4-2

 その日の夜。

 私は、わずかに一つランタンの火が灯る指令室で、ゴーント伯爵と向かい合っていた。


「いかにも。私が白龍ホワイト・ドラゴンを下界に誘い出した」


 今年四十を目前に控えるその男は、傲然とした態度を崩さぬまま、椅子にふんぞり返って大きな木箱を撫でた。

 室内でも決して外すことのない豪奢な鎧兜の中から、青灰色の瞳が、じっとりと私を睨め上げる。


「このまま大寒波を起こされては戦争が中断されてしまうだろう。先の会戦では腰抜けどもがまともな戦いもせずに引き上げたと聞いている。ならば戦力が足りているうちに攻勢を仕掛け、一気に敵を殲滅するべきだ。ルシウス殿は栄誉あるアイザックス公爵家の当主として尊敬しておるが、いささか慎重に過ぎる。

 分かるかね、メイド長殿。この私が総団長として指揮を執りさえすれば、我が大スリザールは安泰なのだ。見ていたまえ、まずは手始めに長年スリザールの冬を苦しめていたあの害獣を我が勇敢なる精鋭部隊が屠りさってくれよう」

「…………」


 よくもまあ、ぺらぺらと聞いてもないことを喋り倒してくれるものだ。

 その精鋭部隊とやらの練兵を見たウシオ様に「あれじゃ赤髪のオッサンの隊に蹴散らされて終わりだな」などと言われていたことなど、この男には知る由もない。

 

「東の砦が崩壊したのも、計画の内ですか?」

「まさかまさか。東砦の連中があそこまで腑抜けであったとは私にも慮外であった。しかしメイド長殿。貴殿が連れて来てくれた聖女殿の働きには感服するばかりだ。あの兵士たちは我が隊に組み込ませてもらう。彼らも仲間の敵討ちが出来ることに感謝していよう」

「……彼らに、すぐ戦線に復帰できるものなどおりません。そもそも、一伯爵家が保有できる戦力には規定があるはず――」

「非常事態だ! では私の他に一体誰がこの場を指揮して白龍を退け、グリフィンドルの蛮族どもを追い返すことができる!?」


 だから、そもそも総司令部からの指示ではここを堅守するのが貴方の仕事なのでは……?

 何故わざわざ破滅の危機を呼び込んでおいて自分がこの先の戦の指揮を取れると思っているのだ。


「ふん。そちらの考えは読めているぞ、メイド長殿」

「……はあ」


 ええ。

 もちろん、こちらも貴方の考えていることはよく分かりますよ。


「自分の呼び込んだ戦力を活躍させることで、今後の自分の発言力を増すつもりであろう。少し陛下に気をかけてもらっておるからと、端女の分際で戦場に口を出すとはな! 身の程を弁えんか!」


 一から十まで予想通りのセリフをありがとうございます。

 私とて、レンタロウ様ほどではなくとも、人の顔色を読むのには慣れている。今、この激昂したふりで私を追い返そうとしている男の顔に浮かんでいるのは、怒りでも高揚でもない。ただの焦燥だ。


 もしも、当初の予定通りに敵方の侵攻を抑える間に大寒波が起こり、戦争が中断されたとして、このゴーント伯にはどのような展開が待っているだろう。

 このスリザールという国は、実は平和な時間が一番危険なのだ。外敵があればそれに抗うことで己の存在意義を見出せる。だが、その狭間に猶予時間など儲けようものなら、胡麻油を菜種油で洗うような見るも無残な内部争いが起きる。


 ゴーント伯は、今のところ一切戦に関わっていない。

 もちろん会戦に参加し、撤退を選んだ際の将軍は引きずり降ろされ、擦り潰されるだろう。だが、彼の指揮の元にいたその他の貴族たちはこぞって自分たちの手柄を主張するに違いなく、またここより以西の防衛線では今もなお敵方の侵攻を食い止めている戦場がある。

 そんな中で、戦に乗り遅れ、誰も来ない砦でただ無為な時間を過ごした彼に、他の貴族たちから労いの言葉などがかけられるだろうか。


 痛罵侮蔑嘲弄揶揄讒言その他諸々によって彼の地位は貶められるだろう。

 彼には、何としてもこの場で武功を挙げる必要があったのだ。


 昼間、三悪党たちにこの話をしたとき、彼らは珍しく言葉を失っていた。

 かろうじて、ミソノ様から掠れた声が漏れた。

「…………やってる場合か」


 やってる場合なのだ、この国の貴族たちにとっては。

 ゴーント伯の不安は正しい。

 もしも予定通りに大寒波をもってこの冬を凌ぐ戦略が成ったとして、春を迎える頃に彼の地位は失われているだろう。この国は、そういう場所なのだ。


 ああ。

 本当に、彼ら全員の頭の上から声を降らせてほしい。

『やってる場合か』

 それを為せる唯一の人物は、戦時においてこれほど頼りにならないものも珍しいほどの暗愚。


 だからこそ。

 誰かが抗わねばならないのだ。


「ゴーント伯。私に騎士たちの戦に口を出す権利も能力もありません。ですが、東砦の兵を戦わせるというのなら、せめてこの砦を使った迎撃戦をとってください。後方支援ならば彼らも十分な戦力になります」

「はははははは! 馬鹿なことを抜かしおる。戦とは攻めてこそ。むしろ奴らには先陣を努めてもらうぞ。敵前逃亡をなした腑抜けどもめ。せめて我らの軍の役に立ってもらわねばな」

「つまり、最初からそれが狙いで東砦を襲わせたのですね?」

「言ったであろう。そちらの聖女の働きには感謝しておる。まさか一個砦が魔獣如きに壊滅させられるとはな。だが、だからこそ我が軍の勇猛たる武功が輝きを増すというもの。はっはっは。はっははははは」


 その、瞬間。

 私の中の何かが、ぷつりと切れた。


 先ほど、ミソノ様が行っていた負傷兵の選別を思い起こす。

 残念ながら、助けられる命には限りがある。

 ゴーント伯爵。あなたの頬には、私が×傷をつけよう。



「話終わった、サク?」



 少し掠れた少女の声が、大笑するゴーント伯の声を途切れさせた。

 ゆっくりと、暗い部屋の隅から小さな影が持ち上がった。


「な、き、貴様、いつからそこに!?」

 狼狽えるゴーント伯には目もくれず、ミソノ様がテーブルの上にふんぞり返って座った。

 それと反対側の書棚の影から、中肉中背の少年が。

 出入り口の扉を開けて、筋骨隆々の大男が、静かな足音と共に現れる。


「レン。

「は~い」

「シオ。使

「あいよ」

「サク」

「はい」

「…………お願いします」


 私は踵を返し、その部屋を辞した。


「お、おい。メイド長! なんだ、こいつらは!? 一体なんのつもりだ!?」

 彼の声を閉じ込めるように、扉を閉める。

 冷たく、重い扉に背を預け、瞑目した。


 怒りの声。

 激しい音。

 鈍い音。

 悲鳴。

 すすり泣き。

 哀願の声。

 音が途切れ。


 そのまま、30分ほどが過ぎただろうか。

 扉の向こうの気配を察し、私が離れると、先ほどと同じ豪奢な鎧に身を包んだゴーント伯爵が現れた。

 少なくとも、私の目にはそう見えた。


「では、参ろうか、メイド長殿。籠城戦の準備だ。貴殿にも手伝って頂きたいことがある」

「かしこまりました」


 次いで、ミソノ様、ウシオ様が部屋から出て、彼の後ろについて廊下を歩いた。


 翌朝、東砦の兵の遺体が一つ増えていたことに気づいたものは、誰もいなかった。

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