えつけて。

 自らの言葉で。

 自らの意思で。



「誰ですか、その男は」



 国を、売った。

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