interlude

1

 聖歴131年、空の月。

 

 年が明け、一月後。私はようやく帝都の王宮へと帰りついた。

 思い返してみれば、私が宮仕えを始めて以来、こんなにも長い間王宮を離れたのは初めてだったかもしれない。昨年末に無理やり抜け出してトラバーユへと向かって以来、実に丸二か月間留守にしていたことになる。


「どうかした~、サっちゃん? いつにも増して顔が暗いけど」

「いえ……。なんでも」


 嘘だ。

 怖い。

 ああ、怖い。

 一応、出立前に精一杯の備えはしておいたが、あの時はこんなに帰還が遅れるとは思っていなかった。私がいない間に王宮がどんな惨状になっているか、想像するだけで膝が震える。


「ちょっと、サク。帰ったらあんたの居場所なくなってました、とか勘弁してよ? 一から策練り直しになっちゃうじゃない」

「一応、定期的に書簡のやりとりはできていましたから……」


 むしろ私の居場所をなくしていてくれたらどんなに楽だろう。

 思考の端にでもそんなことを考えてしまう自分が怖い。

 柄にもなく緊張しているのだ。自分がこれから為すことの大きさに。

 だが、今の私には自らに課した使命がある。


「なあサっ子。あそこに引っかかってるバカデカい盾、ウェイトに使っていいか?」

「良いと言うと思って聞いてます?」


 半年前の波の月に初めて出会ったときよりも、さらに傷跡を増やした脳筋男の無邪気な声に、私は内心で溜息を吐いた。


 この一か月は、まさに激闘の日々だった。

 白龍ホワイト・ドラゴンを山へと追い返し、無事に大寒波を迎えた国土を東から西へ横断し、グリフィンドルが最後の足掻きに落そうとしている砦を片っ端から救っていったのだ。今敷いている防衛網をどれか一つでも落とされたまま冬を越しては、その後の戦況にかなり大きな悪影響がある。


 白龍との闘いで、生きているのが不思議なほどの重傷を負っていたウシオ様は、あらかじめ手配しておいた僧兵たちの癒術によって無理やり回復させられ、わずか五日で戦線に復帰していた。

 東端砦の生き残りと、各地の教会から派遣された僧兵、そして、ゴイル侯の私兵。

 ミソノ様はこの寄せ集めの集団を指揮し、全ての敵戦力を一時撤退に追い込んだ。


 ただ、たとえどんな名将が率いようと、どれだけ強い兵が一人だけいたとしても、普通に戦をしたなら彼我の戦力差は明らかだった。普通に戦をしたならば。

 闇討ち。兵糧攻め。毒殺。買収。誘拐。脅迫。etcetcその他諸々...

 連日連夜、実に活き活きと会議を行うミソノ様とゴイル侯によって実行に移された作戦の数々は、とても正規の記録には残せない。ましてや、その立役者となった、詐欺師の少年の存在など……。


 それを知らぬものからすれば、私達の戦績は奇跡としか思えなかったのだろう。三つ目の砦の窮地を救った時には、いつしか黒髪の若者二人の名前は兵士たちの間に広く浸透していた。


 縦横無尽に戦場を駆け抜け、数多の武器を操り、千騎を下した無敗の勇者。

 曰く、万夫不当ジ・インビンシブル


 そして、常に敵の先手を取り、百発百中の策で戦場の盤面を支配する未来視の聖女。

 曰く、天網恢恢アイズ・オブ・ゴッド


 二か月後、雪解けの花の月まで、なんとか休戦状態に持ち込めたところで、私たちは戦略規模での戦争に移るため、帝都まで帰還するくだりとなったのである。

 現状反逆者の身分であるゴイル侯は当然のように用意してあった自前の隠し別荘に身を潜め、その間に王宮内での聖女――ミソノ様の地盤固めを進行。この厳冬の僅かな猶予期間で、反撃の準備を整えなければならない。


 そして、そのためには……。



「「「お帰りなさい、メイド長!!!!」」」

「!?」


 緊張に震えながら王宮へ戻った私を迎えたのは、若いメイドたちによる全力のタックルだった。

 王宮の入口で、床に押し倒された私を押し潰さんばかりにメイドたちが群がってくる。


「メイド長~~~」「よかった~~生きててよかった~~」「うええええ」「寂しかったです~」「私たち心配で心配で」「ホグズミードが落とされたっていうから、てっきりメイド長も巻き添えになっちゃったかって」「でも連絡は来るから」「めちゃくちゃ簡単な連絡しか来ないから~」「べいどじょ~~」

 私の服はあっという間にメイドたちの涙でぐしょぐしょになり、私は強打した背中の痛みとメイドたちの重みで身動きが取れず、ようやく見かねた官僚たちがメイドたち一人一人を引き剝がすまで、たっぷり5分ほどはかかった。


 その官僚たちにも、「よくぞご無事で……」などと感極まった声をかけられ、私は大いに困惑し、それと同時に、体の端々から緊張と躊躇いが抜けていくのを感じていた。

 そうだ。

 私には自らに課した使命がある。

 私の手に届く限りの、仲間たちを救う。

 そのために切り捨てなければならないものがあるのなら、それを為すのは、三悪党でもゴイル侯爵でもない。私自身でなくてはならない。


 王宮のことは後でもいいからまずは体を休めろと、みなが口々に言うのをやんわりと振り切って、私は国王陛下に謁見を求めた。



「ふん。生きていたのか、メイド長」



 酒焼けしたダミ声で、不機嫌そうにこちらを見下ろす男――二か月ぶりにまみえる主君の姿を、礼儀を失しない程度に観察する。

 少し、肉がついただろうか。食事の管理も、さぞや杜撰になっていることだろう。肌荒れを隠す化粧も濃く、雑になっている。


「今更のこのこと戻ってきてなんのつもりだ? 仕事を放り出して勝手に遠征軍に引っ付いて、寄こした報告が既に街は落とされた後でした、だと? そのくせダラダラと二月以上もほっつき歩いて、まだ貴様の居場所がここにあると思っているのか?」


 なるほど、私に文句をつけるセリフを頑張って覚えておいたらしい。

 その瞳は真っすぐに私を見下ろし、日頃口うるさい私が犯した失態を叱責することで悦に浸っているのがよく分かる。

 この世の全てに保証された自分の権威。

 通ることを約束された自分の主張。

 そう信じているからこその、曇りない眼。


 久々に見て、改めて似ていると思う。

 あの、瞳に晴天を映した異世界の若者に。


「ふん。今日という今日はメイドや大臣たちがなんと言おうと貴様を赦すつもりはないぞ、メイド長。さっさと荷物を纏めて娼館にでも働き口を探しに行くがいい」


 なるほどなるほど。何としても私の口から『どうぞ貴方様のお傍で働かせてくださいませ』と言わせたいらしい。

 それを言ってこの男の気が収まるなら吝かでもないが、今はご機嫌取りよりも先にやらなければならないことがある。


、陛下。お耳に入れておきたいことがございます」

「黙れ。聞かんぞ」

「陛下の御身に危険が迫っておいでです」

「…………なんだと?」

「現状、敵勢力の包囲網は徐々に狭まりつつあります。この二月の間で、各防衛線からひとまず敵勢を撤退させましたが、冬が明ければ再び戦が本格化致します。それに備える手筈は整えておりますが、敵がそれを指をくわえて待つ理由もございません。もっと手っ取り早く戦を終わらせる方法を狙ってくるはず」

「……ん。んん? いや、今はお前を――」

「すなわち、陛下の暗殺でございます」

「暗殺!?」


 そう。予想外のことを言われるとすぐに焦り出すのも、かの若者とそっくりだ。

 

「〇△●◆××@%▼*!!!」

 混乱しすぎて何を言っているのか分からない、この国の最高権力者に、私はゆっくりと言い聞かせるようにして、言葉を紡いだ。


「ご安心ください。陛下の御身が損なわれることはこのスリザール帝国にとって最大の損失。そうならぬよう、こちらも手をご用意致しております」

「こ、近衛兵を集めろ。いや、この国の騎士団を全て王宮の周りに配備せよ。俺はもう表には出んぞ。貴様らとっとと敵を追い払ってこい!!」

「残念ながら、この国の兵力にも限りがございます。敵を討ちに出ること、王宮の守りを固めること、その両立は難しいでしょう」

「ふざけ――」

「ですので」


 私はそこで言葉を区切り、陛下の目を正面から見据えた。

 脅えに満ちた男の目。

 私が仕える主君の目を。


 足音が、後ろから近づいてくる。

 それを見た陛下が、息を呑んだ。

 当然だろう。自分と同じ髪。自分と同じ顔。自分と同じ体。まるで鏡から抜け出てきたかのような男が、目の前に立っているのだから。


「な、なんだ、貴様は……? お、俺??」

「影武者にございます」


 さあ。

 いまだかつてない、最大にして最悪の詐欺を。

 国と民を欺く非道の奸計を、始めよう。

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