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《とある少年の冒険・2》
「これは、一体なんだ……」
僕は今、この世の地獄を目の当たりにしていた。
僕たちが与しているグリフィンドルの一部隊が、次の標的に定めた領土・ヌルメンガード。
その、ホグズミードとの領境付近にあった村に偵察に放った部隊からの連絡が途絶えたことで、僕と田中さんは念のための備えとして応援部隊に同行することとなった。
村に入った僕らを出迎えたのは、枯れ木のようなオブジェだった。
少なくとも最初はそう見えた。
そして、その中心に干からびた人間が捕らわれていることに気づいたとき、田中さんが悲鳴を上げて失神した。
恐怖と苦痛に歪んだ灰色の顔が、萎れた木の根のような触手がのたうつ隙間から覗いている。触手のように見えた何本かの中には、彼らが伸ばした手指もあった。
そんなものが、村の入口広場に無数に乱立しているのだ。きっとあれらの中には、全て先遣隊の兵士たちが捕らわれている――。
僕だって、尻もちをつく寸前だった。
どうにか堪えた自分を誉めてあげたかったけど(先に田中さんがパニックを起こしたから少し冷静になれただけなのだけど)、結局その次に見た、四つん這いになって汚物に顔を突っ込んでいる兵士たちの成れの果てを見たとき、僕も今度こそ堪えきれずに後ろに転げた。
しゃかしゃかと四肢を蠢かし。
ぞぶぞぶと汚物を啜っている。
それはまるで、人の形をしたゴキブリか何かのようだった。
悍ましい。
今まで生きてきて、そんな言葉を使うことなんてなかったけれど、今のこの光景を他に何て言い表せばいいのか分からなかった。
お腹の底から黒々とした嫌悪感と恐怖が迫り出してきて、今にも吐き出してしまいそうだった。
「落ち着いてください、勇者さま」
僕が平静さを取り戻せたのは、同じく脅えきった声で、それでも震える手で僕の服を掴んだシスターのおかげだった。
「このような不浄、どうせあの悪党たちの仕業に決まっています。早く彼らを救う術を探さねば」
真っ直ぐな目が僕を捉える。
シスターは、あの日、僕たちが凍倉さんたちを取り逃がしてしまった後も、変わらず僕たちを信じ、支え続けてくれていた。
そうだ。
枯れ木にされてしまった人はともかく、虫の魂が乗り移ったような人たちは、少なくともまだ生きている。
なんとかして、彼らだけでも助けなくては。
「お、お願いします。手分けして、まだ生きている人たちを探してください。僕が、僕たちが、必ず助けますから……!」
……なんて、僕が主人公ぶってる間に、とっくにグリフィンドルの人たちは生存者を探しに散っていたのだけど、結局分かったのは、この村に無事と言える人間は一人もいないこと。そして、村人と呼べる人もまた、誰一人いなくなっていたことだった。
僕はその間に田中さんを起こし、目を覚ました途端に再びパニックを起こした彼女をシスターと二人で何とか宥めて、この異常事態の解決法を探った。
やはり、枯れ木のようなオブジェの一部と化した人たちはもう亡くなっていた。
未知の死因で亡くなった人の遺体を迂闊に持ち帰るわけにはいかない。彼らはそのまま、火で焼かれた。
そして、虫のような動きをしている人たちは、どうやら何か薬物を盛られたらしいことが分かった。
僕の魔力探知スキルが何の反応も示さないからだ。
しかし、田中さんの回復術でも、状態異常治療の魔法でも彼らは正気に戻らなかった。
「……なんで治らないのよ! この魔法ホント役に立たない!」
「多分、既存の状態異常じゃないんだ。少なくとも、毒とか麻痺とか衰弱とか、そういう類のものじゃない」
「勇者様、では、一体どうすれば……」
「それは……ええっと……」
「勇者殿」
その時、僕の後ろから威厳に満ちた声が発された。
赤毛の騎士隊長――名前は確か、ウィーズリーさん。
「決断の時だ。この場所にこれ以上留まっても埒が明かない。そして、同胞たちをそのような姿のまま残しておくことも、できない」
「え? そ、それは――」
つまり、彼らを、一思いに……?
「私に任せてもらおう。どきたまえ」
「ま、待ってください。そんな――」
「では何か策があるのかね? どうやら、聖女殿の魔法も通じないようだが」
「ふ――」
ふざけるな。
そんな言葉が、どう頑張っても僕の口からは出てくれない。
なんであんたたちはそんなに簡単に命を切り捨てられるんだ。なんでこの世界はこんなに命の価値が安い。なんで僕たちが頑張ってるのにそれを台無しにしようとするんだ。僕だって見捨てられるならそうしたい。こんなウンコ塗れの人たち放っておいて帰りたいさ。だけど、シスターが見てるんだ。僕らのことを本物の勇者だと思って信じてくれている。僕らが彼らを救うことを期待してるんだ。こんな目で見られたら途中で投げ出したりできないんだよ。こっちの身にもなってみろ!!
一瞬で、千の言葉が脳裏を駆け巡る。
けれど、それは口から出る前に臆病な僕の腹の底に飲み込まれ、もやもやと黒い渦を巻いて消えていく。
「お願いします。あと少しだけ待ってください!」
そんな言葉を発したのは、やはり僕ではなかった。
「勇者様と聖女様は、必ず彼らを救う方法を見つけ出します。どうか、あと少しだけ、時間を……!」
ウィーズリーさんが、鬱陶しそうな目でシスターを見下ろす。
当然だ。彼女は散々理想論を振りかざし、ホグズミードの人たちの反感を買うことで、結果としてグリフィンドル側の邪魔をしたのだ。そもそも敵国の人間である彼女がこうして僕たちと行動を共にしていることが異常なのだ。
日頃空気が読めないと自分でも自覚している僕ですら、ウィーズリーさんの視線が不穏な色を宿したのが分かった。
まずい。
このままじゃ、彼女が危ない。
僕は、部屋の隅で決して兵士たちに近づかないようにしながら自分のステータスウィンドウを弄っている田中さんを見た。
ああ。きっとこの提案をしたら、また田中さんに怒られる。
だけど、もう時間がない……!
「た、田中さん」
「……なに」
「最後の、手段だ。もうこれしかないと思う」
「は?」
僕は震えるそうになる声を必死に抑え、伏せたくなる目を懸命に前に向け、言葉を紡いだ。
「彼らを、一度殺そう」
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