4.公開処刑
4-1
三日後。
風は止み、抜けるような青空が地平の彼方まで広がっていた。
本格的に冬が深まり降雪の始まる前、この地方では決まって幾日か、このような束の間の晴天が訪れる。
やがて来る厳冬の前、天からの贈り物たる柔らかな日差しが、世界の全てに均一に降り注いでいた。
平原に、町の門に、教会の本山に、人々の暮らしが軒を連ねる町中に。
そして、大広場に作られた処刑台に。
広く人の目に付くように作られたその舞台には、三つの十字架が建てられ、三人の若者が拘束されている。
彼らを取り囲むのは、数人のグリフィンドル兵だ。十字架の前には白黒に染められた大きな木箱が二つ置かれ、小さな穴の開いた蓋をされている。それは、昨日から行われた領民たちによる投票を受けた木箱である。
勇者と聖女を騙り、領土全体を戦争に巻き込み、人々の命と生活を棄損した三人の罪人たち。
黒塗りの箱には死罪の票を。
白塗りの箱には恩赦の票を。
領民は一人に付き一つの票を与えられ、どちらか一つの箱にそれを投じた。
投票の際には、箱は天幕で覆われ、誰がどちらの票を入れたかは分からないようになっている。ついさきほど、最後の票が投じられ、天幕が取り払われたのである。
そして、今から開票が始まり、死罪の票が多ければその場で彼らの体に槍が突き立てられることになっている。
舞台から少し離れて、ホグズミードの領民たちがそれを見守っている。
そこからさらに離れた場所にて、イサム・サトウと、シスター・ベラトリックス、そして、私がそれを望み見ていた。
「いよいよですね、勇者さま」
シスターが、熱い湯気の立つ紅茶を給しながらイサム・サトウに声をかける。
「そうだね。シスター。今日までご苦労様」
「ああ。彼らの不浄なる魂に、せめて安らぎのあらんことを……」
神妙なセリフも、敬虔な仕草も、その全てを目の奥に宿る薄暗い光で台無しにしながらその時を待つシスターの顔は、やつれ切っていた。擦り切れた喉は聖女の癒術で治してもらっているようだが、連日励行していた演説は彼女の体力を確実に摩耗させていた。
それでも、彼女はそれが己の使命と信じて疑わぬ様子で、悪党どもを断罪するためにこの門前町を東奔西走していたのだった。
私はその間、彼女に代わり
領内に大型の魔獣が
ここまで聞くと、どこがちょっとした事件だと思うかもしれないが、本当にちょっとした騒ぎで収まったのだ。
それはもちろん、異世界の勇者と聖女の活躍によってであった。
かつてウシオ様が満身創痍となって討伐した飛竜よりも一回り以上は巨大な屍竜が村を襲い、それをホグズミードの兵士たちが決死の覚悟で食い止める戦場に、彼らは転移の魔術で飛んでいった。
それは、昼餉の前の食卓に這っていた蜘蛛を追い払うかのような気軽さで、そして何故か「せっかくだから」とよくわからない理由で私まで巻き込んで戦場に転移した彼らは、まず聖女の雷の魔術で屍竜の天を覆う両翼を焼き焦がした。
藤色の雷電が腐食の魔力をかき消し、次いで、その巨体の足元に無造作に近づいた勇者が、その手に握る剣に虹色の魔力を纏わせ、縦一文字に巨体を両断した。
一瞬、であった。
まさに、蜘蛛一匹を払うのと何ら変わらぬ仕草で、彼らは村人と兵士たちを救ってのけた。
彼らが到着する前に戦っていた兵士たちは、当然のように聖女の癒術によって全快し、みなが何が起きたのか分からず放心しているうちに、彼らは再び私を連れて門前町へと転移した。
いや。私を連れていく意味、絶対になかっただろ。
一体何のアピールをしたいのやら、努めて平静に、何でもないことのようにその偉業を成し遂げた二人が私に向ける期待の眼差しに、私は日頃国王陛下の相手をすることで慣れ切った阿諛追従で応じ、彼らは満足げに昼餉に取り掛かったのだった。
かの魔獣を倒したことでまたレベルが上がっただの何とかいうスキルが増えただのと騒いではいたが、流石にそこまでは覚えていられなかった。
私とて、やるべきことはいくらでもあるのだ。
教会と領主の館、そしてグリフィンドル兵たちの間を行ったり来たりしながら、私は処刑の日の、その後に備えた。
ちなみに、ミソノ様を聖女に据えた教皇――グリンゴッツ9世は、戦争終結の日、勇者に受けたダメージが原因で、いまだ床に臥せていた。肉体の傷は例によって聖女に癒されたが、聖術を正面から破られ跳ね返されたことによるダメージが思いの外強かったようである。
領主ウッドクロスト伯は、ただ淡々と戦後処理と今後の国交についての取り決めをこなし、この地を統べる三老人の残り一人、商会長ティモシー・ペティグリューは――。
『さっっっっすが本物の勇者殿に聖女殿! このティモシー! 救われた村の民と兵士たちに代わり幾重にも御礼申し上げますぞ!!』
ものの見事に、二人の若者に媚び諂っていた。
『あの野蛮なだけの偽勇者や小賢しいだけの偽聖女などとは何もかもが違いますな! あなたがたこそ真の救世主! 世界に選ばれた英雄!』
まあ、彼とて自分と商業ギルド全員の命と生活を守る義務があるのだ。彼の立ち振る舞いを不義理と謗ることなどできはしない。
イサム・サトウは苦笑いで彼に応じ、セイカ・タナカは嫌悪の情を隠しもせずにその弁舌を無視していた。
そんなこんなで、三日間という時間は瞬く間に過ぎていき。
そして、とうとう。
「これより、開票を行う!」
晴天に、拡声の魔道具を用いたグリフィンドルの将――あの赤髪の騎士隊長だ――の声が響き渡った。
両手を胸の前で握りしめたシスターが小さく聖句を唱える。
イサム・サトウは、例の真っすぐな眼差しに僅かに影を宿し、遠く処刑台を望んでいた。ちなみに、セイカ・タナカは、「グロいの見たくないから」と言って自室に引っ込んでいる。それは、三悪党の処刑を微塵も疑っていない様子で、イサム・サトウも、苦笑しつつも特に彼女を引き留めようとはしなかった。
処刑台の上で、二つの木箱の蓋が取り外された。
それを覗き込んだ赤髪の騎士がため息を零した音を、拡声の魔道具が拾った。
「……数える手間が省けるな」
そんな呟きがこちらまで聞こえてくる。
「メイド長さん」
「なんでしょう」
「僕たちには、この世界で為さねばならないことがあります。けど、それをやるだけじゃ意味がないんだと、今回の件で思い知りました。僕は、この世界に平和を取り戻して見せます。誰もが安心して暮らせる世界を。だから、改めて聞きます。僕たちに、ついてきてくれませんか?」
その澄んだ瞳を、私は横目に逸らした。
「ええ。あの悪党を処刑してくれるのならば、是非もありません」
「……彼らのことは、本当に残念です」
「ああ、そうだ。最後に私からも一つ、質問していいでしょうか」
「ええ。どうぞ」
「あなたは、一日に何回『すくわっと』をしますか?」
「…………は?」
イサム・サトウは、しばし唖然とした後、噴き出した。
「あっははは。やだな。こっちにもあるんですか、スクワットって? 懐かしいな。いや~。もうどれだけやってないだろう。メイド長さん。僕は、そういうの、する必要ないんですよ。僕の能力『英雄――」
「そうですか。では――」
彼の言葉を遮って、私がそのセリフを言いきる前に、遠く処刑台の上で、赤髪の騎士隊長は、黒の木箱――処刑の票を集めた――を蹴り倒した。
随分軽やかに転がったそれから、数枚の紙片が舞う。
「え?」
それを見ていたシスターが、呆けたような声を出した。
続いて、恩赦の票を集めた白の木箱が持ち上げられ、傾けられた途端、中身が洪水となって台上に降り注いだ。
「え? あれ??」
それが何を意味しているか、咄嗟に受け止められない様子で狼狽える若者とシスターに、私はやはり視線を向けることもなく言い放った。
「――あなたでは、あの三人には勝てないでしょう」
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