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「いやはや。私も先日は酷い目に会いましたからねえ。まさか長年慣れ親しんだ故郷をすら放逐されるとは思いませなんだ。あの野蛮人どもに一泡吹かせるなら喜んで協力致しましょう」


 そんなことをニコニコと笑いながら言うゴイル侯は、発熱の魔道具にて沸かした湯で、人数分のカップに茶を給し始めた。

「もうすっかり使用人の数も減ってしまいましたからなぁ。このくらいのことは自分でやるようにしているのですよ。さあ、過去の遺恨は水に流して友誼を結ぶとしましょう」

「いや。そのお茶飲んだら私たちが泡吹いて死ぬやつじゃない」

「おや。ご存じでしたか」


 悪びれもせずに窓から茶を棄てる老人の姿に、私は溜息を零しつつ、ポーチから茶葉を取り出した。

「私が淹れましょう。ゴイル侯。お湯を借りますよ」

「おお。メイド長殿のお茶が飲めるとは。どうぞ、茶器はそちらをお使いください」

「あ、サっちゃん。棚の奥のから使ってね~。手前の列はフチに痺れ薬塗ってるから~」

「……かしこまりました」

「はははは」


 本当に、呼吸するように毒を盛ろうとしてくるな……。

 しかし、もはやに一々反応するものはこの部屋にいない。

 その代わり、行儀悪く椅子にふんぞり返ったミソノ様が、自前の干菓子を齧りながら至極つまらなそうな視線をゴイル侯に向けた。


「あんたねぇ。そんなに毒薬が好きなら自分で飲みなさいよ」

「私は人をもてなす方が好きなのですよ。それに、この屋敷の花壇は見ませんでしたかな? 全て薬の原料ですよ。整腸剤に止血剤、ああ、最近は鎮痛剤にも凝ってましてね」

「はっ。下剤と血栓作って脳卒中起こさせる毒と筋弛緩起こさせる毒の間違いでしょ? あと、『蒼疽症』の花、まだ育ててんの? 懲りないわねぇ」

「それが最近は硫黄が手に入らなくなってしまいましてねぇ。あれは純粋に観賞用です。あなた方にしてやられた恨みを思い出すための」

「あんた、薬学だか農学だか詳しいんじゃないの? 酸性土壌にしたきゃナイト・ソイルでも使えばいいじゃない」

「はて。『夜の土ナイト・ソイル』とはなんですかな?」

「こっちの言葉で何て言うのか知らないけど、人間の糞尿で作る堆肥よ」

「ふん……!? し、正気か貴様!?」

「はあ? え。噓でしょ。下肥が存在しない世界とかあるの? あ、貴族はそういうの使わないとかってこと?」


 きょとんとした顔のミソノ様に、ゴイル侯が珍しく絶句している。まあまあ珍しい光景だったが、今のミソノ様の発言はかなり問題であった。


「ミソノ様。帝国法にて、人間の排泄物を用いた堆肥は固く禁じられております」

「なんでよ? 宗教上の理由?」

「ええ。人間の一部が作物となってしまいますので、それを人間が食するわけには――」

「いえ、メイド長殿。それは表向きの理由です」

「は?」


 私が法律の条文を思い出しながら答えていると、渋面を作ったゴイル侯が口を挟んできた。

「70年程昔のことです。地崩れが起きて土壌が荒れた村でその方法が試されたことがあったのですよ。確かにある程度土は回復しましたが、その村は一年余りで滅びました。未知の病魔によってね」

「それは……ええ、っと、どの記録に――」

「残っておりません。それも含めて禁忌なのです。人の道に逸れた行いにより天と大地の怒りに触れたのだろう、と。それ以来人間の排泄物を使った堆肥は禁じられています。知っているものはごく僅かでしょうな」


 では何故お前がそれを知っている……。


「わかりましたかな、ミソノ嬢?」

「要はちゃんと醗酵させないで使ったから寄生虫卵だか病原菌だかが死滅しなかったってことでしょ? 病状はどんなだったの?」

「全身に赤い疱瘡。発熱。痒みが酷く、罹患したものは患部を激しく掻き毟るため、みな踊り狂うように死んでいった、と」

「ん? 赤痢じゃないわね。ていうか、効果があったってことは醗酵はできてたのか。その土砂崩れで土地が汚染されたのが原因か、もしくは……。ん~。実験してみないと分からないわね。侯爵サマ、農地貸してくれる?」

「帰れ」


 一瞬で声が冷えたゴイル侯が深々と溜息を吐き、呆れたような目線を私に寄こした。


「メイド長殿。私はてっきり、こちらを懐柔した上で裏切らせないための交渉なり脅迫なりが始まるものかと思っていたのですが、どうしたものでしょうな……」

「私もそうだと思っていました」

「大体、交渉事ならそちらのレンタロウ君の役目では?」

「私も、そうだと思っていました」


 部屋の隅には、片足立ちで…………名状しがたいポーズをとって瞑想している男二人がいる。いつの間にか『よが』とやらを始めていたらしい。

 そのうちの一人が目を開き、ぐるりと首だけこちらに向けてきた。


「あはは。僕が侯爵サマに話合わせようとしたらとんでもなくゲスなキャラになっちゃうもの。素で気の合うソノちゃんに任せるよ~」

「なあ、レン太。このポーズ、このままもうちょい上げていいか? 柔軟にならねえよ、これじゃ」

「あ、シオくん。だったらそのまま右手で太もも抑えて、左手は後ろで組んで。……そうそう。はい、『極楽鳥のポーズ』~」

「おお。昔アボリジニと相撲取った時に見たな」

「シオくん、どこにでも行ってるよね……」


 この二人、どこででも寛げるな。

 それを不気味そうに見るゴイル侯を、ミソノ様が邪悪な笑みを浮かべて眺めている。

 こうなるともう彼らのペースだ。


「言っておくけど、私たち、別にあんたを味方にしにきたんじゃないのよ。ただ巻き込みにきただけ」

「なんですって?」

「ホラ、あんたと帝都でやりあったとき、レンにあんたの屋敷ヤサ潜らせたでしょ? そんときの資料でヌルメンガード領ここにあんたがいるだろうことは予測してたんだけどさ」

「なるほど。それで?」

「ここに来る前、ペティグリューって商会のオッサンに――ああ、もうすっかりグリフィンドル側の人間なんだけどね。さりげなく情報漏らしておいたのよ。今頃連中、慌ててんじゃない? ねえ、侯爵サマ――」


 それは、憤怒か、憎悪か。

 ゴイル侯の顔が、見たこともない形に歪んでいった。


「あんたが生きてちゃ困る連中、向こうにどのくらいいる?」


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