2.君が僕を知ってる

2-1

「メイド長! この女を斬首しろ!」


 口角泡を飛ばし、国王陛下が私に詰め寄った。

 その震える指先の指し示す先には、教会製の真白いローブを身に纏ったミソノ様の姿がある。

 遠目に見てもその全身から不機嫌なオーラが滲み出ているのが分かる。


「なんなのだ、あやつは! この俺を誰だと思っている!?」

「この俺がせっかくその貧相な体を抱いてやろうとしたのに、俺の腕を振り払ったのだぞ!?」

「それどころか訳の分からん質問攻めを始めてこの俺を愚弄した!」

「ふざけるな! この国の人間が何故この俺に従わん!」

「この俺を崇め! 讃え! 服従するのがお前たちの役目ではないのか!?」


 ああ。

 なんというか……。


「ふぅ」

「なぜ溜息を吐いた!?」


 いやいや、全く。

 ここのところ、レンタロウ様の扮する国王陛下に接することの方が多く、いまだに慣れ切らないせいで四六時中どこか落ち着かなかったのだが、こうして改めて、耳慣れた幼稚な癇癪を聞くとどこかほっとしている自分に気づく(重症)。


「陛下。残念ながらその者は陛下の臣民ではございません」

「そんな者がいるわけがなかろう!」

 いや、いないわけがないだろう。


「その者は異世界からの来訪者ヴィジターにございます」

「び、びじたあ? なんだそれは」

「我々の住まうこの国、この世界とは異なる場所から境を超え――」

「や、やめろ! また意味の分からんことを言って誤魔化そうとしているな!? ええい騙されんぞ。とにかく斬首だ! 斬首斬首斬首!」

「斬首といえば、陛下。昨年に陛下のご命令で龍涎香アンブル・グリを調達した際に飛竜の頸を落としたのですが、その際の功労者が来訪者であり、今代の勇者でして」

「勇者! おお。その者はどこにいる。話に聞くばかりで一向に俺の元へ来んではないか。俺も見てみたいぞ」

「現在、敵国の軍を殲滅するための極秘任務中にございます」

「おお。よいぞよいぞ。早く結果を持ってこい。ここの暮らしも悪くないが、やはり王宮のメイドたちもたまには抱いてやらなければな」

「そうかと思いまして、本日は何人かのメイドを連れて参りました」

「誉めてつかわす!」


 そうして、私の後ろからメイド服を着た女たちが数人現れ、相好を崩した陛下の元へと寄っていく。

「陛下~」「会いたかったです~」

「おお。よく来たな、お前たち。俺も会いたかったぞ」

 一瞬で先ほどの激昂を忘れ、そのまま屋敷の奥へと歩み去った陛下と女たちを見送った私の隣へ、仏頂面のままのミソノ様が並び立った。

 軽く眩暈を覚え、目を伏せた私に、つまらなそうな声がかかる。


「ね。言った通りでしょ?」

「そうですね……。まさかこれほどとは」


 あの女たちの中に、


 彼女たちは、全てゴイル侯が手配した奴隷上がりの娼婦たちだ。

 別にレンタロウ様が変装を施したというわけでもない。顔だって屋敷のメイドたちの誰とも似ていない。陛下はそれに、全く気付く様子がなかった。


「つまり、本当に、陛下は――」

「ええ。さっきテストしてはっきりしたわ。あんたの国の王様、『相貌失認症』よ」





 一月前。


相貌失認症プロソパグノジア?』


 それは、脳の機能障害によって人の顔が認識できなくなる症状なのだという。

 その症状を持つ人は、たとえ何度顔を合わせ、言葉を交わした相手だろうと、それを他の顔と区別することができない。つまり、人の顔が覚えられない。


 ミソノ様からその単語を聞いたときには、信じ難い気持ちと、どこか得心のいく気持ちが半分ずつだった。

 きっかけは、レンタロウ様が王宮を内側から作り直す間、本物の陛下を匿う場所をどうするかという話題のときであった。

 ゴイル侯爵が隠れ潜む屋敷にそのまま置いておけばいいのではないかと言ったミソノ様に、ゴイル侯から待ったがかかったのだ。


『忘れているようなら教えて差し上げますが、私はあなたたちの策略で王宮を追われているんですよ。国王を匿うなら私が出ていかねばならなくなる』

『じゃあ出ていきなさいよ』


 それを聞いて、私は言いにくいことを言うしかなかった。


『いえ。ゴイル侯。恐らく陛下は、あなたの顔を覚えていらっしゃらないでしょう』

『…………は??』


 ゴイル侯爵といえば、表向きには国の南部の防備や国全体の経済に関して多岐に渡る仕事をこなした重鎮だ。当然王宮にも頻繁に出入りし何度も陛下に謁見しているし、菓子やら酒やら女やらの献上も数知れず行っている。

 普通の感覚なら、相手が自分の顔を覚えていないとは思うまい。

 しかし、近衛騎士の師団長の顔すら定かでない陛下にとって、ゴイル侯の顔などそのあたりで道端を歩く老人と区別もつかないだろう。


 それを聞いたミソノ様とレンタロウ様が、ひょっとして、と言って先の症名を挙げたのだ。


『あんたの王様、頭の後ろとか怪我したことない?』


 ある。

 あれはまだ、私がメイドとして彼に仕えたばかりの頃、第二王子であった陛下は、当時まだ存命であった兄君と諍いを起こし、石畳で後頭部を強打したのだ。大量に出血し、あわや命も危ぶまれたが、王宮お抱えの癒術師によって無事回復した。

 今でもまだ、あの金髪の下には、当時の傷が残っているはずだ。


 まさか、その傷が原因で、障害を……?


『そんなことが……。いや、しかし、ふむ……。ああ、ミソノ嬢。そういえば、ちょうど西国から珍しい菓子が手に入りましてな。お一ついかがですか?』

『早速私で人体実験しようとしてんじゃないわよ。言っとくけど、外科手術で人為的にその症状作るのは無理よ。私らの世界でも脳の構造なんてほとんど解明できてなかったんだから』

『ふむ……』


 いつも通りにどこまで本気か分からない小競り合いを始めた悪党たちを横目に、私の内心は大いにざわめいていた。

 ほとんど忘れかけていた記憶が連鎖していく。



『やめろ! そいつは僕のメイドだ!』

『うるさい。俺より後に生まれた分際で!』



 そうだ。

 あの時、陛下は私を連れ去ろうとした腹違いの兄に歯向かい、突き飛ばされて頭を打った。


 つまり。

 つまり、陛下が人の顔を覚えられなくなったのは――。



『私が、原因で……?』

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