4.悪の帝国

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 それから10日。

 私は、王宮とゴイル邸を往復する生活を送っていた。


 その間にも着々と王宮の改革は進み、先に罷免された大臣たちの溜め込んだ財貨によって西国――レイブンクリューより大量の物資を輸入、大規模な徴兵計画を進め、いずれ再開される侵略に向け、戦力を整えようとしていた。

 また、その裏側では各地の有力貴族や商人たちへの、聖陽教の力を背景にした根回し、懐柔、脅迫その他諸々によって情報と人流を抑制。更には、属領のホグズミードとトラバーユを介した敵国グリフィンドルへの破壊工作が進行されていた。


「ミソノ様。『山吹色』の進捗、52%まで進んだようです」

「ん。そろそろ向こうも勘付くはずよ。対応の観察きっちりさせといて」


 それは、この大陸の歴史上類を見ないほどの、大規模な贋幣作戦だ。

 以前、私がホグズミードで得たグリフィンドルの貨幣を元に、金含有量を下げた悪貨を鋳造し、彼の国の市場に放流。その売買を元にして更に外貨を仕入れ、それをまた悪貨に変えて流す。巧妙に出処を隠蔽しながら行われたその悪貨の存在に、気づいたが最後。グリフィンドル金貨の信用は失墜する。

 

 今、グリフィンドルは侵略戦争のための徴収による一時的な物資不足が起こっている。そんな中で自国の貨幣の価値が下がったら、どうなるか。未曽有の物価高騰によって、彼の国の経済は破壊されるだろう。


「『お裾分け』は?」

「想定よりも、かなり早い速度で浸透してますね。ティモシー様に注意を呼び掛けておきました」

「アホばっかりねぇ」


 そして、最も早くグリフィンドルが食らいついたトラバーユ領もまた、彼らの腹に劇毒をばら撒いてていた。

 トラバーユが最初に狙われた理由の一つは、我が国において最も肥沃な農作地と、麻薬に侵されていない交易路だ。だが、そもそも何故トラバーユが薬物汚染を免れていたかといえば、他ならぬ元トラバーユ領主・ゴイル侯爵がその麻薬の元締めであったからで、彼による市場の統制によってのみ、トラバーユの潔癖は保たれていたのだ。


 そのゴイル侯爵が排斥され、スリザールの王宮の手が入る前に収奪された未踏の土地。

 麻薬商人たちが目を付けぬはずがなかった。

 今、逆に現在の領土全体における取締りと徴発を徹底し、彼らを追いやっている。もちろんその陰から、標的をトラバーユ、ひいてはグリフィンドル全土に向けるよう誘導して。

 このペースでいけば、トラバーユに駐屯しているグリフィンドルの兵力は、こちらが何をするまでもなくその力を半減させるだろう。


 かつて、あの異世界から来た勇者は言った。

 スリザールこそ悪の帝国。

 自分たちは、この大陸に安寧を約束するために戦うのだ、と。


 彼の言葉は、まさに正鵠を射ていたのだ。


 当然ながら、そんな策略の数々を王宮で働くものたちのほとんどは知らない。

 生まれ変わった王の姿を信じ、正義の在りかを自分たちの中に信じ、この難局を打破するための使命に燃えている。ただ数名の例外を除いては……。


「今朝、ホラ男のおっさんに会ったわ」

「そうでしたか。なにか言われましたか?」

「『君たちを恨む』ってさ」

「ミソノ様。彼は――」

「『そうしてちょうだい』って、答えといた」

「そう、ですか……」


 ホラス率いる第八師団の騎士たちは、帝都での補給と治療を終え、また前線へと戻っていった。

 彼からの要望を受け、傭兵組合の面々もその部隊に加わったらしい。諍いもなくはないだろうが、一度ホラス隊とは共同戦線を組んでいるものたちだ。上手くやっていけるのだろう。

 私はといえば、あの日からホラスとは一度も会っていなかった。会う機会もなかったし、会う気もなかった。彼の真っ直ぐな瞳でもう一度見つめられたとき、私の中のなにかが傷ついてしまいそうで、怖かった。


「そういえば、ここんとこ顔見てないけど、あのボンクラ王はどうしてんの?」

「昨日は算術を勉強していましたよ。関税の仕組みがよく分からないそうで」

「亀の歩みねぇ」

「大きな一歩です。残念ながら」



『おい! ゴイル侯! なぜそんな勢いでバツ印をつける!? 俺がその答えを出すのにどれだけかかったと思っておる!? や、やめろ! せめてその問題だけはマルをつけろ!』

『ここの問いを誤っているものがこちらを正答できるはずがないでしょう。陛下。私とて限られた時間の中で陛下の遅すぎる勉学を見て差し上げているのです。せめて採点くらいは手早くさせていただかなければ』

『ぬ。ぐ。ぐ。おのれ忌々しい……。そもそも何故小数だの百分率だのとややこしい数字が存在するのだ……。普通に1234で数えればよいではないか』

『この調子では、夕餉のメニューも一品抜かなければなりませんな。いやはや、食費が節約できて助かりますよ』

『ゴイル侯! 何から何までメイド長のようなことを言いおって! 貴様、最近俺が誰だか忘れておらんだろうな!?』

『なれば陛下。ご自身の出自に感謝なさるがいい。もしもあなたがゴイル家に生まれていたら、とっくに脳味噌を弄り回されておりますぞ』



「いや。なに仲良くなってんのよ」

「さあ。なにかゴイル侯にも思うところがあるのでしょう」


 あの日のあと、屋敷に戻った陛下は何を思ったかゴイル侯に勉学の教えを請うた。

 確かに遺憾ながら、国政に関わる勉学において、私が用意できるどんな師よりもゴイル侯の知識は深い。適任かと言われれば否やと答えたいところではあるが、当人同士のやり取りに口を挟めるはずもなかった。


 そういえば、先日は話の合間に聞き流してしまったが、やはり私たちに対するゴイル侯の恨みはまだ消えていないらしい。

 ミソノ様はしょっちゅう罠を仕掛けられるそうだし、私も先日、寝所に毒蛇を放たれた(毒腺を除いて干物にさせてもらったが)。それでいて表向きは友好的な態度を取ってくるのだから恐ろしい。

 今回グリフィンドルに対して行っている秘密裏の破壊工作は、彼の人脈と物資がなければ成り立たない。それが分かっているからこそ、ミソノ様も彼を排斥するわけにはいかないのだ。まあ、実のところミソノ様も彼の周囲の人材を引き抜いたり流通にちょっかいをかけたりと、水面下の蹴り合いは続けているらしいのだが。


「ミソノ様」

「なに?」

「侵攻はいつ頃再開されるでしょうか」

「……予測としては来月初め。一応、ギリ間に合う計算で準備進めてるけど」


 この時。

 私は奇妙な『平和』を感じていたのだ。

 あの陛下が自主的に勉学に励み、王宮はかつてなく一致団結している。

 

 このまま何事もなく冬が明け、弱体化したグリフィンドルが侵略を断念してくれたなら。

 そんなことを夢想してしまったのだ。


 そんなことが、あるはずもないのに。

 悪には必ず裁きが下る。

 歪みはいずれ正される。


 それは、雷鳴のように峻烈で、虹のように禍々しく、神話のように厳かな、正義の刃。



 かつて私たちが駐留し、白龍を退けた最前線の砦――ホラスたちが向かった砦が、グリフィンドルの勇者によって壊滅したとの報が齎されたのは、その日の夕のことだった。

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