5-4
《とある少年の英雄譚・4》
僕は自分の体力・魔力の回復と、ウィーズリーさんの部隊の準備が整うのを待ち、帝都への侵略を開始した。
作戦は要らなかった。
必要なのは手順だけだ。
現在地から帝都までの直線距離に一番近い砦を落とし、次に街を落としていく。スタンプラリーみたいなものだ。
だけど、そこでウィーズリーさんから提案があった。
篠森潮をおびき出してはどうかというのだ。
あの三人組が現在帝都で暗躍しているのは明らかだった。聖女に勇者。そして、ある時を境に急変した王様。
かの国の国王は先代の頃から酷い暗君として有名で、その統治の杜撰ぶり、数年前に代替わりした現王の度を越した放埓さは、グリフィンドルに侵略戦争を決意させるのに十分だった。
だが、それがここ一月ほどの間に様子が違ってきたのだと、間諜から困惑混じりの報告が上がっていたのだ。長年王宮を牛耳っていた大臣をクビにして綱紀を正し、騎士隊を立て直し、帝都を一致団結させているらしい。
僕とシスターにはすぐにピンと来た。
楠蓮太郎だ。
先見の聖女として軍事に介入している凍倉美園とは別に、あの男が帝都の王宮を牛耳っているのだ。
そうであるなら、もう本物の王様は消されてしまっているのかもしれない。倫理や道徳を捨て去ったあの連中なら、その程度のことに躊躇いもしないだろう。
彼らを殺す。
今度こそ、僕自身の手で。
だけど、もう慢心して足元を掬われるのはコリゴリだった。
僕を倒す手段なんて僕自身ですら分からない。
けど、凍倉美園ならば、あるいは何かその方法を見つけられるのかもしれない。
だからこそ、分断するのだ。
シスター曰く、派手な戦場を用意し、そこにこの僕がいると思わせれば、篠森潮は必ず現れる。なら、僕が最初の砦を落とした後で、次の街を攻撃するのはグリフィンドル兵に任せ、僕が一人で帝都に向かえばいい。
あとは帝都の玉座にいる男を衆人環視の下に殺し、戦争を終わらせる。
「降伏せよ」
今、僕の目の前に半壊した帝都の入口が広がり、蹴散らされた兵士たちの体が転がっていた。
第一波は終わったらしい。
『
僕は全身に障壁を張りながら、ゆっくりと目の前の大通りを歩いた。
空気が焦げ臭い。
倒壊した建物から砂埃が舞うのが鬱陶しい。
どこからか、すすり泣きの声が聞こえる。
この破壊を僕の手で行ったのだという事実に吐き気を覚える。
でもこれは、僕の意思だ。
僕はずっと夢を見ていた。
僕は選ばれた人間で、僕の目の前には整備されたシナリオがあって、僕の行いと僕の理想は、何の誤りもない大きな権威が保証している。そんなふうに言葉にして考えたことはなかったけど、僕自身の在り方を言葉にすればそういうことになるのだろう。
愚かで間抜けで、肝心なところは他人任せの、僕という人間の姿だ。
だから、これは僕の意思だ。
シスターの心を救いたい。
ウィーズリーさんたちを助けたい。
彼らの望みを叶えることが、僕の意思だ。
彼らの作戦に乗ることが僕の意思だ。
責任を果たすことが僕の意思だ。
ねえ、わかったよ。
意思っていうのは、言葉や理想じゃない。覚悟を決めるってことなんだろ?
今ならわかる。僕が過去に吐きだした言葉が、どれほど薄っぺらのものだったのか。
どうしてホグズミードで、メイド長さんが僕たちについてきてくれなかったのか。
怖いよ。
今だって怖い。不安だし、吐きそうだし、泣き出しそうだ。
でも、もう目を逸らさない。
僕は今日、戦争を終わらせるんだ。
他の誰でもない、僕自身の意思で。
いつの間にか、かなりの距離を歩いていた僕の視線の先に、人だかりができていた。
兵士たちだ。
まだ遠くに見える王宮に逃げようとしているものたちと、それを押し留めているものとで諍いが起きているようだった。
「通してくれ! 頼む! 降伏してくれ!」
「勝てるわけがない! たった一人にジェルガ隊が一瞬で壊滅したんだぞ!」
「俺はあいつの体が鎗を弾いたところを見た! あいつは怪物だ!」
僕の『威圧』を受けた人たちだろう。恐怖にパニックを起こしている。
「ならん! ここを死守することが聖女様よりの命だ! 一分一秒でも長く敵を足止めする!」
「ふざけるな! 誰があんな怪物止められるっていうんだ! 勇者様はいないんだぞ!」
「落ち着け! 策はある! まずは隊を組み直して――」
ああ。やっぱり篠森潮はゴドリックの町に向かったみたいだ。
普通に馬を飛ばして丸一日。彼がこの都に引き返してきた時には戦争は終わってる。
いや、もう殆ど終わったようなものだ。最前線の兵士たちがここまで混乱しているんだから。
そうか。なんだったら、このまま『
そう考えた僕の耳に、それまでとは違った声が聞こえてきた。
「聞け!! スリザールの兵士たち!!」
それは、威厳に満ちた声だった。僕がそうしたように、何かのスキルを使っているとしか思えなかった。
何故って、それを発したのが、どう見ても一般人の男の人だったからだ。
「何を怖れる、兵士たちよ!?」
その男の言葉に、兵士たちが困惑している。
「今、ここにいるものたちは一人残らず恐怖している! この国を守る兵士たちが、ただ一人の敵の侵略に恐怖している!」
「な、なんだお前は――」
「何を怖れる!? 敵に敗れることか!? 自分が死ぬことか!? それとも、自分たちの愛するものを失うことか!?」
「な!?」
二人の兵士に肩を抑えられたその男は、それでも一歩も怯まずに言葉を発し続けた。
力ある言葉を。
「敵は強い! 確かに強い! 怖ろしいのは当然だ! では、それがお前たちが守るべきものに向けられることは怖くないのか!? お前たちは兵士ではないのか!?」
「だ、だが、戦ったところで――」
「勝てる!!」
兵士たちを鼓舞する言葉を。
「思い出せ! この国には二人の英雄がいることを! 俺はあのように邪悪で性根の曲がった女を見たことがない! 俺はあれほど力強くこちらを威圧する男を見たことがない! お前たちは知らないのか、ウシオ・シノモリは、たった一人で白龍を退けた男だ!!」
「だ、だが、勇者様は――」
「あの男がこんな絶好の戦の機会を逃すものか! 絶対に帰ってくる! 必ずここに戻ってくる! それまであの敵を食い止めることが出来ればお前たちの勝利なのだ! 違うのか!? そのための策が必要ならミソノ・イテクラがいくらでも用意してくれる! そうだろう!?」
彼らを死地に追いやる言葉を。
「お前は……、いや、いや。貴方は――」
「ま、まさか、そんなはずはない。貴方がこんな所におられるはずがない」
「しかし、でも、その顔は。その声は……」
兵士たちの様子が徐々に変わっていった。
脅えの種類が変わっていった。
「へ、へいか、なのですか……?」
ついに誰かが発したその言葉に、どよめきが広がる。
「む。何故ばれたのだ……。いや、今そんなことはどうでも――」
「お逃げ下さい、陛下!? 何故こんなところに!?」
「おい、誰か! 王宮へ護送しろ!」
「隊を組み直せ! この場所はなんとしても死守する! 教会へ使いを!」
ああ。
もう限界だ。
そうやって――。
僕は、ゆっくりと息を吐き、『隠密』を解いた。
「そうやって!!!」
彼らからすれば、僕の姿が突然現れたように見えただろう。
その場の誰も、反応することすら出来なかった。
虹色の魔力が右手に収束する。
「そうやってまた、人々を争いに導くのか! 楠蓮太郎!!」
虹の鎗が、その男の胸を貫いた。
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