4-2

「よし。じゃ、ちょっくら行ってくるわ」


 そんな気軽な声で腰を上げたのは、当然ながらこの男だった。


「ま、待て、ウシオ! お前がいなくなったらこの帝都の守りはどうなる!?」

 それを、慌てた声で陛下が引き留める。

 それは相変わらずの情けない幼稚な声であったが、正直言って、私は驚いていた。

 あの陛下が、『俺の守り』ではなく『帝都の守り』と言ったのだから。


 場所はゴイル邸。

 この国の進退に関わる会議が、一度帝都を放逐されたはずの貴族の男の屋敷で行われていることはなんとも皮肉であった。

 だが、今そんなことを気にしている余裕は、流石にない。


 防衛線を敷いている砦が落ちた。

 そこから敵兵がこちらに侵攻すれば、次に落とされるのは彼の砦が守っていた街だ。昨日まで敵兵力が一時休戦を余儀なくされたのは、白龍の息吹ホワイト・ブレスの吹き荒れる極寒の平野を進軍することは兵にとっても大きな負担になるからであり、街一つを手に入れることが出来たのならば、そのハンディキャップは消失する。

そして――。


「ドアホ。シオ一人ここにいたってどのみち帝都まで敵の軍が来てたらどうにもなんないわよ。こいつに『守り』を任せてどうすんだっつうの」

 

 それも当然。ウシオ様の持つ武力はあくまで彼一人のものだ。どれだけ強大な相手だろうと、彼ならば倒せる。ただし、どれだけ軟弱な相手だろうと、彼は一人ずつしか倒せない。

 彼が十人の敵を薙ぎ倒す間に、押し寄せる千の兵が市民を虐殺するだろう。

 つまり、敵軍の足がこの帝都まで届いた時点で、こちらの負けなのだ。


「いい? ホントはあんたなんかに一から説明してやる義理なんかないんだから一回で聞いて覚えなさい。私が立てた予測じゃ、敵方の再侵攻はまだ一月先よ。その判断材料に使った情報に今のところ錯誤はないし、今回落ちた砦以外の場所で敵兵力に動きはない。なら、今回の件はグリフィンドル軍にとってもイレギュラーな事態の可能性がある」

「どういうことだ。敵はグリフィンドルだけではないのか」

「その辺は流石に説明してる暇ないから後にするわよ。今一番警戒しなきゃなんないのは、こっちの敷いた防御線の穴から敵軍がわらわら入ってくること。けど、その穴開けたのが向こうのアホ勇者だってんなら、まだ手の打ちようはある」


 凍り付いた体で馬にしがみつき、急報を伝えた兵士は既に絶命している。当然だ。砦からこの帝都まで、補給も休息もなしに駆け抜けてきたのだから。

 だが、そのおかげでほとんど時間差のない生の情報を手に入れることができたのだ。彼の死を……いや、彼の命を無駄にするわけにはいかなかった。


『ウ……シオ、に……コレ……』


 そう言って息を引き取った名も知れぬ兵士が青黒く凍り付いた指で握り締めていたのは、神秘的な光を宿す水晶の欠片だった。

 それが何を意味するのかは、ウシオ様にだけ伝わったようだった。

 今、その欠片は、ウシオ様の巨きな拳の中に握り込まれている。


「今頃、砦の兵力の生き残りが街に後退して守りを固めてる。けど、この時間差じゃ、こっちから人を送る間に街にも敵の手が届く。だから、そこにシオを送り込んで叩く。そこが最後の防衛線よ。そこで敵の足を止められたなら、また防衛線を張り直すのも不可能じゃない。逆に、敵方の虎の子の戦力を挫くことが出来れば、本来の再侵攻の際の余計な不安材料がなくなるわ」


 兵法については、私が口を挟めることではない。ミソノ様が策を立て、それに誰の文句も出ないのならばそれがこの場の最適解なのだろう。だが――。


「ウシオ様。……勝てるのですか?」

 敵は、超常のギフトを得て来訪した本物の勇者。

 かつてホグズミードにて、ウシオ様が手も足も出せずに敗北した相手だ。

 私の問いに、陛下が不安そうな顔でウシオ様を見る。

 偽物の勇者は特段気負う様子もなく、こともなげに答えた。


「勝つ」


 それを聞いたミソノ様が、盛大に溜息を吐いた。

「自信満々に言ってんじゃないわよ。不安しかないっつうの。ホントなら私も着いて行きたいトコなんだけど……」

 これがイレギュラーな事態である以上、こちらの軍全体を統括できる帝都にて、ミソノ様が状況を把握できなくなるのはまずい。そこへ、誰しも予想しなかったところから声が上がった。


「私が同行しましょう」

「「…………は??」」


 書類の山に目を落としながら、もののついでのようにそう言ったゴイル侯を、私とミソノ様が眉を吊り上げて見据えた。


「おや。何か不都合がありますかな」

「待て、ゴイル侯! なぜ貴様が戦場に出る必要がある!?」

「陛下。今戦場となっておる場所は普通の戦場ではございません。異常事態なのです。ならば、ただの戦力とは別に『眼』と『頭』が必要なのですよ。どのみち今の私は人と場所を提供しているだけの立場です。現場に出て何かしら手助けできることはありましょうが、ここにいてできることのほうが少ない」

「しかし――」

「俺は構わねえよ?」


 そう言うウシオ様の言外には、『どうでもいい』の念が透けて見える。

 盛大に顔を顰めたミソノ様が、かつてないほどの時間をかけて黙考した。

 そして、深く溜息を吐く。


「……『盤面この一手』ね。しょうがないか」

「おい! ミソノ!」

「うっさいわね。私だって取りたくないわ、こんな手。でも、今はそうするしかない」

「ぐ……」


 なんとなく、『こんな手はとりたくない』の意味に、ミソノ様と陛下の間で齟齬があるような気がするが、この場でそれを口にするのも憚られた。

 まだ何か言いたげだった陛下を、もう気にするものはこの場にいなかった。

 てきぱきと準備を終わらせたゴイル侯(怪しげな薬液やら薬包やら魔道具やらを鞄に詰め込んでいく)は、最後に三つ四つ彼の部下に言付けをすると、それ以上は何の挨拶もなく、ウシオ様と共に帝都を発って行った。



 急報を届けた砦の兵は、既に弔われてある。

 だが、余計な混乱を防ぐため、その情報は厳格に統制し、一般市民、そして王宮の大半の人間には伝わっていない。

 本来ならば国の危急の事態であり、軍部全体で対処にあたるべき問題だが、仮に今回の件が、あの異世界の勇者――あるいは聖女の独断による強行だというのなら、ここで過剰に兵を動かすことでグリフィンドルの本隊を不必要に刺激してしまう危険がある。

 

 ミソノ様をしても、正確な見通しが立っていないのが現状だった。


「申し訳ありません。彼らの動向はずっと追っていたのですが、まさかこれほど突然に現れるとは……」

「三十六時間くらい文句言ってやりたいとこだけど、まあ置いといてあげるわ。それより、こっから先は情報の速度が死活問題よ。聖陽教にも働いてもらわないとならない。連絡は密に取るよう徹底させて」

「……ミソノ。ゴイル侯は無事に戻ってくるだろうか」

「はあ?」


 不安げな声で問う陛下を、苛立たし気にミソノ様が睨みつける。


「戻ってくるわけないでしょ。アホかっつうの」

「な、なんだと!? では何故――」

「ドアホ。マヌケ。ゴミカス。あんたねぇ。あいつが馬鹿正直に戦場に出てシオのサポートするとか本気で信じてんの?」

「は?」

「トンズラこいたに決まってんでしょ!? このまま帝都にいたら逃げ場がないから、どさくさに紛れて自分だけ助かろうとしてんのよ!」

「な――」

「だけど! 抑止力シオがいない状況であのジジイにここに居られたら、それこそ何されるか分かんないからこっちも追い出したのよ! そんなことも分かんないなら一々口出してくんじゃないわよ、ド低能!!」

「な。は? え、え――」


 ああ。久々に荒れているな……。

 しかし、ミソノ様の苛立ちも、陛下の困惑も、今宥めている余裕はない。

 私は四方八方へ当たり散らすミソノ様を抱えるようにして王宮へ戻り、大臣騎士官僚僧侶傭兵商人その他諸々への指示と要請と嘆願と命令と脅迫を手配し、今頃は戦場となっているだろう街からの知らせを待った。


 そして、翌日――。



「降伏せよ」



 異世界の勇者――イサム・サトウが、この帝都に現れたのだった。

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