4-4
私は、選んだ。
清廉潔白の理想を棄て、汚泥に塗れた闘いの道を。
そのために必要な、悪党の力を。
ミソノ様の声とウシオ様の力を封印していた首枷は、三日前には既に解かれていたのだ。
形ばかりにそれを付け直し、今の今までそうとは気取られぬようにしていただけのこと。
しかし、そうとは知らぬ異世界の勇者は大いに困惑していた。
「ど、どうしよう。あ。田中さん。田中さんに連絡を――」
彼は懐から掌に収まるサイズの金属の板を取り出し、その表面を指で撫で始めた。
聞いていたところによると、それは異世界から持ち込んだ機械で、お互いそれを持っている同士で遠距離のコミュニケーションがとれるのだとか。こちらでは使えなかったものを聖女の魔術で無理やり使えるようにしたのだという。
「あ。もしもし、田中さん。大変なんだ。今すぐ――」
『…………ちょ、ちょっと待って。あ。駄目――』
「田中さん?」
『ご、ごめん。なんでもない――あっ』
「どうしたの!?」
『はぁっ。なんでも……ないって、ちょっと、……はぁっ。でかい、虫が――』
「え? あの、田中さ――」
『ごめんあとでかけなお――』
「あ、ちょっ――」
なにやら、切羽詰まった様子のセイカ・タナカの声がその板から漏れ聞こえてきたかと思うと、それが唐突に途切れた。
イサム・サトウが、無言となった金属の板を呆然と見つめている。
ちなみに、これはミソノ様の策だ。
がつっ。
と、異音が虚空に響く。
自由の身となった台上のミソノ様が、赤髪の騎士から拡声の魔道具を奪い取った音だった。
三日前。
私は、彼女の枷を解いた。
『私が、あなたたちを援けます』
いや、実際のところ、枷の問題ではなかったのだ。
彼らが本気で状況を打破しようと思うなら、あの程度の牢獄や首枷がどうにもできないはずはない。
彼らには、生きる意味がなかった。
ウシオ様の怪力と格闘術は、ただ自分が闘うためだけに。
ミソノ様の邪悪な性根と知性は、ただ自分が生きるためだけに。
レンタロウ様の演技力と煽動力は、ただ二人についていくためだけに。
彼らの持つ異常な力は、ただそこにあるだけで、彼らに生き残ることを許していた。
ウシオ様は闘うために闘い、ミソノ様は生きるために生き、レンタロウ様は、ただそこにあるだけ。
ただそれだけで、彼らは今まで生き残っていた。
空っぽなのだ。
彼らには、進むべき道も帰るべき場所もない。
だからこそ、彼らは初めて自分たちを負けさせてくれた相手を歓迎した。
『だから――』
私が、くれてやろう。
誰に恨まれようと、誰に罵られようと、誰に裏切られようと、私が彼らを支えてやる。
『私の道の前に立ちはだかる敵を――』
たとえ彼らが負けようと、心を折られようと、生きることを諦めようと、私がそれを許さない。
『欺いて、貶めて、殴り倒してください』
それが、あなたたちの生きる道だ。
「あっらぁぁああ~~?? どうしたの~?? ゆ・う・しゃ・さ・ま」
聞いたもの全ての心を闇に落としそうなほど腹立たしく神経を逆撫でする声が、大音量で届いた。
「あれれぇ~~? 聖女さま(笑)のお姿が見えないわねぇ~。大変だわ~。この非常事態にどこ行っちゃったのかしらぁ~~??」
「田中さんに何をした!?」
「あっははははははは!! 何をした、って。あんたらが私たちのこと八日も快適なお部屋に閉じ込めてくれたんでしょ? 私らが。あなたのお友達に。一体何をできるってのよ。ああん?」
「ぐっ……」
「ていうかさぁ。私に言われなきゃ分かんないわけ?」
それは、恐ろしく邪悪で、陰湿な、猛毒の言葉。
「グリフィンドルの騎士のお兄ちゃんとよろしくやってるに決まってんでしょ」
「んな!?!?」
勇者の顔が、歪んだ。
「あの男好きがこんな異世界でセフレの一人や二人作ってないはずないじゃない。あれでしょ? どうせお得意の魔法で避妊もばっちりなんでしょ? あ。あんたには関係ないか」
「ふ、ふざけるな! 田中さんはそんな人じゃない!!」
「あーあー。遠くてよく聞こえないわねぇ。まぁ大体想像つくから勝手に話しちゃうけど、あの女が何で私の声を封じたと思う? こういうこと喋られたくなかったからに決まってんでしょ」
「嘘をつくな! そんな、だって、だって、僕は、僕が……」
「ええ?? あれ?? ひょっとしてショック受けちゃってる?? あ~。夢見ちゃってたか~。女の子に夢見ちゃってた? それとも、どうして自分とはそういうことしてくれないのかって?」
一応。
私が庇うのもおかしな話だし、実際のところセイカ・タナカの男性遍歴など知りはしないが、今彼女がここに来ることが出来ないのはどこぞの男と逢引き中だからではない。
普通に毒を盛られただけである。
『ミソノ様。あの聖女に毒など効くのですか? 千切れた手足を元通りに治す癒術の使い手ですよ? そもそも、あの果実は有名な毒の実で――』
『はっ。あの女が癒術の仕組みまで分かって使ってるってんなら、そりゃ効かないでしょうけど、断言してもいいわ。絶対に効くし、日本人なら絶対に食べる』
彼女の朝食に用意されたのは、この世界でまともな教養のある人間なら決して口にしない果実だ。
円錐形に似た形の赤い果実で、表面に小さな種が無数に浮き出たグロテスクな見た目をしているので、普通に山中で見かけても手を出す人はまずいない。だが、その外見と裏腹に口にすると意外なほどの甘みがあるので、飢えに窮した無知な人間がその毒に中ってしまうことがなくはない。
激しい腹痛と下痢を引き起こす猛毒に。
『ま、あいつなら死にはしないでしょうけどね。その分丸一日はトイレから出てこれなくなるわ』
しかし、それこそそんなことは、イサム・サトウには知る由もないことである。
「あ・の・ねぇ。元居た世界の自分の立ち位置思い出してみなさいよ。一応周りに見栄張るためにサッカー部に入ったけど万年補欠の引き立て要因。おまけにコミュ障で周りに合わせられなくて同級生からも先輩からもマネージャーからも陰で馬鹿にされてたわよね? そのマネージャーは誰と付き合ってた? スポーツ万能でイケメンの先輩だったわよね? ああいう女ってのはね、普通そういう男とエロいことすんのよ。あんたなんかいくら異世界に来てチート貰って俺TUEEEしたって顔と性根がそのままだったら相手になんかしてもらえるわけないじゃない」
彼の顔が、赤くなり、青くなり、やがてどす黒く紫色に変わっていった。
「だ……れ。……まれ」
「ねえ? 期待してた? このままあの女と旅してたら、好感度メーターが上がっていって、何回かイベントこなしたらエッチシーンに突入できると思ってた? そういう気持ち悪い視線、女子は全部わかってるからね? あんたなんかどうせチートがなきゃその辺のチンピラ相手でもションベン漏らして土下座するしかできないくせにさぁ。ホント、身の程弁えなさいよね、この――」
「だまれだまれだまれだまれ」
「――ゴミ陰キャが」
「だまれぇぇぇぇええええ!!!!!」
いや、全く。
セイカ・タナカがミソノ様の口を封じていたのは、正しい選択だったのだ。
流石にミソノ様も鬱憤が溜まっていたのか、いつになく邪悪さを増した毒舌で衆人環視の元、異世界の勇者の権威を地に貶めてみせた。
それは、ものの見事な公開処刑だった。
そして、この次は――。
どん!!
虹色の光が爆発し、勇者の体が空に飛びあがった。
放物線を描いて向かうのは、もちろん先ほどまで十字架が三つ立っていた処刑台である。
そのへし折られた十字架が、一人の巨漢の手によって、宙を飛ぶ勇者に投げつけられた。
それを虹色の光をもって難なく払いのけた勇者に、次の一投。
それは、重しをつけた革袋であった。
同じようにそれを払いのけたことにより、革袋が弾け、なにやら黒い液体が飛散する。
それをまともに被った勇者が処刑台の板を割り着地した、次の瞬間。
「うああああ!!!」
大いにのけぞり、台上から転げ落ちた。
その上の赤髪の騎士が顔を顰めている。
まったく、ほとほと呆れ返る。
たかだか汚物を投げつけられた程度であの狼狽えよう。
あんな悪戯、帝都のボトルベビーたちですら怯むまい。
そして、恐らくは誰一人として気づくものはいなかっただろう。
台上から、一人の詐欺師の姿が消えていることに。
「こいつ、漏らしやがったぞ!」
処刑台の前に集っていた無数の観衆。
その中から、男の声が。
「本当だ!」
「汚えな!」
「ふざけんな、なにが本物の勇者だ、この野郎!」
「クソガキが!」
「囲んじまえ!」
「ひっ」
あっという間に、勇者の姿は人々の中に埋もれて消えた。
事前に手筈を聞いていた私でさえ、どのセリフがレンタロウ様のものなのか分からない。彼は民衆を盾と矛に使い、勇者を拘束したのだ。
「ど、どけ! どけよ!」
「どかしてみろや! こっちはとっくに覚悟決めてんだ!」
「今です、ウシオ様! ミソノ様を連れて、早く!」
「おう! 助かったぜ!」
「ここは我らにお任せください! さあ!」
その騒ぎから少し離れた場所に、一台の馬車が停められていた。
それは、あらかじめ用意されていた逃亡用の早馬だ。
私が計画通りにその幌の中に乗り込むと、ミソノ様が投げ入れられ、ついで、どこからともなく現れたレンタロウ様が入り込んでくる。
最後に、御者台に乗ったのはウシオ様。
「うっし。ずらかるとするか! おい、一個貸しにしとくぜ! えーっと……」
立ち塞がる民衆に絡みつかれた本物の勇者に、偽物の勇者が飛びっきりの捨て台詞を残した。
「悪い。名前なんつったっけ?」
発進した馬車の遥か後方から、言葉にならぬ絶叫が長く尾を引いて響いた。
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