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帝国南部に広大な土地を持つトラバーユ領は、代々帝国の古参貴族たるゴイル侯爵家によって治められている。何代にも渡り、陰に陽に帝国へ影響力を発揮していた侯爵家の今代当主は、しかし、帝都での違法薬物取引に失敗し、その権力と財力を剝ぎ取られ、自領へと逃亡していた。
そこへ国からの征伐隊が組まれた矢先にこの戦争が始まり……いや、トラバーユ領がグリフィンドルに落されたことを切っ掛けに戦争が始まったのだ。
その後のトラバーユ領の状況は詳しく分からなかったが、ゴイル侯爵はグリフィンドルからの工作によって配下に裏切られ、捕縛されたとの情報だけは届いていた。
その、絵に描いたような没落ぶりを見せた貴族家当主の老人は、今、ホグズミードから見て北西、トラバーユからは北東に隣接する領土――ヌルメンガードの領主の屋敷にて我々を出迎えていた。
「あらあらあらお久しぶりね、侯爵サマ。ご機嫌いかが?」
「おやおやおやミソノ嬢。ご無沙汰ですな。ついさっきまでは良い心持だったのですが」
「へえ? ついさっきって? シオが護衛に突っ立ってた木偶の坊ぶっ飛ばしたときかしら? それともレンがこの屋敷の人間騙して私たちを招き込ませたとき?」
「ははは。君の顔を見たときに決まってるでしょう」
「はぁぁああん?? この聖女様のご尊顔を仰ぎ奉って機嫌悪くするなんて、あんた今度はどんな悪事を働いたわけ? 懺悔なら聞いてあげてもいいわよ? 金貨1枚で」
「君が聖女を名乗ること以上の悪事がこの世に存在するのかね?」
まるで祖父と孫娘のような年の差のミソノ様とゴイル侯が楽しそうに久闊を叙するのを、私は失神した護衛の男たちを拘束しながら横目に見ていた。
ちなみに、ウシオ様は不完全燃焼の体を片腕倒立屈伸で鍛えだし、レンタロウ様は部屋の棚を物色して見つけた干菓子を摘まんでいる。
「そうねえ。例えば、自分の領を追い出されたからっつって、隣領の領主の屋敷で主人面してふんぞり返ることとか?」
「何を言うかと思えば。このヌルメンガードはとっくにゴイル家のものですよ。領主とされてきたバクスタ子爵家など、二代前に滅びました。以来、この領は私の祖父が支配していたのです」
「さっすがねぇ。セーフティーハウス一つ取っても下衆なんだもの。帝都で私たちにボロ負けした上に自分とこの領で裏切りに会ってさぞかし落ち込んでるかと思ったら、意外と元気そうじゃない」
「いえいえ。わざわざ負け戦に加担した挙句、処刑台に磔にされて命からがら逃げだしてきた子供たちに心配されるほどではありませんとも」
「あっははははは」
「ははははははは」
「しっかし、相変わらず、こいつの、護衛は、歯ごたえが、ねえな」
「ん~。でも、相変わらずお菓子は美味しいよ。前に潜入してたときもちょくちょく摘まみ食いしてたんだけどさ」
二つの乾いた笑い声が不気味にこだまし、それをまるで意に介せず、二人の男が好き勝手に寛いでいる。
……なんだこの空間は。
「ミソノ様。挨拶はその程度で宜しいのでは?」
部屋の扉を中から施錠した上で、鎖を巻いて塞ぎ終えた私がミソノ様の横に立つと、小さな少女はどこか楽しそうな顔で私を仰ぎ見た。
「ふん。あんたの仕事が終わるまで場を繋いであげてたんじゃない」
「それはどうも……」
それを見たゴイル侯が、明確な嘲りを見せる。
「メイド長殿。貴女も馬鹿な選択をしたものですね。あのままこの子供たちを処刑させておけば自分の身の安全は図れたでしょうに……」
「見てきたような言い方をされますね」
「この国に私の目の届かぬ場所はないのですよ」
「ならばご存じでしょう。ホグズミードが落ちた今、このヌルメンガードがスリザールの最南端です」
「そうでしょうな」
「率直に言います。私たちに力を貸して頂きたい」
ゴイル侯のやつれた顔に、見慣れた誰かの顔にそっくりな、邪悪な笑みが浮かんだ。
『……正気ですか?』
一日前。その邪悪な笑みを浮かべたミソノ様の策を聞いた時には鳥肌が立った。
ようやく帝都から退治した邪悪の権化の力を借りようなど。
あの事件で死んでいった傭兵たちに、一体なんと言えばいいというのか。
『「力を借りる」んじゃないわよ。「いいように利用する」の』
『言い方の問題ではありません』
『一回落ち着いて一個上から考えなさい。今、国と国が戦争してんのよ? この国で力持ってる人間にまともなヤツが何人いるの? こっちには向こうと違って一人いれば戦局ひっくり返せるようなチートキャラなんかいないんだからね? この国の戦力総出で当たんなきゃ勝てるわけないでしょ。だったら一番まともじゃないヤツを真っ先に取り込まなきゃ』
『しかし、それでは……』
『あのねぇ。負けたら全員死ぬか死ぬより悲惨な目にあうのよ? 死人に気ぃ使って生きてる人間死なせてどうすんのよ』
そんなやりとりでいともたやすく説得されてしまった私だったが、実際問題、この男の頭の中には値千金の知識がある。今はその殆どを失ったとはいえ、一時は国の中枢に深く根を張り、多くの商人や貴族たちと闇の手を結んでいたのだ。それに加えて、彼は元々グリフィンドル側に自領を売り捌くつもりでここ数年暗躍していた。それはつまり、敵側の情勢にもかなり通じているということだ。
だが、その前に立ち塞がる途方もなく巨大な問題は、彼をどうやって味方に引き入れるかということだ。
そもそも彼の没落の原因を作ったのは私たちだ。このすっかりやつれた笑みの裏側にどれほどの憎悪の念を孕ませていることか。
そして、なにより問題なのは――。
「ええ。構いませんよ」
彼がそれを承諾したとき、どうやって彼の毒牙から自分たちの身を守るかということだ。
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