3.樽なしの瓶

3-1

 初日。

 屋敷から拐かされた陛下は、帝都の寒空の下、薄汚れた路地裏で目を覚ましたそうだ。

 そこは、上流階級の市民たちが住まう区画からは程遠い、帝都の暗がりが濃く蟠る場所。誰に助けを求めようと、手を差し伸べるものなどいはしない。


「おい! ここはどこだ! 貴様、屋敷にいた女だな! ふざけるなよ。俺が誰だか分かってるのか!? 俺をどうするつもりだ!」

「あっっっらぁぁああ??? 教えてほしい? ねえ、教えてほしいの? あんたが今どこにいて、これからどうなるか、本当に教えてほしい?」

「ぬぅ!? な、なんだ貴様。まさか本当に俺が誰だか分からないのか!? 何故俺にそのような口を利く!」

「あっはははははは。あんたが誰かですって? 知ってるわ。知ってるわよぉ。よぉぉくねぇ」

「そ、その不愉快な喋り方を即刻やめろ! メイド長! メイド長はどこだ!?」

「ざぁぁんねんでした。だあれも来ないわぁ。あんたはねぇ、売られたのよ!!」

「!?!?」

「ねえ。あんたがいくらで売られたと思う? 銀貨30枚よぉ? あっははははは。可愛そうにねぇ。あんたは今から餌になるの。脂のたっぷり乗った健康に悪そうな餌にねぇ」

「な。ぎ。え。お――」

「あっららぁぁ~? もう言葉も喋れなくなっちゃった~? ほらシオ、食べていいわよ!」


「オレ オマエ クウ」


「ひ。ひぃぃぃぃぃ!! なんだ! なんだこいつは! なぜ下履きしか履いておらんのだ!? 近づくな! やめろ! おい! 誰か!」

「ほらほらぁ、早く逃げないと大変なことになっちゃうわよぉ?」

「オマエ アタマ マルカジリ」

「やめろぉぉぉおおお!!!!」

「あっははははははははははは」



 概ねこんな感じのスタートであったらしい。

 コミュニケーションの基本は相手の心を折るところから、というのが彼らのやり口なのだ。

 その後、陛下は帝都の裏路地を駆けずり回って筋肉剥き出しの大男から逃げ続け、有り余っていた脂肪を燃焼させた。


 そして、翌日には――。


「げっほぉぁ! ぐ! げほっ。ごえっ な、なんだこのワインは!? 何か入っているぞ!? おのれ俺に何を飲ませた!? というか、まずいまずいまずい! ホントに何だこれは!?」

「あん? なんだ、知らねえのか。絞り滓がまだ残ってんだよ。歯で漉して飲むんだ」

「なんだと!? おいウシオ。なぜ滓を取り除かんのだ? これでは飲めん」

「安いやつは大体そうだ」

「ぐ。ぬ。ぬ。この俺にゴミ漁りをさせた上にこのような泥水を……。おいミソノ! 貴様本当にただでは済まさんからな!?」

「うっっっっっっさいわねアンタがどうしても酒が飲みたいっつうから調達してきてやったんでしょうが愚図。ドブ攫いも靴磨きも荷運びもできないくせに偉そうにしてんじゃないわよ愚図。さっさと飲み干してそれの分働きなさいよ愚図」


 陛下は今更ながらに自己紹介をした二人の悪党から、社会見学と称して帝都の住民の暮らしを順繰りに見て回らされたのだそうだ。まずは下からということで、一日がかりでボトル・ベビーたちの生活について回った。


「なー。ミソノ。この偉そうな兄ちゃん誰? いい加減教えてくれよ」

「言ったでしょ。世間知らずのお坊ちゃんよ。もう二三日預かるからしごいてやって」

「え~。この人全然役に立たねえじゃん」

「おい! 貴様ら俺が誰だか本当に分からんのか!? 貴様らのような薄汚い幼児たち――」

「うっせえ雑魚!」「ざーこ!」「役立たず!」「不細工!」「短小!」「ミソノと結婚しちゃえ!」

「おいコラ最後の言ったやつ誰!?」


「ゴラァ!! クソガキども!! ワイン返しやがれぇ!!」

「やば。ずらかるわよ!」

「「「散っ!!」」」

「!?!? な。な。ま。まさか。こ、これ。盗品――」

「あんたも逃げるんだよ!」

「待ちやがれぇえ!!!」

「ひぃぃぃ!!!」


 

 また別の日には――。



「おぃぃぃ!! おい! ミソ! ミソノ! なん、なん、これ、こ。な」

「そのテンパると語彙崩壊するのいい加減治しなさいよ」

「ふじゃけるにゃ! なんだこいつは!」

朱兜バーミリオン・ベア。この国じゃポピュラーな熊型モンスターで、名前の由来になった朱色の頭毛部に魔力を蓄えてるわ。冬眠に失敗した個体がこうして里山を荒らすのを討伐するのが傭兵組合の年中行事の一つなの」

「なぜそいつが俺を襲おうとする!?」

「あんたを餌におびき寄せたからよ」

「なぜウシオは素手でこいつと殴り合っている!?」

脳筋シオだからよ」


 傭兵組合の魔獣討伐モンスター・スレイに同行させられ、冬の里山で簀巻きにされて吊るされたらしい。

 そして――。


「おう兄ちゃん! お疲れさん!」

「いやぁ災難だったなぁ。ほら食え、あったまるぞ」

「む。む? これは、なんだ。スープ?」

「熊鍋だよ。このクエスト終わった後はこうやってみんなで鍋囲むんだ」

「くま……!? さ、さっきのモンスターか!?」

「しっかしあんた、朱兜討伐の餌にされるなんざ、なにやらかしてそんなペナルティ食らったんだ?」

「ペナルティだと!? 逆に聞きたいわ! 俺が一体何をしたと――」

「あーあー。いいんだいいんだ。悪かったな、詮索して。ま、あんだけ怖え思いしたんだ。ほれ、一番美味えとこ食いな。いやぁ、こっちも助かったぜ。あいつは戦いやすいとこにおびき寄せるのが一番苦労するんだよ」

「む。あつ。む? はふ。む!? な、なんだこの暴力的な旨味は……!? は、初めて食べる味だ……。これはどこの肉なのだ?」

「睾丸だな」

「ぶぼぉっ!!」

「「「ぎゃっはははははは!!!!」」」


 ゲテモノ料理を振舞われた上、傭兵の男たちの宴に付き合わされ、しこたま悪酒を飲まされて酔い潰された。


 ……ここまでで、半分だそうである。

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