5-2

《とある少年の英雄譚・2》



 そこから先は、もう滅茶苦茶だった。

 薄暗い声でブツブツと呪いの言葉を吐きながら次々と強力な魔法を連発する田中さんから、僕はわけも分からないままに無我夢中で兵士たちを守り続けた。

 僕の持ってるスキルは自分の傷を治すことはできても他人の傷は治せない。役割分担をしていたのだ。回復役の田中さんが兵士たちに敵対してしまった以上、傷を負った彼らを助ける術がない。


 たった一発でも防ぎ漏らすことは許されなかったけど、彼女の底無しの魔力量は僕が一番よく知ってる。

 知覚強化と速度強化のスキルで辛うじて食らいついていても、0.1秒でも気を緩めたら取り返しのつかない事故が起きる。僕は必至で田中さんの懐に潜り込み、襟を掴んで飛んだ。


 一瞬で全ての景色が流線となって意味を失い、僕たちは駐屯地から離れた荒野へと着地した。

 腕が振り払われ、至近距離から魔法が放たれる。

 体の正面にもろに食らって、僕は後ろに吹き飛び、倒れた。


 痛い。

 痛い痛い痛い。

自動回復オートヒール』のスキルが即座に傷を癒してくれるが、痛みの感覚まではすぐに消えない。

 僕は体を縮めて歯を食いしばり、本当に久しぶりに味わう苦痛に耐えた。


「触ってんじゃねえよキモオタァ!!」


 そこへ、再び魔法の火球が降り注ぐ。

 虹色の障壁を張って防ぐ。

 けど、それと共に放たれる罵詈雑言の嵐までは防げなかった。

 ヒステリックな声は、僕の回らない舌が紡ぐ不格好な説得の言葉でますます勢いを増していく。


 周囲一帯を地獄絵図に変えながらその猛攻を耐え凌ぐうち、田中さんの罵倒の断片を拾い、どうにか僕はことの経緯を把握できた。

 つまり、グリフィンドル兵が田中さんを娼婦扱いしたのが許せなかったと。

 それでその兵士を焼き殺したのだと。

 私は襲われたんだから、これは正当防衛だと。


 改めて愕然とする。

 そんな。

 そんなことで、人を殺したのか?

 冗談じゃない。襲われたってなんだよ。彼らが何人束になったって、田中さんに掠り傷一つつけられないじゃないか。 

 どう考えたってやりすぎだ。

 そんなことで、僕たちの味方は焼け死んだのか?


 僕が思わず漏らした呟きを聞き取った田中さんがさらに激昂する。

 ああ。

 そうか。

 今更ながらに僕は理解した。

 彼女にとって、この世界になんて存在してないんだ。


 田中さんの言葉から伝わるのは、彼女が敵国の兵も味方のはずの兵も、等しく無価値なNPC非人間としか認識していないということだった。

 それはもちろん、許しがたいことだったのだろう。

 端から見下していた人形に最大級の侮辱を受けたのだから。


 そしてその上で、いかに僕が愚図で頼りなく間抜けで役立たずなダメ人間かということを、彼女は懸命に伝えてきた。あの時もそうだった。この時もそうだった。そもそも最初から。僕はいつだって彼女の思い通りに動いていなくて、望み通りの結果を出せなくて、かけてほしい言葉をかけられなくて、必要なものを用意できなかったのだ。


 返す言葉もなかった。

 いや、本当はあったけど、舌が上手く回らなかった。

 そんなこと今言われても困る。なんでその時その時に言ってくれなかったんだ。

 言ってくれれば僕だって。

 僕だって、なんだ?

 上手くやれたっていうのか?

 無茶言うなよ。

 知らないよ、そんなこと。


 僕は途中からただ棒立ちになって、彼女の放つ魔法を障壁が防ぐのを黙って見ているだけだった。

 僕の中で、まだ淡く灯っていた希望の光があえなく消えていくのを感じていた。

 あるいは、もう二度と元に戻らないガラス細工の破片。

 この異世界での彼女との旅は、今日終わったのだ。


 田中さんは兵士を殺した。

 もう彼らと一緒にはいられない。

 それどころか、僕はこの事態にどう収拾をつければいいのかも分からない。

 ただ、一つだけ。


 そう。

 僕に分かるのは、一つだけ。


 白い空を焼き焦がさんばかりに膨れ上がる太陽のような炎。

 常人ならば近づいただけで呼吸もできなくなるほどの高温の魔力塊。

 本来、龍種レベルのモンスターに向けて放つ奥の手の一撃。それを、遠くに辛うじて見える駐屯地に向けて放とうとしている彼女を、止めなければならないということだけだ。


「だめだ。やめてよ。ねえ、田中さん」

「は? 黙ってろよゴミカス」

「待ってよ。ねえ! ダメだってば」

「うるせえよ。もうどうでもいいわこんなクソみたいな世界。さっさと帰るの、私は」

「だ、ダメだって。だって、だって」

「うるせえっつってんだろ! はっきり喋れ! イライラすんだよテメエの声聞くとよぉ!」


 侮蔑と拒絶。あまりに明確な否定。

 僕の周りには誰もいない。

 僕がなにをすべきなのか。

 僕がどうあるべきなのか。

 答えはどこにもない。

 誰も教えてくれない。

 十七年間の僕の人生の中で固まった佐藤勇という人間と、この世界に来てからの一年で作り上げられたイサム・サトウとしての自分が反発し、痙攣する。


『このゴミ陰キャが』


『君は、間違いなく勇者だ』


『悪い、名前なんつったっけ?』


『頼んだぜ、勇者さま』


『あなたでは、あの三人には勝てないでしょう』


『ああ、やはり、あなたが本物の――』



 シスター。



 地面に倒れ伏した彼女の姿がフラッシュバックした。


 そうだ。あの場所には、まだ彼女が――。



 僕の口から、意味不明の絶叫が迸り、体が勝手に動いた。

 

 空中で爆散する炎の魔法。

 驚愕する田中さんの顔。

 すべてがスローモーション。

 止まらない虹の魔力。

 それが、彼女の体を縦に割って。


 僕の意識は、闇に落ちた。

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