5.英雄の道

5-1

《とある少年の英雄譚・1》



 空が燃えていた。

 

 ごうごうと。めらめらと。

 僕の目の前で燃え盛る巨大な炎――先ほどまで、確かに街の門の役目を果たしていた建築物が、崩れ落ちようとしている。

 空は荒天。

 風は氷雪を乗せて吹きすさび、僕の全身を打つ。


 それが故郷の単位でいうところの、摂氏何度に当たるのかなど分からない。ただ、例えマイナス二十度の冷気であったとしても、今の僕には何の脅威にもならない。

 僕の身を覆う魔力障壁の働きによって、いかなる温度変化も僕の体に影響することはない。

 ないはずなのに。

 

「……寒いな」


 僕の心と体は、とっくに温もりを失い、何も感じなくなっていた。


 倒壊を始めた門の向こうに人の集まる気配を感じる。

 僕には探知魔法は使えないから、それが何人なのかは分からない。分からなくてもいい。少なければいいな、と漠然と思うだけだ。

 

 『瞬動ソニック・ムーヴ』のスキルで、一直線に炎の中を突っ切る。

 門前の広場に固まるスリザールの兵士たちからすれば、僕が一瞬でその場に現れたように見えただろう。

 勇ましい掛け声とともに繰り出された鎗の一撃を、『鉄壁ガーディアン』を発動した体で受け止める。僕の胸元に突き出された鎗の穂先が砕け散る。

 驚愕する兵士の腕を掴み、『剛腕ハーキュリアン』のスキルを乗せて振り回す。

 砲丸と化した兵士の体が、数人の仲間を撥ねながら吹き飛んでいった。


 両脇から魔力の波動。

 見れば、数人の魔術師たちが陣を組み、なにがしかの攻撃魔法を発動しようとしていた。

 別にそのまま受けてもよかったけど、せっかくだから使わせてもらおう。

 『接収シーザー』――先日、龍樹ナーガ・ルジュナを倒した際に発現したスキルを使って、彼らが練り上げた魔力を全て吸い取り、そのまま虹色の鎗に変えて彼らの頭上に降らせてやった。

 『七色の武具イリデーセント・アームズ』――僕が一番得意なスキルだ。


 残りの兵士たちが、恐怖に顔を引きつらせながら、それでも懸命に僕に斬りかかってくる。

 四方八方から襲い掛かる、剣、矛、鎗、矢。

 その全てを、『超感覚ハイパー・センス』を発動した僕の目が見切っていく。

 潜り、躱し、受け止め、弾く。

 僕の手に握られた虹色の刃が、その度に敵兵の体を千切っていく。

 最後の一人になるまで。

 すごいな。

 みんな、逃げないんだ。勇敢だな。僕とは大違いだ。


 一先ず目の前の敵兵を片付けたところで、僕は一息ついて目の前に広がる街並みを見渡してみた。

 戦闘の余波を受けて傷ついた道路と建物。悲鳴と怒号。

 そこここから続々と兵士たちが押し寄せてくる。

 目抜き通りの奥の奥、僅かに見える城門と、深緑色の国旗。

 この大陸に蔓延る悪徳の中枢――帝国スリザールの首都。


 本来ならば、僕は大勢の仲間たちと共にこの地に踏み入るはずだった。

 この大陸の歴史を汚さないよう、あくまでグリフィンドルの兵士たちの手助けとして、この帝都に根を張る悪辣なる貴族の男を倒すことが僕の役目だった。

 彼が作り出した怪物を滅ぼし、この大陸に平和をもたらすことが僕の使命で、それを果たした暁には、僕は無事に元の世界に帰れるはずだったのに。


 そこに思考が及んだ途端に、腹の底から湧き上がったどす黒い感情が僕の喉から迸り、気づけば僕の周囲一帯が更地となっていた。

 炎が。

 めらめらと燃えている。


 そうだ。

 あの時も、こうして燃え盛る炎の中で、僕は呆然としていた。


 もう一月以上前の話だということが自分でも信じられない。

 あの時からずっと、僕の中の時間は止まったままなのだ。




 あの日、龍樹ナーガ・ルジュナを討伐し、グリフィンドルの駐屯所まで転移した僕は、突如として炎に囲まれた状況にパニックを起こした。

 敵襲?

 一体どうしてこんなタイミングで?

 混乱する僕は、それでも生存者を探して炎の中を駆けた。

 そこかしこに、黒焦げとなった死体が転がっている。


 田中さんはどうしたんだ?

 なんで彼女がいながらこんな被害が出ている?

 まさか、彼女の身に何かあったのだろうか。


 焦燥に駆られながらそんなことを考えた僕は、傍から見ればなんと滑稽なことだったろう。

 僕が探すまでもなく、炎の向こうで新たな爆音が響いた。

 スキルを使って即座にその場へ駆けつけた僕が見たものは、味方であるはずのグリフィンドル兵に取り囲まれた田中さんの姿だった。

 包囲網の中に赤毛の騎士隊長――ウィーズリーさんの姿を認めた僕は、すぐさま彼らの間に割って入った。


「なにしてるんですか!?」


 田中さんに背を向けて立った僕を見る兵士たちの顔が、引き攣った。

 そして、僕は初めて、田中さんの足元に倒れ伏したシスターの存在に気づいた。

 なんだこれは。

 まさか、シスターがグリフィンドル兵に襲われたのか?

 うつぶせで倒れる彼女の姿に血は見えない。


「か、彼女に何をしたんですか……?」


 僅かにどよめき。

 重たい溜息が一つ吐き出され、ウィーズリーさんが口を開いた。


「勇者殿。君の同胞が我らの仲間に魔法を放ち、それを止めようとしたそちらのシスターを昏倒させたのだ」

「…………え?」


 その時。

 背後から特大の魔力の波動。

 うなじが粟立つ。


 振り返ったときには、今にも僕の横を通り過ぎていきそうだった火球を、ほとんど反射的に腕を振り上げて弾いた。

 重い衝撃が骨まで響く。

 辛うじて軌道を逸らすことに成功した火球が彼方に消えて、また一つ爆発を起こした。

 がしゃん、と、兵士の一人が尻もちをついた音。


 いま、僕が弾いていなかったら、確実に数人の兵士が消し炭になっていた。



「は? なに邪魔してんの?」



 低く、小さい声が、杖を掲げた田中さんの口から漏れた。

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