2-3

 萎れきった人間の体から、細い木の根のようなが伸びている。

 四方八方に無秩序にその先端を伸ばすは、時折びくびくと痙攣する体を支え、奇妙なオブジェのように立ち上がらせている。その体に無数の細い触手が複雑に絡みついているさまは、虫のようにも、動物のようにも、打ち捨てられた糸巻きのようにも見えた。

 

 人に寄生し、水分を根こそぎ奪う異形の魔法植物――『喪我・オドラデク』。


 そして、ウシオ様が打倒したその他の兵士のうち、まだ息のあったものは、みな四つん這いでがさごそと動き回り、日の光を避けて物陰に入り込み、虫や生ゴミを食んでいた。


 人の精神を侵し、虫へと成り下がらせる非道の外法――『瀆魂・ザムザ』。


 解き放たれた二つの災厄は、わずか数分で一つの農村を地獄絵図へと変えていた。

 その村の住民は既に避難させており、今いる人間はみな村民に扮したゴイル侯の私兵だ。それ以外に生きているものは、もう人間とは呼べないだった。


「なるべく早く撤退します。井戸を潰してください。全部で三か所あります。村民が持ち出せなかった備蓄が納屋に詰めてありますので、グリフィンドルの馬で運びます。そちらは荷が出来次第出発してください。場所の振り分けはこちらで確認を。ゴイル侯、捕虜はどうします……ゴイル侯?」


 私が正午を目安に撤退するため急いで兵士たちに指示出しをしていると、当のゴイル侯は疲労の溜まった顔で手ごろな岩に座り込み、賦活の薬液を服用していた。

 それを、まだまだ暴れ足りない様子のウシオ様がストレッチをしながら仰ぎ見ている。

「なんだ、侯爵サマ。だらしねぇな。ランニングでも始めたらどうだ?」

「全く、どこまでも勝手なことですな……。この私に香具師のような真似をさせておいて」

「大丈夫ですか、ゴイル侯?」

「おお。メイド長殿。かたじけない。……ふむ。捕虜のことは、そうですな。馬車に乗せましょう。彼は礼を尽くしてくれました」

「いいでしょう」


 そうして、私たちは戦果一つを馬車に積み込み、もう二度と元の姿を取り戻せないだろう農村を後にした。




 三日前。


「私を囮に使うと?」


 老獪な貴族家の当主は、自らの治めるヌルメンガードを、敵を誘い込む毒の沼地にする準備を進めるため、部下たちにてきぱきと指示を出していた。

 領民の避難。他領への根回し。罠の設置。費用の概算と敵方の行動の予測。それをところどころ手伝いながら、私はその整備された統治環境に内心で舌を巻いていた。

 なるほど、この領地の経営をゴイル家が牛耳っているというのは確かであったらしい。

 

「それは良い案でしょうが、残念ながら私の同意を得られない」

「前半だけ聞いておくわ」


 今回、まず、なんとしても避けなければならないのが人的損耗だ。

 ただでさえ足りていない戦力はこの後の帝都防衛の準備のために温存しなければならない。とはいえ、ノーガードで敵を素通りさせてはグリフィンドルからの略奪で領民に被害が出る。

 ただ、これに関しては強力なカードを有してくれている。

 つまり、ヌルメンガード侵略の序盤でに出しゃばってもらうのだ。

 あの、平和主義を標榜する異世界の侵略者に。


「俺らもやられた借りが残ってるしなぁ」

「僕は別にどうでもいいけどね~。痴話喧嘩でどっちか死なないかなぁ」

「あの二人にはきっちり落とし前つけるとして。まあ、まずはその準備よ。グリフィンドルの連中の頭には、私がホグズミード防衛で採った策がまだ残ってるわ。向こうだってこんな場所で損耗を避けたいのは同じはず」


 そう言ってヌルメンガードの地図を睨みつけるミソノ様は、いくつかの場所に駒を置いた。

「ふむ。つまり、あなた方がこの場所を守りたがっている、と思わせればよい、と」

「そ。だから初手はできるだけ派手に行きたいのよ。あんたの持ってる、こういう時にはうってつけでしょ? どうせ使い道なんか大してないんだからさ。使わせてあげる」

「それは大いに結構。だが、優れた道具とは使い手を選びませんのでな。私が現場まで出る必要はない」

「うっさいわね。向こうからちょうどいい規模の一団引っ張り出すのにあんた餌にすんのが一番都合いいのよ」

「何を仰る。餌ならばそちらは既にお持ちでしょう」

「は?」


 そこで、ゴイル侯の細められた目が私の顔を捉えた。


「聞いていますとも。グリフィンドルに現れた勇者と聖女、彼女にご執心であったとか」


 ……なるほど。そういう話になるのか。

 確かに、向こうからすれば、私は彼らを体よく利用した裏切り者だ。どんな恨みを向けられてもおかしくはないし、そもそも彼らを引っ張り出すという目的には最適だろう。

 まあ、その程度のことならば……。


「私は――」


 構いませんが。

 そう言いかけた私の口が、次の瞬間に放たれた重圧プレッシャーに塞がれた。



『ぶち殺すぞ、クソジジイ』



 それまで、三者三様に好き勝手寛いでいた黒髪の三人組が、凄まじい怒気を放った。

「ぉ。……ぅ」

 意表を突かれたゴイル侯の喉が引き攣れたような音を漏らし、思わず縋りついた卓上のグラスが落ちて割れた。


 哀れな老貴族の男は、そのまま有無を言わさずウシオ様によって簀巻きにされ、敵兵の前に放り出される形となったのである。




「いやはや。酷い目にあったものです」


 帰りの馬車の中、捕虜とした壮年の兵士はいまだ意識を取り戻さず、座ったまま座席に縛り付けられ拘束されている。

 その隣にゴイル侯。彼の向かいにウシオ様が座り、私はその隣だ。

 しみじみと呟く彼の顔色はいくらか良くなっていたが、それでもまだ疲労が見て取れる。ただ、私としても必要以上に彼の心身を気遣うつもりはない。


「ゴイル侯。あなたが隠棲生活を偽装している間に進めておいた撤退作戦の進捗です。目を通しておいてください」

「やれやれ……」

「南西部の土地にいくつか不明瞭な箇所があったのですが……」

「ああ。あそこはあえて正確な地図を作っていないのです。魔導植物の栽培所があったのですがね」

「破棄されますか?」

「ええ。ですが、敵方の益になってもつまらない。罠を張り直してあの場所にも連中をおびき寄せましょう。……ああ、ただ、流石に私が直接向かわねばこちらに人死にが出ますな……」

「では、スケジュールを調整しておきます」

「…………本当に、やれやれだ」


 深々と溜息を吐いたゴイル侯は、皺の寄った自身の掌に目を落とした。そこには、グリフィンドル兵に打擲された際、地面に転げて出来た擦り傷があった。

 それを、哀れに思うことも、申し訳なく思うこともない。

 あの程度の傷など比較にならないほど、この男はスリザールの力弱い人々を長年苦しめてきたのだ。


 ただ――。


「ようやく、私の願いが叶うかと思ったが、どうしてなかなか、遠いものですな……」

「願い?」


 その言葉には、僅かながらに興味が湧いた。

 この男が、一体自身の未来に何を望んでいるというのだろう……。


「は、は、は。あなた方になど分かるものかよ……。私の、長年の願いなど……」

「あん? なんだ、そんなもん――」

 乾いた声でそう漏らすゴイル侯に、向かいの席から軽やかな声が答えた。


「『静かに暮らしたい』んじゃねえの?」

「「……は??」」


 私とゴイル侯の声が、重なった。

 静かに暮らしたい?

 この、帝都で悪徳の限りを尽くした男が?


「なぜ、……そう思うのですかな、ウシオ君? 君に、私の何が分かると?」

 震える声で問う老貴族の男に、ウシオ様は、あくまでも気安い声で応じる。

「俺にそんなもん分かるわけねえだろ。けど、ソノ子がだからな。あんたも同じなんじゃねえの? 知らねえけど」

「は、はは、は……」


 その、笑い声の意味は、私にはやはり分からない。

 ただ、ウシオ様の答えが、彼の心のどこか奥の方を撃ったのは確かなのだろう。

 しばらく壊れた魔道具のように不気味な笑いを吐き出し続けたゴイル侯は、ゆっくりと顔を上げ、ガラスを張った馬車の窓から外を眺めた。


「ウシオ君」

「あん?」

「では、君の望みは何なのですかな?」

「あ? 何だよ急に」

「はは。ただの世間話ですとも。そのくらいは良いでしょう」

「俺の望みねえ……」


 ウシオ様もまた、向かいに座るゴイル侯と同じように、車窓から覗く灰色の空を眺め、しばし黙考した。


「俺は往くだけだ」

「往く? どこへ?」



「知らねえよ。ただ、往けるとこまでだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る