3-4
《とある少年の冒険・3》
「もうやだ、帰りたい」
今にも消え入りそうな声で、田中さんが呟いた。
顔色が悪い。
目は常に半分閉じているようで、背筋は曲がり、俯いている。
移動中の馬車の中。
車の中は田中さんの魔法で快適な温度に保たれているけれど、窓ガラスは真っ白で、それだけ外との温度差がひどいことが分かる。
毛布を体に巻き付けて丸くなる田中さんの肩を、シスターが優しく抱きしめている。
「大丈夫ですよ、聖女さま。もうじき駐屯所です」
「…………」
違う。
田中さんは、元の世界に帰りたいと言ったんだ。
かれこれ一週間。僕たちはヌルメンガードの領土を四方八方に駆けずり回っていた。
散開して侵攻するグリフィンドル兵たちが次々と罠にかかり、半分は涸れ果てて死に、半分はゴキブリに憑りつかれて狂った。
僕がその兵士の首を切り落とし、それを即座に田中さんが治癒する。血を入れ替えるのだ。僕がなけなしの知恵を振り絞って立てた作戦だったけど、なんとか上手くいった。いってしまった。
そう。成功したからには、次も同じようにやらなければならない。
僕の手には、頚椎を両断したときの、ゴリっという音が染みついて、時折自分の首から同じ音が聞こえてくるような幻聴に駆られ、吐き出しそうになった。
田中さんは血の匂いが服から取れないと泣き始め、シスターが懸命に彼女を宥めた。
三日目、ようやく僕は、田中さんの能力で、この症状だけを治す魔法を作ればよかったんだと気づき、なぜもっと早く言わなかったのかと田中さんに詰られた。
その後も散発的に罠にかかる兵士たちが現れ、僕たちはそのたびに現場に駆け付け、彼らを救っていった。
そんなことをもう一週間も続けているのだ。
侵攻は遅々として進まず、グリフィンドルの兵士たちの間にも疲れが見え始めていた。
ましてや、なにをどうしたって必ず現場に駆け付けなければならない田中さんのメンタルが、もう限界だった。
「帰りたい……。もうヤダ……」
消え入りそうな声で呟く田中さんの背を、シスターが優しく撫でる。
この人は、どうして僕たちに着いて来てくれるのだろう。
ふと、そんな疑問が頭に湧いた。
確かに、僕たちは彼女の命を助けた。
凍倉さんたちに虐げられていた彼女の目には、僕たちが本物の救世主のように映ったのだろう。
けれど、彼女だって本当はとっくに気づいているはずなのだ。
僕のガワが、全て作り物なのだと。
本当は、なんの志も意思もなく、聞きかじっただけの聞こえの良いセリフを、適当に並べ立てているだけなのだと。
凍倉さんたちに逃げられて以降、シスターには散々無様なところを見せてきた。それにもかかわらず、僕たちがどれだけ格好悪いところを見せても、彼女は変わらず僕たちに着いてきて、僕たちの味方をしてくれているのだ。
分からない。
人の心の機微なんて、僕には難し過ぎる。
ましてや、こんな異常な世界のなかで、出会ったばかりの女性の心の内なんて、僕に分かるはずがないじゃないか。
……本当は、あのキレイなメイド長さんについてきて欲しかった。あんなに丁寧に僕たちの話を聞いてくれて、あんなに美味しいお茶や料理を振舞ってくれて、僕はてっきり、あの人は僕たちの味方になってくれたんだと思っていたのに。
まさか、最初から僕たちを裏切っていただなんて……。
分からないよ。
ねえ、シスター。あなたも、いつか僕たちを裏切るの?
それとも、今も心の中では僕たちを陥れようとしているの?
そんなこと、誰にも聞けるわけないじゃないか……。
「勇者どの。話がある」
例によって、赤毛の騎士隊長――ウィーズリーさんに呼ばれ、僕は駐屯所の司令部に顔を出した。
田中さんは早々に個室に引きこもり、シスターがそれに付き添っている。
「未確認の情報だが、どうやらドルニ山から白龍が降りてきたらしい」
「はあ。
「驚かぬのか?」
「……ええっと」
正直、白龍だろうが赫龍だろうが邪王炎殺黒龍波だろうが、もう大概のモンスターでは僕は驚かなくなっていた。
「そいつを討伐すればいいんですか?」
「できるのか……いや、君ならできるのだろうな……。しかし、それはもう少し待ってもらいたいのだ」
「と、言いますと?」
「勇者どのには、
ウィーズリーさんの理路整然とした説明を要約すると、こうだ。
僕たちを苦しめている二つの災厄の正体は、僕たちが追い求めているゴイル侯爵の魔導植物と薬物なのだという。そして、それを生産している栽培所がヌルメンガードの南西部にあるのだとか。
そこを襲撃して潰せば、少なくともこれ以上の被害は抑えられるうえに、何かしら彼につながる手がかりを得られるかもしれない。もしくは、二つの災厄に対処する方法も見つかるかも……。
そして、白龍の方には、せっかく敵方の砦を潰してくれたのだから、このままあちらの戦力を削ってもらいたい。ちょうどホグズミードでこちらがやられたのと同じ作戦を取ろうというわけだ。しかも、その後で僕が白龍を討伐できれば、この後訪れる大寒波を食い止め、侵攻を続けることができる。
「……わかり、ました」
完璧な作戦に思えた。
僕如きが口を出す隙などミリも見当たらない。
もう僕、この人の部下ってことにして働いた方がいいんじゃないだろうか……。
俯き加減に作戦の詳細を確認し、司令部を出ようとした僕を、ウィーズリーさんが引き留めた。
「なあ、勇者どの」
「はい」
その、勇者どのっていうの、いい加減やめてくれないだろうか。どうせ、僕のことなんて微塵も認めてないくせに……。
「吾輩は今から、最低なことを言う」
「はい?」
その声は、いつも威厳に満ちていた彼の様子からは、随分と様子が違っていた。
「正直、これは罠だと思う」
「え?」
「
ああ。
そういうことか。
「……あの。大丈夫ですよ。僕たち……いや、今回は僕だけで行きます。どうせ、僕なら大丈夫ですから」
「……」
そりゃそうだ。
僕のステータスなら、魔法も物理攻撃も大概は肌で弾いてしまう。障壁を張って動けば薬品や細菌兵器が出てきたって防げるだろう。実際、あの枯れ木のような植物が僕に寄生しようとしてきたときも、僕自身が何もしなくとも全く歯が立っていなかった。
「正直、君のことを勇者だなどとは思いたくなかった」
「……」
今その話する?
やめてくれ。こっちにだってモチベーションってもんがあるんだ。
「今だって、君のことは世間知らずの子供だと思うし、軟弱な若者だと思う。だが、この一週間、君と行動していて分かった。……君は、間違いなく『勇者』だ」
「……なんですか、それ」
自分でも、恐ろしく低い声が出て、驚いた。
きっとこの人にとって、勇者ってのはバケモノと同義なのだ。
そんなこと、もう嫌ってくらい思い知らされてる。
「明日、栽培所に行きます……」
「頼む」
僕はそれきり、外へ出た。
ああ、寒いな。
コンビニの肉まんが食べたいな。
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