5-3

《とある少年の英雄譚・3》



「気が付いたかね、勇者殿」


 僕が目を覚ましたとき、そこは前線から大きく後退したグリフィンドルの拠点だった。

 気分は最悪で、目覚めたはずの僕の意識は、景色をモニター越しに眺めているかのように不透明で、全てが他人事のようだった。

 医務室と呼ぶにはあまりに雑な作りのその部屋で、僕が目覚めた報せを受けてやってきたウィーズリーさんから、それまでの経緯を聞いた。


「君は三週間ほど眠っていたのだ」


 要点を纏めると、大体こんな感じだ。

 あの日、僕と田中さんの争いの音が絶え、ウィーズリーさんたちが恐る恐る魔力の痕跡を辿ると、荒野の中、凍り付いた血の海に突っ伏す僕と、既に原型を留めていなかった田中さんの遺体を発見したそうだ。

 僕の息のあることを確かめた彼らは、田中さんの遺体を置き去りに駐屯地跡に戻り、現状どのような作戦行動も不可能になったことを認めて、この拠点まで引き返してきたのだという。


 ウィーズリーさんの部隊のうち、四分の一の兵士が田中さんによって焼き殺されたのだ。

 勇者ぼくが、佐藤勇ぼくであったばかりに。


「本国側には、眠っている間に君を殺せという者もいたよ」


 それはそうだろう。僕たちはもともと部外者で、もっと言えば、常識の埒外の人間だ。今回のことはいい機会――いや、最悪の機会だったはずだ。


「しかしな、勇者殿。我が部隊の生き残りのうち、誰一人としてそれを承服しなかった。君がこれまで、我々を助けるためにどれほど心を砕いていたのか、知らぬものはおらん。そして、君は今回もまた我々を救ってくれた。君がどのような思いで同胞を手にかけたのか、吾輩には分からん。だが――」


 それはきっと、僕がずっと求めていた言葉だった。

 僕はただ、人に認められたくて。

 人に褒められたくて。

 人と分かり合いたくて。

 分かち合いたくて。


 それでも、もう――。


「ウィーズリーさん」


 僕の口から出たのは、老人のように枯れ、氷のように冷え切った声だった。


「僕が、スリザールの首都に攻め込みます」

「……なんだと?」

「スリザールの兵を倒して、王様を討ちます。そのあとで、みなさんは首都を占拠してください」

「待て。どうしたのだ、急に。それでは、君の……」


 そうだ。僕が日本に返るためには、僕はあくまでグリフィンドルの手助けとして戦争に加わらないといけなかった。

 けれど、もう――。


「僕はもう、帰れなくなりました」




 三週間、昏睡している間、僕の意識はずっと別の場所にあった。

 いや、体感としては数分程度のことだったのだけど、は時の流れがおかしくなっているらしい。

 黒いような。白いような。

 何処までも突き抜けるような、それでいて何処にも辿り着けないような、無限の空間。


『何をしにきた』


 僕の意識に、男とも女とも、子供とも大人ともつかない声が語りかけてきた。

 それはかつて、僕をこの世界に呼び寄せたの声だった。


『田中さんを助けてください』


 前回は、僕はただその声の言うことを聞いていることしかできなかったけど、その時は明確に自分の意思を伝えることができた。


『ならぬ』

『なぜですか』

『そなたが殺めたからだ』


 僕の意識が落ちる前、確かに僕の放った虹色の刃が、彼女の正中線を真っ二つに断ち割っていた。一瞬で蒸発した血飛沫が、赤い霧となって氷点下の虚空に消えていった。


『田中さんを助けてください』

『ならぬ』

『お願いします。勇者の役目なら僕が一人で果たします。必ずグリフィンドルを勝利させます。だから――』

『それはもうよい』


 …………え?


『なぜですか。まだ、ゴイル侯爵は生きています。彼はまだあの国で。そうだ。あの三人と組んで、酷い、酷い実験を』

『いや。もう済んだ』

『なにが済んだんだ!? 勝手に終わらせるな!』


 しばしの沈黙のあと、それまでの威厳に満ちた態度を僅かに崩した声の主が、小さな溜息を漏らした気がした。


『かの国には、一人の少女がいた。その娘の潜在魔力は千年に一人の逸材だった。しかし、彼女は生まれの環境から浮浪児となり、その才能に気づく間もなく、ビンセント・ゴイルの実験の犠牲となって死ぬ定めだった』


 なんだ。何の話をしている?


『彼女の魂に秘められた魔力は彼女の死と共に怨念となって発現し、彼女は史上類を見ないほどの強大な不死者アンデッドとして復活するはずだった。帝都はその魔物によって蹂躙され、死の都と化す。それをお前たちが倒す予定だった』


 ちょっと待て。

 なんだそれは。聞いてないぞ。


『だが、その必要もなくなった。少女は死ななかった。あり得ぬことが起きたのだ。帝都の誰一人として、奇病に侵された浮浪児のために治療法を探そうなどとはしないはずだった。探したところで徒労に終わるだけのはずだった。だが、それを為したものがいた。故に少女は助かった』


 待て。待てよ。じゃあ、僕たちがこの一年やってきたことは何だったんだ。

 戦争はどうなる?


『もうスリザールを滅ぼす必要はなくなった。勝つか負けるか、好きにすればよい』

『ぼ、僕たちは。じゃあ、僕たちはどうやって日本に帰ればよかったんだ?』

『それはもう敵わぬ』


 無慈悲な声が。


『グリフィンドルの兵士を害した。約定を違えたのはそなたらよ。田中聖香の魂は既に消滅した。どうにもならぬ。そなたに与えた力はそのままにしておいてやろう。好きに使うがよい』


 僕の意識を突き放した。

 そして、気づいたときには、僕はベッドの上に寝かされ、既に三週間の時間が過ぎていたのだった。


 僕にはもう何もない。

 田中さんは僕が殺した。

 目的もない。

 敵もいない。

 生きる意味もない。


 けど、せめて。

 僕の手の中に残った、たった一つのこと。

 一度始めたことだけは終わらせよう。


 ウィーズリーさんは、僕を助けてくれた。

 僕を勇者だと言ってくれた。

 そして――。



「あ。ああ。勇者さま。勇者さま。お目覚めになったのですね。良かった。私、私……」


 

 シスター。

 君の願いは、僕が叶えるよ。

 さあ、スリザールを滅ぼそう。

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