2-2
「あの力は、こちらの世界にあってはならないものです」
なんでも、ゴイル侯は
そこに歪ななにかを感じ取ったゴイル侯は、自身の手駒を相当数動員して彼らの情報を集めさせ、そして、聖陽教に伝わる逸話と照らし合わせ、その存在を確信したらしい。
「『
暗紅色の魔導花。
人を灰色の魔人に変える凶薬。
多くの人間を死に至らしめた禁忌の外法。
「そうは言っても、あれが何株あったところで来訪者の力に及ぶとは思いませんでした。だが、あまりに一方的では戦争に利益は生まれない。彼らにとって、適度に脅威となり、それでいて戦えば負かせる相手、それをスリザール側に用意することで私は利潤を得るつもりでした」
まあ、それも全てご破算になってしまいましたが。そう言って薄暗い笑みを浮かべる老人は、その笑い皺の寄った眼を細め、私を見やった。
「あれは、いずれ破滅をもたらします。私もこの国に見切りをつけた身ですが、だからといって今のグリフィンドルに与するのもリスクが大きすぎる。私の部下が私を連中に売る算段をつけているのを知ったとき、私はあえて抵抗しませんでした。そのまま雲隠れして、スリザールとグリフィンドルが共倒れするのを待っている予定だったのですよ」
つまり、こういうところなのだ。
この男は、余裕を崩さない。負けても、裏切られても、失敗しても、それが致命的とならないよう予め手を打ち、次の策に切り替える。
帝都であれほど大きな敗北を喫しておきながら、現状この国で誰よりも安全な位置にいるのは他ならぬこの男だった。
…………はずだった。
「いや。そういうのどうでもいいから」
ばっさりとそう切り捨てたミソノ様が、次に浮かべた邪悪な笑みを見て、ゴイル侯の余裕の顔に陰りが差した。
「敵方の動きを探るのもいいけど、あんまり七面倒くさいことするのもアレだからさ。手っ取り早く捕虜でも取ろうと思うんだけど」
「良い考えですな」
「そうよね。あんた、尋問とか得意でしょ?」
「ええ。首から上だけ残っていれば何とでもなりますので」
「流石ね。じゃあ、ちょっと協力してもらいたいことがあるんだけど」
「いやいや。協力もなにも、私が手を打ちましょう。あなた方には聖陽教と商人どもに根回しをしてもらいたい」
「まあまあ。それはね。もちろん
「いやいやいや。そちらの手を煩わすことはないですとも。ははは」
「遠慮しないで。聞くだけ聞きなさいよ」
「いやいや」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
……。
…………。
そして、三日後。
「おい。ホントにこのじいさんがゴイル侯爵なのか?」
「ああ。間違いない。さっき魔術で確かめたそうだ」
「はあん。トラバーユじゃ部下に裏切られて逃げ出してきたって聞いたが、随分とまあ落ちぶれたもんだなぁ」
ゴイル侯は、領境付近の農村でグリフィンドル兵に捕らえられていた。
「商隊の連中が
「巡礼者じゃなかったか? ほら、本山が落ちたから……」
「いや。確か逃げ出した聖女が態勢を立て直そうとしてるらしい」
「なんだお前ら。聞いてないのか。このじいさんに昔ハメられた元貴族の男がこっちに亡命してきたんだよ」
縄を打たれて拘束されたゴイル侯の前で、グリフィンドルの兵士たちが好き勝手に噂話を交わしあっているが、彼らの話は一から十までレンタロウ様がでっち上げた偽の情報である。
どの道彼が生きてヌルメンガードに落ち延びていることは既に情報として流してあるのだ。それを裏付ける噂をいくつか新たに流してやれば調査隊が派遣されることも予想できた。そして、その中の一つを選んで餌を仕掛け、今まさに獲物が食いついた状態、というわけだ。
問題は、餌が
悄然とした面持ちのゴイル侯の様子はとても演技には見えず、実際演技ではないのだろう。
「すみませんが、水を一杯いただけませんか……。昨日から何も口にしていないのです……」
掠れた声で弱々しく懇願する老人の姿を、兵士たちは薄ら笑いを浮かべて見下ろした。
「じいさん。悪いが俺たちだって水は貴重なんだ」
「どうせあんた、この後来る本隊に尋問された後で死ぬんだからよ」
「早く楽になれるように体弱らせといてやるよ」
「あ……う……」
「おい。よせ、お前ら」
下品な嘲笑でゴイル侯を囲む若い兵士たちの輪の外から、壮年の兵士が水袋を持って割って入った。
「敵国のものとはいえ、捕虜は丁重に扱え。その程度のことも教わっとらんのか」
「ちっ」
「んだよ。サミいな」
若い兵士たちが白けた顔でばらけると、壮年の兵士は膝をついてゴイル侯に向き合った。
「すまんな。大丈夫か?」
「おお。かたじけない」
「いや。俺の父も戦場で捕虜にされたが、温情を受けて生きて返された。あんたの生死は俺には保証できんが、せめてここにいる間の安全は約束しよう」
「そうですか。では、あなたにしましょうかな」
「は?」
ふぃぃいいいい。
ゴイル侯の唇が歪な形を作り、奇妙な音階の口笛を鳴らした。
次の瞬間。
「ごはっ」
壮年の兵士が、転倒した。
「!? おい、どうし――かっ」
それを見た若い兵士が駆け寄ろうとしたが、その足が一歩を踏み出す前に彼もまたその場に倒れ込んだ。
「な、なにがおごっ――」
「ぅぐっ」
「かはっ」
ばたばたと、その場にいた兵士たちが倒れていく。
「ぐ……う。ぐ」
みな苦し気に喉元を抑え、何かを求めるように虚空に腕を伸ばす。
よくよく見てみれば、彼らの身に着ける軽鎧の隙間から、褐色の木の根のようなものがはみ出していた。
そして、彼らの顔からみるみると生気が失われていく。
肌は涸れ、水分を失った老人のような顔に――。
「の。喉が。喉が」
「水を。誰か。誰か」
「頼む。水をくれぇ」
ひび割れた声で一様に水を求める兵士たちを、ゆるりと立ち上がったゴイル侯はにこやかな笑みで見下した。
「おや。水は貴重なのではなかったですかな?」
その口が小さく何事かを唱えると、彼を拘束していた縄がするりと解けた。
そこまでを見届けた私は、それまで隠れていた村の納屋から這い出し、その惨劇の場に歩み寄った。
一瞬で枯れ木のような姿となった兵士たちが、「水……水……」とうめき声を上げている。
「ぎ、ざ、ま。い、っだい、なにを……」
その中で、いまだ目に強い光を残した壮年の兵士に、ゴイル侯は膝をついて視線を合わせた。
「しゃべりなさるな。喉を痛める」
「ふ、ざけ――」
「私の父は家の中で油断した隙に毒を盛られて死にました。あなたの今後については保証できませんが、命だけは助けると約束しましょう」
そう言って、ゴイル侯は懐から丸薬を取り出し、目の前の兵士が落とした水袋の栓を開けて、彼にそれを飲ませた。
彼の目から光が失われ、瞼が落ちると同時、彼の体から伸びていた褐色の根が急速に萎れていった。
その頃には、他の兵士たちの体から伸びる根はその長さを増し、うねうねと曲がりくねっては空に向かって先をもたげていた。それに反比例するように、呻き声と、兵士たちの動きが徐々に小さくなっている。
「ゴイル侯。その薬、用意は一つだけですか?」
「いいえ。しかし、これ以上使う必要がありますか?」
「いえ。誤ってこちらが寄生されてはいけませんので」
「ははは」
その時。
「ん? おお。サっ子。そっちはもう済んだのか?」
揚々とした声で、ウシオ様が現れた。
「ええ。そちらは?」
「おう。一通り終わったぜ」
この場にいない兵士たちは、どうやら全滅したらしい。
その、血に塗れた両拳に、私はタオルを差し出した。
「お疲れさまでした」
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