4-3

 三日前。


 三人の悪党が投じられた牢獄の前で、私は覚悟を決めた。

 今、この三人に何を言ったところで、彼らの意思を変えられるとは思わなかった。


 口ではなんとでも言える。

 領民たちが彼らにどれだけ感謝しているか。

 領主と教皇が、どれだけ彼らの身を案じているか。

 シスター・ベラトリックスに裏切られたばかりの彼らに、口で説明して理解してもらえるものではない。


 そうだ。

 私とて、彼らを最初から信じていたわけではなかった。

 私が彼らに動かされたのは、ミソノ様の計略に絡めとられたからでも、レンタロウ様の口車に乗せられたからでもない。

 彼らはいつだって、行動と結果で示してきたのだ。


 病に倒れた浮浪児のために治療法を見つけ出し。

 巨大な飛竜に真っ向から立ち向かい。

 悪徳の権化たる貴族の屋敷にたった一人で乗り込んでいった。


 ならば、私も行動で示そう。


 私は、事前に拝借していた牢の鍵を懐から取り出した。

 実にあっけなく、彼らを捕らえる鉄の牢は扉を開ける。


「なにやってるのさ、サっちゃん。そんな錠なんて意味ないって。ここには日本人しか入れな――」

「黙っていてください」


 手を伸ばす。

 見た目には開ききった扉を潜ろうとすると、目に見えない壁に行き当たり、指が弾かれる。

 私は、それを押し込んだ。


「……ぐっ」

 指先が焼けるような感覚がした。


「サっ子?」

「サっちゃん?」

 二人の男が怪訝そうにそれを見る。


 痛い。

 指先から掌へ、骨の髄まで染み入るような激痛が走る。


「おい、よせ、サっ子」

「無理だよ。力づくで通れるならとっくにシオ君が出てる。もう何度も試したんだ」


 うるさい。

 私は、渾身の力をこめて、腕を押し込んだ。


「~~~~~~~っっっ!!!」

 

 私の肘が、結界を通り抜けた。

 気を抜けば喉から迸りそうになる絶叫を噛み殺す。

 なんということはない。

 苦痛に耐えて悲鳴を殺すことなど、とうに慣れ切っているのだ。


 神経を焼き焦がすような痛みと引き換えに、徐々に、だが確実に、私の腕が結界の中に侵入していく。


 その中で、三人の悪党が信じられないものを見るような目で私を見ている。

 ウシオ様でさえも破れなかった結界を、私の細腕がこじ開けていく様を。


 馬鹿なことだ。

 彼らなら、分かっていたはず。


 ニホン人しか入れず、ニホン人には出ることができない結界。


 、自由に出入りが出来ることを。


 二の腕までがそれを通過したところで、私は一呼吸を置いて、右足を踏み出した。

 靴の中で足先が爆発する。

 脛が、膝が、腿が、その爆発に晒されていく。


 その時、放心していたミソノ様が慌てたように立ち上がり、二人の男の背をバシバシと叩いた。

 結界のなかに潜り込んだ私の右手と右足を押し返そうと縋り付いてくる。

 その、あかぎれにまみれた小さな手を、私は逆に握り返した。


 初めて見る狼狽した瞳を、真正面から見据えてやる。

 口は、苦痛を噛みしめ耐えるのに精一杯で動かせそうにない。

 だから私は、力の限りにその目を睨みつけ、絶対に引く気がないことを伝える。


 それを見た二人の男の決断は早かった。

 私が伸ばした腕を上から握り、引っ張ったのだ。


 遠慮容赦のないその力に私の体全てが結界にぶつかり、そして、破滅的な痛みを全身に齎して、通り抜けた。

 その際に、頭の後ろでぶつりと小さな音が聞こえ、髪留めが壊れた。

 きっちりと結い上げていた髪が解き放たれ、ミソノ様を巻き込み倒れこんだ私の顔にかかる。


 


 そう。

 この世界において、彼らのような黒髪は珍しいが、全くいないというわけでもない。

 ただ、少なくとも帝都で見かけることは稀だし、この特徴的な髪のせいで私はどこに行っても顔を覚えられやすい。そして、私と彼ら三人が纏まっていれば、誰だって髪の色を見て「あの四人は身内なのだろう」と考える。


 それが、『悪党の引率者』などという不名誉極まりない呼び名の由来だ。

 

 もちろん、私はニホン人ではない。

 私の実の父母も帝都の人間だ。

 しかし、母の父親は違った。

 彼は、違う世界からの来訪者ヴィジターだった。


 彼が、イサム・サトウのように神だか悪魔だかから何らかのギフトを受けていたかは分からない。

 だが、彼はこの世界で一人の人間として生き、死んでいった。

 この世界で伴侶を得て、子を授かり、血を残した。


 私の体には、その血が四分の一だけ流れているのだ。


 だから、通れる。

 先ほど鉄格子越しにミソノ様に手を伸ばしたとき、指先を阻まれたときには確信していた。四分の三は通れないが、四分の一は通れる。その無茶が激痛となって現れただけのことだ。

 だが、この程度の痛みが何だというのか。

 今まで、私の目の前で死んでいったものたちの痛苦に比べて、この程度、どれほどのことだというのだ。


『私はね、こんな暮らしをしていい人間じゃないんだ』


 それが、私を生んだ女の口癖だった。

 在りし日の栄華を忘れられず、祖父の残した財産を祖母と共に食い潰し、やがて商売女に身をやつしてなお、その思い出を忘れぬために自ら産み落とした子に縫い付けた。


『×××ガ、ミタイ』


 祖父の最期の言葉。異国の音で紡がれたその言葉を、母はいつまでも覚えていた。


『――それが、お前の名前よ』


 私を捨てた女。

 泣きじゃくりながら、私をボロ小屋に残し、去っていった女。

 当然、恨んだ。

 憎んで、呪って、罵った。


 しかし、ボトル・ベビーとして帝都の暗がりを這いずり回る中で、私は徐々に彼女のことを理解していった。

 彼女はただ、死にたくなかっただけだ。

 あのまま二人でいては、二人とも生き残れないと分かっていた。

 彼女には、そうするより他に道はなかったのだ。


『ソレデイイ』


 そうだ。

 彼女はをした。

 自分の命を救うために、彼女は正しい道を選んだのだ。


 それを、あの若者たちは認めなかった。


『あり得ない』

『人間のすることじゃない』

『二度とそんな過ちが起きないように――』


 ふざけるな。

 誰だって必死なのだ。

 生きたくて、生きたくて、必死なのだ。


 それを、何も知らない平和ボケした異人が。

 私の母親を侮辱するな!!


 

 ずる。

 と、全身を苛み続けた激痛によって力を失った体を懸命に動かし、私はスカートの奥をまさぐった。

 右腿のガーターベルトから、暗緑色の鞘に収まった短剣を引き抜く。


 私に縋りつく小さな少女の襟元を掴み寄せる。

 その細い首筋を囲う、白縄の首枷。

 僅かにでも魔力に触れれば解ける代わりに、自力では絶対に解き得ない聖女の首枷。


 私が握るのは、強大な魔獣たる飛竜の牙から研ぎ出した短剣だ。

 燭台の光を受けて、その剣身が淡い乳白色の光を放った。


 その鍔元に彫られた、異国の文字を浮かび上がらせる。


『それね、僕たちの国の文字』


 過去と未来を今の私と繋ぐ、ただ一文字の言葉。



『それが、お前の名前よ』


 

 ――――『 桜 』。


 

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