4-3

《とある侯爵家当主の悪業》



 ああ。忌々しい。


「あん? なんだジイさん。逃げなくてよかったのか?」

「君こそ、私を殺さなくてよかったのかね?」


 私を見下し、筋骨隆々の大男が呑気な声で話しかけてくる。

 全く、忌々しいことこの上ない。そうだ。この男一人に、私の手駒をどれほど失わされたことか。

 私がどれだけの時間をかけて用意した駒だろうと、この男はその体一つで蹴散らしてしまう。

 バカげた話だ。なんの魔法も装備も用いず、白龍をその身一つで退ける人間など想定できるはずがない。

 折角というのに。


 備えは整えてあった。あの龍が砦を襲ったとき、私だけは奴のブレスから逃げおおせるよう、脱出の算段は付けてあったのだ。

 だがそれも、徒労に終わった。

 上手くいかない。この連中が帝都に現れてから、何もかもが上手くいかない。


 こんなはずではなかった。

 私の望みはとっくに叶っているはずだった。


 誰にも侵されない、誰にも邪魔されない、静かな暮らし。

 家族などいらない。使用人も必要ない。

 静かな土地で、ただ一人きりで暮らせるだけの家。

 小さな庭で野菜でも育てて。

 たまに川で魚でも釣って。

 雨の日にはひたすら読書に耽って。


 私がゴイル家に生まれ落ちたときから、それは私にとって果てしなく遠い夢だった。

 雁字搦めの柵と、欲に塗れた人間たちの群。

 黙っていても転がり込んでくる金、金、金。欲、欲、欲。

 そこから抜け出すことが、どれほど難しいことか。

 生きることにはとうに飽いたが、死ぬに良い日は未だ見つからぬ。


 私に押し付けられた全てを棄て、私の望む完全を手に入れるため、私は実の父をすら謀殺した。妻は取らなかった。当主としての地位を手に入れたとき、真っ先に切り捨てたのは自らの生殖機能だった。

 愛も欲望も、私はその手に摘まむ駒とせねばならないのだ。


 もうじき、それは手に入るはずだった。

 私はこの国から放逐され、死を賜り、存在を忘れられ、自由になれるはずだった。

 それなのに。


「おい! 誰かいないか!」「目が! 俺の目が!」「こっちに回復薬を! 早く!」「ダメだ、抑えきれない!」「頼む! 誰か来てくれ!」「まだだ。おい! 踏ん張れ!」「死ぬな!」「こんなところで!」「援軍はまだ来ないのか!」


 戦争とは、一体なんと愚かな行為か。

 まず第一にうるさい。

 私が一番嫌いなものだ。

 人が泣き叫ぶ声。命を賭して戦う音。全てが耳障りだ。

 そして臭い。

 血の匂い。腹を裂かれた場所から漏れる内臓の匂い。吐瀉物の匂い。肉の焼ける匂い。

 頭が痛くなってくる。


 私には必要ない。

 敵の心臓を貫く快感も、敵を欺き貶める愉悦も。

 そんなものを、私は求めていないというのに。


 今、ゴドリックの町は戦場と化していた。

 押し寄せる大量のグリフィンドル兵。それを懸命に耐えるスリザール兵。誰がどう見ても戦況は明らかで、もう小一時間ほどで部隊の将――ホラス・スラゴーンの首は落ちるだろう。

 本陣にて指揮を執る彼の顔色は悪い。

 自身とて、先の砦での襲撃で重傷を負ったところ、癒術と魔法薬で無理やり自分を立たせ今戦に望んでいるのだ。傭兵たちについてきた女児が不可思議な癒術を使い、兵士たちを回復させてはいるが、この戦況では焼け石に水と言うしかない。


 そしてこの状況の最もタチが悪い点は、この戦場に敵方の勇者がいないことだった。

 ウシオ・シノモリは、まんまと誘い出されたのだ。

 恐らくは、今頃帝都にて彼の超常の戦力が猛威を振るっているのだろう。今から引き返したところで間に合うはずもない。

 明らかに、これまでの動きとは違っていた。今までのそれが迂遠なブラフだったのか。若しくはなにか向こう側のレギュレーションが変わったのか。


 何にせよ、状況は最悪だった。

 私の前で束の間の補給をしているの勇者の呑気な顔が心底忌々しい。

 一体今日だけで何人の敵兵を屠ったか知らないが、これは決闘ではない。戦争なのだ。こやつが一人でどれだけの勝利を積もうと、このままではこの町が落ちることは避けられない。

 それはすなわち、この場所から大量のグリフィンドル兵が帝都に雪崩れ込むということ。

 勇者によって蹂躙された帝都にだ。



 まあ、仕方ない。

 私は既にこの騎士隊長を救うという目的は放棄していた。

 世の中、理不尽なことなどいくらでもある。

 

 例えば、そう。私がこの手に握る『オドラデグの花』だ。

 異世界の書物の名を冠したこの魔導兵器は、憑りついた人間から水分と魔力を吸い尽くす。

 今、この戦場の兵士たちには、敵味方を問わず無数の『オドラデグの種』が植えられている。正確に言えば、問うている猶予はなかった。私とウシオ・シノモリがここに辿り着いた時には、既に戦場は混戦となっていた。

 敵方にだけ種を植えるような器用な真似はできなかった。


 私が一たび『花』に魔力を通せば、それは瞬く間に発芽し、戦場を更なる地獄絵図へと変えるだろう。

 それによって集められた魔力は、人工魔獣――龍樹ナーガ・ルジュナを呼び起こす。

 私の握る『花』は、龍樹の制御装置でもあるのだ。


 ああ。

 全く。

 非常事態だからと私を受け入れ、裏方の指揮を任せた愚かな騎士も。

 目先の戦場に取りつかれ暴れ回る勇者も。

 

 忌々しい。

 彼らの命運を、今まさに私が握っていることに気づいていないのか?

 まさか私が、この力をスリザールのために用いるとでも思っているのか?


 私の望みは、いつだって変わらない。

 私は生き延びる。

 なんとしてでも、望みを叶える。



『待て、ゴイル侯! なぜ貴様が戦場に出る必要がある!?』



 一瞬だけ、あの変わり果てた国王の姿が頭を過った。

 私は、何一つ躊躇うことなく『花』を発動し。


 戦場に、無数の枯れ枝が上り立った。

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