3-2

「え? 闘っていいのか?」

「……え?」

「いや。だって、その白龍が大寒波を生んでるんだろ? 今、それ待ちなんじゃねえの?」

「……………………え???」

「あはは。やだな~、サっちゃん。シオ君だってそのくらい分かってるよ~」


 砦の内部、所々に霜の降りた中庭を、私はウシオ様、レンタロウ様と並んで歩いていた。

 砦の修繕にかかる資材の調達と今後の相談を、この場の最高司令官であるゴーント伯へ持っていくためである。

 道すがら、探り探りにウシオ様へ白龍の危険性を説こうと四苦八苦していた私に、二人の男はあっけらかんと言ってのけたのだった。


 確かに、白龍の起こす本格的な寒波による降雪で戦争を一時中断させ、時間稼ぎをしようというのがミソノ様の考えで、帝都の総団長も取れる手の一つとしてそんな話をしていた。ならば今のタイミングで白龍を倒されては困るというのは正にその通りなのだが(そもそも人の手で倒せる存在なのかという問題はさておき)、それをウシオ様が口にしたことが私にとっては驚天動地だった。


「ウシオ様。白龍が根城にしているのはドルニ山脈の三の尾根でして、中腹まで降りてくる場所は北側のポイントです」

「おう。そうか」

「サっちゃん。シオ君が夜抜けするのを見越して嘘の情報教えなくていいから」


 え?

 そういう展開ではないのか?

 まさか今回は本当に喧嘩を売りにいかないと?


「なあ、サっ子。俺はよ。昔一度だけ他人のために闘ったことがある」

「はい?」


 のんびりとした口調で、私が調達したサンドイッチを頬張りながら、ウシオ様が唐突に語り出した。

「恩返しとか、そういうんじゃねえんだ。何の義理もなかった。たまたまよ、目に着いたんだよ。『ああ、普通の人間なら、こういうときは助けに入るもんなのかな』って。まあ、俺も探り探りだったんだな、あの頃は」

「え、ええっと、それは一体……」

「シオ君。それって一年の頃の柔道部との話?」

「なんだレン太。知ってんのか」


 ジュードーブ?

 どこかで、聞き覚えのあるような……。

 いや、それより、彼は一体何を伝えようとしている?


「大失敗だった。全く、親父の言ったことが身に染みたぜ。『お前は正義のためには闘うな。それは、お前の力を収めるには小さすぎる』ってよ。とにかく、俺は全然そんなつもりはなくて、まあ二割三割くらいのつもりだったんだが、『普通』の基準からはかなりはみ出てたらしくてよ。なんつうか、どうにもなんなかった。そっからは俺も懲りたんだ。俺は他人を理由に闘わない。自分のためにだけ闘うようにしようってな」

「はあ……。あの、それが一体――」

「だから、

「…………」


 その目線は伏せられて、霜に塗れた芝生に注がれていた。

 どこか、気恥ずかしさを隠すような、曖昧な笑みが口元に浮かんでいた。

 それは、私が初めて見る表情だった。


「また後悔してもいい。だから、龍との喧嘩は来年の楽しみに取っとくぜ」

「そう、ですか……」


 それは一体、誰のために?

 彼のいまいち要領を得ない語りにそんな単純な質問をすることが、なぜだか躊躇われた。


「あの時はすごかったよねぇ。あんなに何台も救急車が来てさ~。そうかと思ったら翌日にものすっごい高級車が来てさ。僕、学校であんなの見るとは思わなかったよ」

「あ~。日本の凄いとこはよ。金積めば大概のことは解決するところだよな」

「あはは。確かに~。告訴シマース! とか誰も言わなかったもんねぇ。あ、そういえば知ってる? シオ君が庇った一年の子、転校した後、翌年の県大会で準優勝したらしいよ」

「なんでお前がそんなことまで知ってんだ?」


 そんな、男二人の他愛ない会話を聞くともなしに聞きながら、私は一人、黙々と足を進めた。

 今更ながらに、自分がこの悪党たちを解き放ってしまったことへの後悔が押し寄せてきたのだ。自分の行いが、彼らの中のを変えてしまったことが、ひどく恐ろしかった。それがいつか、とんでもない禍となって、私と彼らの身に迫るような、そんな気がして……。




 そして、数分後。


「クソだな」

「クソだね~」

「ク…………そうですね」


 砦内部に作られた司令部にて、ゴーント伯と面会を行った私たちは、溜息と共に元の道を引き返していた。


『白龍の息吹まで耐える? ヌルいヌルい。あの野蛮な侵略者などにこの大スリザール帝国が負けるはずがなかろう』

『異世界の勇者だと? 笑わせてくれる。そんな若造一人や二人如き、この私が一刀の元に斬り捨ててくれるわ』

『いいか。戦の基本は攻めにこそある。今に見ておれ。我がゴーント家が誇る精鋭部隊の力を以てすれば、直ぐにでも南面二領を取り戻してみせようぞ』

『砦の修繕だと? 生っちょろいことを抜かすな。兵こそ盾。兵こそ矛。我が精強なる兵士たちの力があれば――』


 全く話にならなかった。

 一事が万事この調子で、こちらの言うことに耳を貸す気配もない。

 昨日、砦に到着した我々を出迎えた彼の部下が非常に申し訳なさそうな顔をしていたのが思い起こされる。

『団長にお会いになるのは明日のほうがいいでしょう。皆様のことは自分から伝えておきますので……』


 早く話を付けようとごねたミソノ様をゴイル侯が制し、昨日は砦内の部屋で休ませてもらったのだ。今思えば、全く正しい選択であった。そして今日のこの場にミソノ様を連れてこなかったことも。


「いるんだよなぁ、ああいう指揮官。そういうところはこっちも向こうも変わんねえなぁ」

「どうする~、サっちゃん。あれ、絶対本国側とまともに通信する気ないよ? 他の砦と連携取れてるかも怪しくない?」

「そうですね……」


 私はてっきり先の会戦で敗走した軍隊故に部隊内での統制が取れていないのかと思ったのだが、そういうわけではないらしい。そもそもこの部隊は会戦に間に合わなかったのだ。彼らが駆け付けたときには既にスリザールは守勢に回っており、彼らには総団長よりこの砦の死守を命じられた。

 しかし、幸か不幸かこの砦が相対するであろう、トラバーユ、ホグズミード、ヌルメンガードからの敵勢は足止めを食らっており、彼らはまだ本格的な戦いをしていない。

 そこへ来てあの団長の気質だ。

 この砦が今、相当に不穏な状態であることが伺い知れた。


「ま、そう難しく考えんなよ、サっ子」

「そうそう。そこまでヤバい状況じゃないしね~」

「と、言いますと?」


 あくまでも気楽な調子で言う二人の男の内、無邪気な顔をした少年が答えた。

 それはまるで、鍵がないなら錠を壊せばいい、とでも言うように。



「なんだったら、僕がこの砦乗っ取っちゃうから」

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