4-5

『民衆を盾にすると?』


 獄中にてその策を聞いたときには、私は数秒前の自分の決意と覚悟が早くもひび割れる音を聞いた気がした。


『大丈夫よ。誰も殺されやしないわ。今まであの二人が人間を殺したところ見たことある?』

『いえ……。しかし、それは常に二人が一組で行動していたからでしょう。あの聖女の癒術があればどんな致命傷でも一瞬で治りますから。その彼女を遠ざけてしまっては……』

『だから、あの女がいない以上、傷つけた人間を回復できない。なら、あのヘタレ男が一般市民に手なんか出せるわけないわ』


 それを聞いたときにはまだ半信半疑であったので、私は翌日さりげなくイサム・サトウに人を殺さない理由を聞いてみた。

 曰く、『僕はたとえ敵であっても無暗に命を奪うようなことはしません』と、例によってキラキラとした目で答えを返してきた彼には、確かに戦場で人の命を奪うような覚悟があるようには思えなかった。

 彼の持つ勇者の力は、あまりに強力すぎる。

 なるほど、押し寄せる一般市民を誰一人殺さないように力を振るうことなど到底できないだろう。


 そしてミソノ様の策略通り、彼は見事に足止めを食らい、私たちは悠々と門前町からの脱出に成功したのだった。


 そのまま帝都を目指し北西に進路を取った私たちは、途中で寂れた農村に立ち寄った。

 そこに住まう僅かな住民たちに挨拶をすることもなく、そのまま村の奥にある、ほとんど破れ寺同然の修道院に馬車を停める。

 その音を聞きつけたか、ぼろぼろの扉を開けて、みすぼらしい修道服に身を包んだ老僧が私たちを出迎えた。


「待っていたよ。よく来た」


 やつれた顔に柔和な皺を寄せて笑うその老人は、本来であれば教会の総本山にて療養しているはずの男――教皇グリンゴッツ9世その人であった。


「なによ、元気そうじゃない、おじいちゃん」

 腕を組み、顎を上げて、不遜極まる態度で彼に相対したミソノ様に、扉の奥から声がかかった。

「そんなわけがなかろう。おいチャーリー。あまり無理をするな」


 その声の主は、同じく本来ならば門前町にて政務を執り行っているはずの領主――ヘンギスト・ウッドクロスト伯爵。

 そして――。


「入るなら早く入れ。風が吹き込んで敵わん」

「おう、ティモシーのオッサン。馬車、助かったぜ」

「ふん」

 商会長――ティモシー・ペティグリュー。

 今朝、聖女に盛った毒の木の実を用意した上、私たちが今しがた乗ってきた馬車を手配し、逃亡の幇助を行った張本人であった。


 領主と教皇は昨晩のうちに、商会長は今朝早くに、この村へと身を隠すよう手筈を整えていた。

 そうでもしなければ、あの暴徒と化した領民たちの怒りの矛先は、間違いなく彼らに向けられていただろう。そうなれば、折角戦争を無事に乗り切った領民と兵士僧兵たちとの間で争いが起きていた。それは、誰にとっても望むべきことではなかった。


「しかし、今更だが、良かったのか、ティモシー?」

「本当に今更だわ。ふん。あんな小僧と小娘相手に商売などできるか。舐めくさりおって」

「お前には負けるよ、ティモシー」

 その若造の前で平身低頭していた時とはまるで別人のように、頬の弛んだ顔を苛立たし気に歪めた商会長に、やつれた顔つきの領主が苦笑する。


「ティモシー様。申し訳ありませんが、貴方には引き続き来訪者二人に付いていただき、情報を流して頂きたく――」

「分かっとる、分かっとる。安心せい。使うのは数年ぶりだが、帝都に密通を送るルートくらいは用意できる」

「恐れ入ります」


 数年前になんの目的でそのルートを使ったかは追及しないでおくとして、改めて謝意を伝えたその老人の顔には、やはり疲労の色が見える。

 しかし――。


「それよりヘンギスト。領の方は大丈夫なんだろうな。お前が不在のままで運営に支障が出るようでは困るぞ」

「安心しろ。『領主は今までいいように操っていた偽の勇者から復讐されて死んだ』のだ。後のことは優秀な官僚たちに任せておるし、留学させとった息子も呼び戻した」

「おお。ギムレット君か。久しく会っておらなんだな」

「チャーリー。頼むから大人しくしておれよ。お前は『次の教皇が選ばれるまで』は療養中の身なのだからな」


 顔を突き合わせて悪だくみをする三人の老人の顔は、数日前にそれぞれ会った時よりも、随分と生き生きしていた。

 ふと、路地裏に屯し、悪戯の成功に目を輝かせる悪童たちの姿を幻視した気がした。


「ふん。こんなボロ教会で雁首揃えて何やってんだか。大人しく私ら処刑させてたほうがよかったんじゃないの?」

 傲岸なセリフでそれに突っかかったミソノ様に、三人の老人は苦笑して応じた。

「ああ。それが、本来我々がとるべき選択だったのだろうな。しかしな、ミソノ君。確かに我々とて散々汚い手段を使いながら今日ここまで生きてきた。それでも、通すべき筋と意地があるのだ」

「はあ? なんの話よ」

「君たちは、約束通りにこの領を救ってくれた。それに、こうしてこの醜い老害が三人顔を突き合わせていられるのは、君たちのおかげだ」


 恐らく。

 あの二人の来訪者ヴィジターは、グリフィンドルの兵士たちに受け入れられているわけではないのだ。

 本来なら、あの二人の介入がなくともこの領への侵攻は滞りなく行われていたはずだった。そしてその時、彼ら二人の掲げる不殺生など、兵士たちは歯牙にもかけなかったに違いない。事実、彼らが介入してくるまでに、ホグズミードの村一つが滅ぼされている。

 グリフィンドル側があの二人に頼るしかなくなるまで、あちらを追い詰めることができたのは、三悪党の功績に相違あるまい。


「だが、我々は君たちの望みを叶えてやれなかった。ならばせめて、ここから無事に送り出すことがせめてもの筋だ。それにな――」

「それに?」

「あの憎たらしい若造どもに吠え面かかせてやらんことには、死んでも死に切れん」

「そっちが本音でしょ」


 どちらからともなく、くつくつと忍び笑いが漏れる。

 その横から、穏やかな表情をした教皇が歩み寄り、ミソノ様の前に立った。


「では、やり直すとしよう」

「はい?」

「ミソノ・イテクラ」

「……なによ」


 その老いた声に芯が通り、一瞬で、空気が澄んだ。


「第二十五代教皇の名のもとに、そなたを聖女と認む」


 皺の寄った指先が二本、小さな少女の額に当てられる。

 次に、腹の中心に、右肩に、左肩に、教皇の御手が触れていった。

 聖陽の象徴たる、正十字イコール・クロス


「その力をもって、無辜の民を導き、救い給え」


 一瞬、きょとんとした少女は、静かに目を閉じ、自らの額と、腹、右肩、左肩と、教皇の指先の後をなぞるように握った拳を当てていった。

 一歩だけ後ろに下がり、一礼。

 おもむろに上げたその顔に、歪な笑みが。


「気が向いたらね」

よし



 そして。


「レンタロウ君。君が使っていた変装道具一式、運び出しておいたぞ」

「わあ、ありがとう。領主様。ごめんね~、領の人の恨み向けさせちゃって」

「しれっと謝ることか。全く、君が一番危ないヤツだと思った私の直感が当たっていたな」


「ウシオ君。君には物足りんだろうが、当面の兵糧とさらしだ」

「おう。ありがたく使わせてもらうぜ、ティモシーのオッサン。払いはサっ子につけといてくれ」

「構わん、構わん。君は私の長年の願いを叶えてくれた」

「あん?」

「一度でいいから、ヒッポグリフとグリフォンの肉を食べ比べてみたかったのだ」

「かっかっか。またやろうぜ」


 私たちは、日の上りきる前にその村を出た。

 澄み渡る晴天の南の端に、薄っすらと灰色の雲が蟠っているのが見える。

 いずれ、あの雲が国土に雪を運んでくるのだ。

 

 険しい冬がくる。


 それはきっと、恐ろしく冷たく、暗く、黒々とした血に塗れた、冬の時。

 それでも、きっと――。



『ありがとう』


 三日前の獄中で、私が最後の力を振り絞ってミソノ様とウシオ様の枷を解き、崩れ落ちたあとで、しばし呆然としていた三人は、揃ってその場に座り込んだ。

 それは、両膝を揃えて地につき、そのまま踵の上に腰を下ろす奇妙な姿勢。

 三人とも背筋を伸ばし、膝の前に手を置き、深々と頭を下げた。


『この恩は、忘れません』



 ――きっと、乗り越えられるだろう。


 敵は大軍。

 既にいくつもの町や領を落とし、侵攻を続ける南の大国。

 それに与する、異世界から来た勇者と聖女。


 対して、こちらの手勢は四人。


『私は凍倉美園。得意なことは人を貶めること』


 クズと。


『俺は篠森潮。得意なことは人を殴ること』


 脳筋と。


『僕は楠蓮太郎。得意なことは人を欺くこと』


 詐欺師と。


 そして――。



『私はサクラ・アメミヤ。得意なことは、人を使役つかうこと』



 私だ。



 第五部『私』 了

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