3.冬眠する蛇

3-1

「首を落としてから再生させた!?」


 ゴイル侯の部下からの報告に、私は耳を疑った。

 ヌルメンガードの各地に放った二つの災厄の内の一つ、人の精神を虫へと変じる『ザムザ』の被害者が、勇者と聖女の奇跡によって意識を取り戻したというのである。

 

「間違いありません。複数の箇所で同様の報告が上がっております。勇者が首を落とし、それを繋げて即座に聖女が癒したところ、意識を取り戻した、と」

「具体的な場所は?」

「こちらと、……こちら。あとは――」


 卓上に広げられた詳細な地図にピンが立てられていく。

 こちらの仕掛けた罠のうち約半数に敵がかかり、その全ての場所に聖女の奇跡がもたらされたようだった。


「……ふうん」

「……これは、どう見ますかな、ミソノ嬢」

「ま、こんなもんでしょ」

「でしょうなぁ」


 私が眩暈を堪えている横で、少女と老爺の姿をした悪魔二人が落ち着き払った様子で茶を啜っていた。


「ゴイル侯。確か、あの凶薬は癒術を受け付けないはずでは?」

「ええ。体を害しているわけではありませんからな。しかし、一度首を落とすことで頭の血を抜き、それを瞬時に回復させる……そんな机上の空論のようなことが本当にできるなら、まあ薬の効果も抜けるでしょう」

「私は、あの女のスキルだかなんだかで特効の魔法でも作るのかと思ってたけど。ま、テンパってやっちゃったのかしらね。で、一度成功しちゃったもんだから後に引けなくなったんでしょ」

「だ、大丈夫なのですか? このままでは、進軍を止められないのでは?」


 私たちは、今、ホグズミード領を抜けて、帝都南東部の街を守る砦の一つに駐留していた。

 私が帝都を発った際に見せられた予定防衛線の東端から二番目に位置する砦である。

 ようやくスリザール本国側とコンタクトを取れるかと思ったが、想像以上に現場が混乱しており、まだその目途は立っていない。

 今ここに敵の手が伸びて来ては非常にまずい。


「あのねえ、サク。戦争でもなんでも、なんか一個こんだけやってりゃ大丈夫、なんて都合の良い方法メソッドなんかないのよ」

「……それは、そうでしょうが、では、何か次の策の用意が?」

「ま。その辺は後でね。それより、頼んでた資料できた? この辺の地理天候と人口と駐屯軍の内部事情」

「ミソノ嬢。そう急くものではない。ここに着いてまだ二日目だ。いくらなんでも――」

「こちらに」

「…………」

「なんか言った、じいさん?」

「……メイド長。ゴイル家に仕える気はないですかな?」


 世迷言をのたまうゴイル侯を無視し、ミソノ様に資料を渡した上で補足の説明をしていく。

 物資に関しては、やはりかなり苦しい。こちらがヌルメンガードから持ち寄せた物資は、自分たちの分を賄うので精一杯でこちらに融通できるほどではない。食糧の切り詰めについては、騎士隊と相談しなければならないだろう。


「ね。この第七騎士団ってどういう連中? 帝都にはいなかったわよね?」

 今、この砦を守っているのは第七騎士団の師団長――ゴーント伯爵だ。

 正直、この武家の貴族のことはよく知らなかった。ほとんど王宮に出入りせず、内政に関わろうとしないのだ。

 しかし、そこは流石というべきか、ゴイル侯はその名前に反応し、嫌悪感を隠しもせずに答えた。


「彼らは、まあ……。あまり役には立たんでしょうなぁ。あなた方の言い方を借りるなら、クソですな」

「は? ゴーント伯爵と言えば、帝国でも古参の武門の家系では?」

 良く知らないとはいえ、それは個人としてのゴーント伯を知らないというだけで、その名声だけは聞き覚えがあった。自身の領地経営においても、こちらで問題にするところがない程度には普通に行っているはず……。


 私の疑問に、ゴイル侯は侮蔑の笑みを浮かべた。

「賄賂を受け取ろうとしないのです」

「ああ。それはクソね」

 クソはお前たちだ。

 喉元を通り過ぎて唇の裏側まで出かかった言葉を辛うじて飲み下す。


「ふむ。あの頭の凝り固まった連中を手駒にするのは骨が折れますな」

「その辺はシオに任せましょ。気ぃ合うんじゃない。レンもいるし」

「彼らは今どこに?」

「さあ?」

「ウシオ様とレンタロウ様は、砦の修繕を手伝いに出ていらっしゃいます」

「ははあ。白龍の風を防ぐには、ここは心許ないですからな」

「ん?」


 ゴイル侯の言葉に、ミソノ様がきょとんと首を傾げる。

白龍ホワイト・ドラゴン?」

 ああ、それは知らないのか。

「もうじき、白龍が下山を始めますので。それに伴う本格的な寒波のことを白龍の息吹ホワイト・ブレスと呼ぶ風習があるのです」

「……ねえ、それさ。冬将軍的な意味で言ってるのよね?」

冬将軍ジェネラル・フロスト? そちらの世界にもそういったものが? いえ、確かそちらに魔獣の類はいないはずでは……」


 白龍は、この世界において最強の生物とされる、龍種の一角だ。膨大な魔力をその身に宿し、天候をさえ変える力があるとされる。帝国東部にて天然の国境線となっているドルニ山脈の頂上付近に生息しているが、毎年この時期になると山の中腹部まで降りてきて越冬の準備をするのだ。


 私とゴイル侯がそんな説明をしていると、途中で立ち上がったミソノ様が私の口を塞いだ。

 なんだなんだ。


「それ、絶っっっっっ対にシオの前で口にするんじゃないわよ」


 …………は??


 一瞬、何を言われたのか分からなかったが、次の一瞬で理解が及んだ。

 それは、確かに最悪の事態だ。


「は、は、は。何を言っているのかね、ミソノ嬢。まさか、彼が討伐に赴くとでも? 龍種は人の世の理を超えた存在。生物というよりは自然現象そのものに近い。いくらなんでも――」

「あんたは黙ってなさい」「あなたは黙っていてください」

 ゴイル侯。あなたは飛竜に素手で喧嘩を売りに行った人間を知っているのか?


 そうだ。確かに、私としたことが失念していた。というか、今まで口を滑らしていなかったのが奇跡のようなものだ。この土地で生きる人間にとって白龍の存在など当たり前すぎて今更意識もしない。

 しかし、どうする?

 時季が近づけば一般の兵や市民の口からその単語が漏れ聞こえ始める。それをどうやってあの脳筋男に隠し通す?


 その時――。



「おう。なんだ、全員辛気臭い顔して」



 私たちが会談していた部屋の窓から、逆さまになったウシオ様の顔が現れた。


「~~っ! …………ど、どうされましたか、ウシオ様。そんなところから」

 思わず上げそうになった悲鳴を飲み込み、努めて平静を装って問いかける。


「取り合えず南面の修繕は済んだぜ。ただ、資材がもう少ねえからよ。今のうちに手配したほうがいいんじゃねえの」

「か、かしこまりました。ゴーント伯に伝えておきましょう」

「おう。……いや〜腹減ったな。サッ子。なんか食うもんあるか?」

「簡単なものでしたらすぐご用意できますが」

「頼まぁ。ああ。それと……」

「なんでしょう?」


 逆さまの顔が、にかりと笑みを作った。



「その白龍ってのは、どのくらい強いんだ?」



 …………膝から崩れ落ちた。

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