2-4
それから一週間、私の生活は実に平穏に過ぎていった。
今の王宮には足の蹴り合い引っ張り合いで仕事を邪魔する大臣も騎士団長もいないし、彼らによって鍛えられた優秀な官僚たちも十分な休息を取りつつベストなコンディションで仕事ができる環境が整っている。
そして何より、陛下がいない。
毎日定期報告は貰っており、陛下がどこで何をしているかも把握はしているのだが、とにかくこちらに任せておけというミソノ様とウシオ様によって、私はこの件に一切関わらせてもらえなかった。
今まで何度となく夢想した「今陛下に邪魔をされなければ」、「今日一日だけ陛下が大人しくしていてくれたら」という願いがいざ現実のものとなってみると、改めてその効果に戦慄を覚える。たった一人の人間がいなくなるだけで、なんと仕事が軽くなることか。
休戦状態とはいえ戦時中に間違いはないので、仕事の量が減っているわけもなく、むしろ平時よりは間違いなく忙しいのだが、余計な邪魔が入らないだけでこんなにもスムーズに内政というのは回るのかと、蒙を啓かれた。
隈の取れた官僚の男から「たまにはメイド長も休まれてはどうか」と午後の半日を休暇として王宮を放り出されたときは、しばらく呆然としてしまった(最近は半休制度なるものが浸透しつつあるのだ)。
仕方なしに傭兵組合の屯所や、知人の運営する娼館、ボトルベビーたちの寝床に顔を出し、何か困っていることはないかと聞いて回ってみたが、当然大小諸々どこでも問題は抱えているのだが、それは彼らが自分たちで解決できることだし、するべきことだ。
せめてこれくらいは、とボトルベビーたちに薪と保存食を押し付け、あてどなく帝都をふらついていると、路地裏から声をかけられた。
「おやおや!? HAHAHA! そこにおわすは麗しのメイド長じゃないかね! やあ、これは奇遇だ。宜しければお茶でもいかがかな?」
「……ホラス?」
そこにいたのは、顔馴染みの騎士の男だった。
いや、よく見慣れていたその顔には、大きな創傷が目立っている。
彼と最後に会ったのは、私が三悪党を追ってホグズミードへ発つ前のことだ。彼は彼でその後当然別の戦場に向かっており、私が帝都に帰り着いたときもまだ最前線の砦に駐留しているという話だった。
「
「うむ。つい先ほどね。10日程でまた出発だが」
「そうでしたか……」
「会えてよかった。健勝なようでなによりだ」
そのまま、いつぞや三悪党と一緒に入ったバーで、顔を見なかった間のあれこれを互いに報告しあった。
長い話になった。ホラスが元々所属していた第八師団の師団長に昇進していたことは知っていたが、やはり苦難も多いようだ。戦地をいくつか渡り、武勲も増えたが、古い仲間を何人か失ったと聞いた。
私はといえば、当然陛下の身の回りのことなど教えられるはずもなく、最近の王宮で、みなの仕事が順調に回るおかげで逆に調子が狂っているなどと、戯言にもならないことを自嘲気味に話すのがせいぜいだった。
しかし――。
「ふむ。ところでメイド長。先ほど陛下に謁見してきた」
「そうでしたか。……驚かれたのでは?」
「いや?」
「そうですか?」
「あれはレンタロウ君だろう?」
「な」
「やはりか」
一瞬、思考が停止した。だが、確かに騎士団の中でホラスだけはレンタロウ様の変装に気づく可能性があったのだ。
いつの間にか、彼の表情から笑みが消えていた。
紫紺の瞳が、鋭く私を射抜いていた。
「このこと、誰かに――」
「言っていない。まずは貴女に確かめたかった。貴女が関わっていないはずはないからね」
「私を、処断しますか?」
「貴女がそれを望むなら無論そうしよう。だが、まずは次の質問の答えを聞いてからだ」
「……はい」
「本物の国王陛下の御身は、無事だろうね?」
ここまで聞かれては、洗いざらい話すしかなかった。
ホグズミードで三悪党たちを味方に引き入れたこと。
白龍騒動の真相。
この戦争に勝ち抜くには、王宮を抜本的に改革するしかなく、そのためには本物の陛下にしばらくお隠れになってもらう必要があったこと。
「メイド長。それは違う」
「は?」
「必要があった? 違うだろう。そちらのほうが簡単だったからだ。確かに財務卿と法務卿の暗躍は知るものはみな知っているところ。彼らがいる以上国政は自由に動かせない。だが、ならばそれを真に裁くのは陛下御自身でなくてはならない。それが道理だ」
「しかし――」
「確かに困難な道だ。だがそれが正道だ。国王をお諫めし、正しい道を歩んでもらうよう扶けるのは臣下の務めだ。メイド長。貴女の立場でそれをなすことが難しかったことは承知している。それこそ、今回失脚した大臣たちがそれを許さなかっただろうことも。だが、貴女がミソノ君たちの力を借りることが出来たのならば、あるいはそれも可能だったのではないのかね」
言葉の刃が、私の心臓を貫いた。
「私は……」
私は、自覚が足りなかったのではないか?
たとえ汚泥に塗れた道を歩もうとも、私の守りたいものを守るため、悪党たちの力を使役することを選んだ。
だが、そこから先は?
彼らの力を使うことで、その方法を彼らに任せることで、その悪徳の所在を彼らに押し付けていたのではないのか?
私は振り回されているだけだと、一人苦労人のような立場を演じて。
「メイド長――」
「ホラス」
その、一瞬で。
頭の中の靄が晴れた。
私の顔色が変わったのだろう。こちらを見るホラスの目が、驚きと戸惑いの色を宿す。
「陛下は現在、ウシオ様と行動を共にしています。翌日には屋敷にお戻りになる予定です。この戦争が終わった折には、元の玉座へとお戻りなるでしょう。その時には、私は王宮を去ります。全て、なかったことに」
「待ちたまえ、メイド長。僕はなにも――」
「ホラス。会えてよかった」
「待――」
ティーカップを置き立ち上がった私を、ホラスが引き留めた。
その傷だらけの手を、引き剥がす。
「ホラス。今の私は、『悪党の引率者』です。もう、関わらないほうがいい」
言葉を失ったホラスを置いて、店を出る。
いつの間にか夕闇は藍色が濃くなり、今にも日が没しそうであった。
ああ。
いい休暇だった。
さあ、私の戦場に戻ろう。
そして。王宮に戻った私が仕事を終えた官僚たちに感謝の意を伝え、明日の予定諸々について確認をしていると、その場に国王陛下が現れた。
「戻ったか、メイド長」
「はい。陛下におかれましても、突然の暇をお許し頂き、ありがとうございました」
「よい。それよりメイド長。茶の支度をせよ」
「かしこまりました」
それは、レンタロウ様が奥室へ引っ込むときの合図だ。
豪奢なマントを揺らし前を歩く陛下に続き、私も王宮の最奥へ続く廊下を渡る。
「どうしたメイド長。顔色が優れんようだ」
「いえ。大したことは……」
「そうか」
そして辿り着いた、
まさか。
そんな。
いや。
しかし……。
それでも、一度想起された考えは消えず、私は恐る恐る、先に入室した陛下に問いかける。
「……陛下?」
「なんだ」
「陛下なのですか……?」
ここ数日でようやく見慣れた、レンタロウ様の扮した陛下の顔。
それが、水面に波紋を広げたように、揺らいだ。
そして。
「おい! どうなっているレンタロウ! 言う通りにしたのにバレたではないか!」
「あはは~。やっぱりサっちゃんには通じなかったか~」
「はい私の勝ち~。シオ。あんた次の仕事行くときちゃんと勇者の鎧着てきなさいよ」
「えええ~。あれ動きづれえよ」
ぞろぞろと。
悪党たちが現れた。
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