3-4

 先日、陛下は屋敷の中でゴイル侯とこんな会話をしたらしい。


「聞きたいことがある」

「なんでございましょう」

「貴様は俺のことをどう思っておる」

「我らが帝国スリザールの国主。国王陛下にございます」

「……俺が王宮にいる時、メイド長以外の誰も俺に仕事をせよとは言わなかった。俺は外交官の名前も騎士団長の名前も知らん。最近になって財務卿と法務卿が馘になったそうだが、そんな奴らがいたことすら知らなんだ」

「そうでしょうな」

「俺は、名前も知らん男に言われるがまま判を押した書類になにが書いてあったのかを知らん。そんなことは俺が気にすることではない、と。俺はただ民たちが献上する酒と女を楽しんでいればよいのだと、そう言われてきた。全ての民はこの俺が治める国の臣民。俺を敬服し、俺を愛し、俺に安楽な暮らしを提供する義務があるのだ、と。俺は、そう言って俺に甘い言葉を吐くものが『忠臣』なのだと思っていた。やつらが自分でそう言ったからな」

「ええ。そうでしょうとも」


「ビンセント・ゴイル侯爵」

「おや。私などの名前を憶えて頂けたのですか。恐悦至極にございますが、残念ながら、私はもう公的には『侯爵』ではございません。昨年に、貴族籍を剥奪されておりますのでな」

「知っている。俺が、その勅書に判を押したのだな」

「ええ」

「俺を恨んでいるか」

「いいえ」

「俺に復讐したいか」

「いいえ」

「それは何故だ」

「端から、貴方になんの期待もしていなかったからでございます。貴方は何も知らず、何も考えず、何も疑わず、言われるがままに判を押しただけ。そんなものは、印璽そのものと何の違いもない。ただの道具にございます。そもそもその道具、他ならぬ私が何度となく使わせて頂きました。私が恨み、憎み、復讐の機会を伺っているのは、その道具を私に向けた三人の悪党と、その引率者ですよ」


「もう一つだけ聞かせてくれ」

「なんでしょう」

「お前は『忠臣』か?」

「陛下。私のような家臣のことを、普通は『佞臣』と呼ぶのです」



 恐ろしい会話であった。

 もしも仮に、一月前の陛下にそんなことを話せば、一体王宮の人間の何人が斬首刑に処されたか想像もつかない。

 そして、そんなことはゴイル侯とて百も承知だろう。彼は、今の陛下ならばその話を受け止められると判断したのだ。



「メイド長。俺はなにものだ?」



 その、鉛のように重い問いかけに、私は向き合わねばならなかった。


 陛下がボトル・ベビーや傭兵たちと一日を過ごしたというのなら、当然ながら気づくだろう。彼らの誰一人として、国王など必要としていないことに。

 浮浪児たちは自分たちが日一日を生きるのに必死で、国政のあれこれなど気にしている余裕はない。傭兵たちも組合として貴族の庇護なしに自力で運営できるだけの力は備えている。仮に王宮から傭兵稼業の免状を取り消されたなら、そのまま外国に流れればいいだけだ。


 陛下は、ゴイル侯と聖堂で出会った際、彼こそが『忠臣』というものだと言った。その時にゴイル侯の感情の色を見てそう言ったのだとしたら、当然その後の彼との問答によって気づいただろう。今まで陛下が『忠臣』だと思っていたものたちが全て、自分を道具としてしか見ていなかったことを。


 そして今日、ほんの僅かな時間でも、『国王』として今の王宮を闊歩したなら、気づいただろう。今の王宮にいるものたちが陛下に向ける感情が、それまでのものとまるで違っていたことに。それを向けられているのが、本来は自分ではなく、詐欺師の男であることに。


「メイド長。帝都で生きる浮浪児たちのことを、樽なしの瓶ボトル・ベビーというそうだな」

「……はい」

「言いえて妙ではないか。樽という過程を経ずにそこにある瓶。由来を持たず、出自を持たず、親を持たず、そこにある子供。……なあ、メイド長。それはまさに、俺のことではないか」


 私が黙り込んだのを見て、ミソノ様とレンタロウ様が吐息を一つ零した。

 それを察した私は彼らを目で制し、控えてもらった。

 きっとミソノ様ならば、また何か露悪的なことを言ってその問いを有耶無耶にするのだろう。

 レンタロウ様ならば、それこそ口八丁で陛下を騙し、その悩みを有耶無耶にするのだろう。

 ウシオ様は……まあ、筋肉を鍛えさせるのだろう。


 しかし、今その問いに答えなければならないのは、私だ。

 貶めるのもなく、騙すのでもなく、ましてや殴り飛ばすのでもなく。

 私は陛下を使役つかって、私の大事なものを守らなければならない。


 陛下に、国王として在ってもらわなければならない。


「陛下。ボトル・ベビーの呼び名には、もう一つ意味がございます」

「意味? なんだ」

「その瓶にラベルを貼るのは、自分自身であるということです」

「どういうことだ」

「私は、今はもう没落した貴族の男に帝都の裏路地から摘まみ上げられ、娼婦としてこの王宮に来ました。しかし、私に娼婦は務まりませんでした。だから私は、メイドとしてのラベルを自分に貼りました。そして今は、この通り、メイド長と皆に呼ばれております」

「…………」

「同じように、私より先に裏路地より這い出し、騎士としてのラベルを自身に貼ったものがおります。彼は今や師団長に昇りつめ、護国の盾としてこの国にその身を奉じております」

「そうか……」

「陛下。全ては可能性です。この男、レンタロウ・クスノキは、誰にでもなれる代わりに、誰でもございません。自分がなにものであるか分からないのであれば、それを決めるのは、自分自身でございます」

「俺が、決める……」


 私の言葉に、一体どんな感情の色を見ただろう。

 陛下はそのまま俯き、この一週間ですっかり荒れた自分の掌を見た。

 握り、開く。

 その目に何が映ったか、私に分かるはずもない。


 ただ、私が今まで聞いたこともないような、か細く、弱々しい声で――。


「メイド長」

「はい」

「……すまなかった」

「いいえ」


 その謝罪が何に対してのものなのか、やはり私には分からない。

 その後、陛下は終始黙り込んだまま、ゴイル邸へと帰って行った。

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