interlude

1

「サっちゃん。見張り交代~」

「ああ。それではお願いします」


 ホグズミード領を脱出してしばらく後、私たちは打ち捨てられた廃村にて野宿をしていた。

 吐息が凍り付きそうな冬の夜。

 本来ならば風を遮る家屋の中に寝床を拵えたいところだが、こういった廃村は野盗の類がよく徘徊する。一々罠や仕掛けをチェックするのも面倒だと、腐りかけた納屋の外壁を剥がして薪に使い、一人を見張りに立てて残り三人は馬車の幌の中で睡眠を取ることにしたのだった。


 私にとっては見慣れた、人当たりのいい笑みを浮かべる青年の顔になっていたレンタロウ様は、外套と毛布を重ねた格好で火の傍に腰を下ろした。


「サっちゃん? 寝ないの?」

 その場から動こうとしない私に怪訝そうな顔を向ける青年に、私は懐からティーバッグを一つ取り出して差し出した。

「眠気覚ましのハーブです。どうぞ」

「ありがと~」

 手際よく枝の脚を組んでケトルを吊るし、お湯を沸かし始めたレンタロウ様の横に改めて腰を下ろす。


「どしたの?」

「一つ、聞いてもいいでしょうか」

「うん?」


 その表情は、どう見ても自然な顔つきだ。

 しかし、私はもう知ってしまった。彼の素顔を。虚無の顔を。彼の顔に張り付いている表情は、その全てが仮面なのだ、と。


「本当は、逃げようと思えば自分だけ逃げられたのではないですか?」


 最後の会戦の後の祝勝会で、シスターに導かれ二人の来訪者が転移してきたとき、彼ならばそのまま逃げおおせることが出来たのではないだろうか。

 その時の話は誰もが正確に状況を把握など出来ていなかっただろうから、確かなことは分からない。だが、私が聞いた限りの話では、レンタロウ様は


 駆けつけてきた本物の僧兵に混じり、救援を求めに外へ出ようとしたとき、彼は聖女の魔術によって捕らえられたと聞く。

 ならば、最初に部屋を出たタイミングでそのまま逃げることは出来なかったのだろうか?


 そもそも、領主から聞いたところでは、彼はミソノ様やウシオ様にも内密に、いざという時の逃亡ルートを確保していたというではないか。少なくとも彼には、二人から離反する備えを持っていたことになる。


「ん~。まあ、あの時はね~。ソノちゃん、調子悪そうだったし」

「それは……ウッドクロスト伯も不思議そうにしてましたが……。何が原因だったのでしょう?」

 戦争に加担していた彼女が本当に本調子ではなかったのだとして、仮にそれがなく、彼女の力が十全に発揮できていたのだとしたら、あるいはあの来訪者二人に捕縛されることもなかったのだろうか。


「あはは。そんなの決まってるじゃない。サっちゃんだよ」

「…………はい?」


 嫌味な様子など微塵もなく、レンタロウ様はさらりと言ってのけた。


「ソノちゃん、帝都でサっちゃんに言ったでしょ? 『ついてきたいなら来れば?』ってさ。あれ、きっと本気だったんだと思うよ?」

「え……っと、それは……」

「ソノちゃんはさ。……ああ、いや。『僕らは』、かな。人に期待するってことができないんだ」

「はあ……」

「僕ら三人とも、大概のことはそれぞれでどうにかできちゃうし、足りないところは他の二人を使。けど、それ以上のことは……。なんていうか、期待できないんだ。三人とも、子供の時からそれぞれの事情でさ。人に頼るってことができなかった。だから自分でなんとかするしかなくて、なんとかできちゃってた。そうするとさ、ほかの人にああしてほしいとか、こうしてほしいとか、お願いすることができなくなるんだ」

「…………」


「シオ君は力づくで、ソノちゃんは脅して、僕は騙して。人に言うこと聞かせたかったらそうすればいいんだもの。『お願いする』なんて、なんていうか、慣れてないんだ。だから、あれがソノちゃんなりの、精一杯のお願いだったんだよ」

「私が、それを断った……」

「ああ、責任感じないでってば。悪いのは僕ら。悪党だけに」


 それは、随分と笑えない冗談だった。

 そして、いつの間にか彼の言葉から感情が抜け落ちているのに気付いた。

 ふと顔を見れば、あの日獄中で見た、一切の表情を削ぎ落した虚無の顔で、彼はぽつぽつと言葉を漏らしていた。


「僕だってさ、死ぬよりは生きてるほうがいいよ。だから、このままじゃ危ないから自分だけでも助かろうと思った。多分、やろうと思えばやれたよ。僕なら、どこ行ったって生きていける自信はあるし。適当な誰かに成りすまして、適当に食い扶持稼いで、適当にだらだら生きて。そのうち適当な理由で死ぬ。…………そこまで考えたら、急に馬鹿らしくなっちゃった」

「馬鹿らしく、ですか」

「なんにもないんだ。なんにも感じなかった。普通こういうときってさ、『やっぱり二人を裏切るなんてできない』とかさ。『初めて気づいた。僕にはあの二人が必要なんだ』とかさ。人らしい感情に芽生えて、改めてちゃんとした仲間になる流れじゃない」

「……いえ。その流れは知りませんが」


「全然そんな風にならない自分に改めて気づいた。きっとこの先なにがあったって、僕はこのまま、空っぽの人間なんだろう、って。生きる意味も、死ぬ意味もない。なら、別にここで死んでもいいんじゃないかって。……魔が差したんだ。だから逃げそびれた」

「そうでしたか」

「だからさ、サっちゃん」


 そこで、レンタロウ様は顔を上げて、私の目を真っ直ぐに見据えた。

 感情の見えない声。

 光を宿さぬ目つき。

 そのままで。


「サっちゃんにあげるよ」

「はい?」

「僕の力が役に立つと思うなら、好きに使って。どうせ自分じゃ、使い道なんてないんだし」


 私はそれを、正面から受け止めた。


「ええ。そうさせてもらいます」


 彼の口の端が、微かに持ち上がった気がした。



 ……。

 …………。


「サっちゃんはさ、もう一度お母さんに会いたいって、思う?」

「いえ。別に……。ああ、いや、やはり一度でいいから会ってみたいですね」

「へえ? なんて言うの?」

「いえ。何も言わずに殴り倒したいな、と」

「え」

「ああ。しかし指を痛めては仕事に支障が出ますね。ウシオ様に『らりあっと』の打ち方を習いましょうか」

「あはは。すっごい腰の入ったカチ上げしそう」

「レンタロウ様は、ご両親にお会いしたいと?」

「全然。あ、でも手紙くらいは書いてやってもいいかな」

「なんと伝えるのですか?」



「『こっちで好き勝手生きてます。ザマーミロ』って」

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