4.勇気はどこにある?
4-1
その日一日、砦は鉄火場だった。
「いいからありったけ湯ぅ沸かしなさい! 雪でも何でも融かして! 倉庫の壁片側引っぺがして薪にすりゃいいでしょ!」
昼を前に、東隣の砦から這う這うの体で逃げ出してきた兵士たちが、こちらに雪崩こんできたのだ。
その様子は、まさに惨憺たる有様だった。みな一様に傷つき、疲れ果て、あるものは指を失くし、あるものは腕を失くし、足を失くし、無傷のものは一人もいない。意識を朦朧とさせながら馬なり車なりにへばりつくようにして辿り着いたものも多く、そのうちの何人かは、素人目に見ても命が危うい。
正確な記録がないのでなんとも言えないが、恐らく砦に駐屯していた部隊の三分の一程度の人数だろう。それ以外の三分の二は、白龍に殺されたようであった。
「私が指揮を執るわ」
こちらの砦には、恐るべきことに軍医と呼べる人間がいなかった。
そして、東から逃げてきたものたちの中にも。
その状況を把握したミソノ様は、3秒ほど黙考し、そう宣告した。
「今から頬に斜め傷つける奴が緊急治療対象よ。
「自力で立てる奴は取りあえず凍傷起こしてる場所をお湯に漬け込みなさい。……徐々に温める? 何世紀前の治療の話してんのよ。いいからとっとと温めろ! 切り落とされたくなかったら痛かろうがなんだろうが絶対途中でやめるんじゃないわよ!」
「騎士道とか知ったこっちゃないのよ隊長だろうが下っ端だろうが死にかけてる方が優先に決まってんでしょこの愚図! 黙って寝とけ! 助けてやるっつってんでしょうが!」
「おい誰だ、この包帯巻いたの! 止血すんならちゃんとしろ! 余計な布使わせんじゃないわよ! ああ、もう! 針と糸熱湯に漬けて持ってこい!」
砦中に悲鳴と怒号と苦痛に耐える呻き声が満ち溢れ、中庭はまさに戦場と化した。
急に采配を振るいだしたミソノ様に戸惑いや反感を覚えるものも当然いたが、レンタロウ様の詐術のような執り成しと、仮にも当代の教皇直々に聖女の称号を与えられているという事実が兵たちを動かした。
そして、ここへ来てゴイル侯の存在が非常に役立った。彼が持ち運んでいた薬物の何種類かをミソノ様が惜しみなく使い果たし、絶望的と思われた兵士たちも、辛うじて命を繋げることができたのだ。
しかし、当然繋がらなかったものたちもいた。
「ドアホ! そいつはもう死んでる! 回復薬無駄遣いすんじゃないわよ! 助かる奴が助からないでしょうが!」
青紫色の唇になんとか薬液を飲み込ませようとする手から、瓶が引っ手繰られた。
それに追いすがる腕は、別の兵士たちによって取り押さえられ、鎮められた。
慟哭が響き渡り、やがて力尽きたように、すすり泣きへと変わっていった。
私は砦中を駆けずり回ってミソノ様の補佐に努めたが、その間にも焦燥と疑問がぐるぐると頭の中を巡っていた。
何故今年に限って白龍が人界に降りてきた?
少なくとも、ここ数十年でそんな記録はない。だからこそこの先の展開が読めない。ただ、もしもかの魔獣がこのまま進撃してきたなら、次の標的は……この場所だ。
そして、日も暮れかかる頃。
「……これ、で……よし。消化系に傷はないから、目ぇ覚ましたら取りあえず水分と塩分取らせて。次。次のヤツは?」
「ミソノ様。今の兵で最後です」
「はあ? んなわけないでしょ。まだあと二人――」
「いえ。最後です」
「……………あっそ」
私の言葉の意味を察した小さな少女が、真っ白に凍えた血塗れの両手を見下ろし、静かに握りしめた。
「……30分寝るわ。私が起きるまでに何があったのか調べといて。レン使っていいから」
「かしこまりました。ウシオ様。ミソノ様をお任せしても?」
「おう」
今にも崩れ落ちそうな矮躯を引っ掴んで肩に担いだウシオ様が、砦の中に消えたのを見て、一人の兵士が私に近づいてきた。
「サっちゃんも休んだら〜? 調べならもう付けといたから」
「残念ながら、このくらいなら体力も尽きてくれませんので。情報を共有させてもらっていいですか、レンタロウ様?」
「は~い」
初めは兵士たちの治療を手伝っていた少年の姿がいつの間にか見えなくなっていたことには気づいていた。ならば、このどさくさに紛れて情報をかき集めていたのだろうことも予想がついた。
ただ、それをミソノ様に告げては今すぐ次に打つ手の指示出しをしかねない。
鬼気迫る表情で兵士たちの命を繋ぎ、救っていった少女の姿を思い起こす。
彼女がこの砦にいなければ、もっと多くの犠牲が出ていたはずだ。
先のホグズミードでの戦で、兵士や市民たちがミソノ様を本物の聖女と認めていたことは、決して彼女の未来視としか思えぬ先読みの力によってでも、レンタロウ様の詐術によってでもなかったのだと、その理由の一端を知れた。
「じゃ、もう端的に言っちゃうけど、ゴーント伯爵がやらかしたね」
「ゴーント伯が?」
この砦の責任者であるはずの貴族の男は、そういえば兵士たちの治療中一度も顔を見せていない。まあ、彼がいたから何ができたというわけでもないのだが……。
「今、この砦の兵士たちが白龍討伐のための準備をさせられてる。こっちから仕掛けにいくつもりらしい」
レンタロウ様の声が、例の感情を失くした無機質なそれに変わっていた。
「……それは、当然、勝算があってのこと、なんですよね?」
「僕にはそうは思えなかったね。そもそも、そんな算段つけられるほど人間が白龍と戦った経験なんてあるの?」
「神話と地続きの歴史書の中でなら……」
「それにしては、幹部の人たちの顔つきがおかしい。恐れと不安はあるけど、狼狽えてる感じがないんだ。あれ、絶対前々から心構えできてたと思う。そっから先には潜れなかったから、確かなことは言えないけど、向こうの砦で馬鹿でっかい卵みたいなものを見たって人がいてさ」
「それは、つまり……」
「白龍は、たまたま降りてきたんじゃない。おびき出されたんだ。何のつもりか知らないけど」
何のつもりか、など。
こればかりは、さしものレンタロウ様にも分かるまい。
この腐りきった国の貴族が、何を考えて生きているかなど、まともな論理で導き出せるわけもない。
ああ。
本当に。
握りしめた自分の拳に、血が滲んだのが分かった。
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