3-3

 王宮で働く人間にとっての必須技能は、人の表情を読み取る技術だ。

 目上の人間の顔色を窺い、目下の人間の機微を察する。それは、私が唯一人に長じると自負できる点でもあり、初対面にして異人である来訪者二人の懐に潜り込む一助とした技でもある。

 それでも――。


「やあ。お帰りなさい。待ってたよ」


 その声の主は、およそ人の備える表情というものを持っていなかった。

 まるで精巧な蝋細工のように、人間の顔をかたどってはいても、その奥に誰しもが持つ感情の揺らぎが見えない。

 闇――ではない。

 虚無だ。

 

「ああ。この顔? これが一番楽なんだ。でも、最初この世界に来た時に、ソノちゃんから『辛気臭い』って言われてね。普段はんだよ。まあ、それももう必要なさそうだしね」

「……つまり、あなたは普段からずっと、演技を?」

「それは僕に限ったことじゃない。人は誰だって仮面を被って生きてる。決して外せない仮面をね。サっちゃんだってそうでしょ? 僕は人よりその仮面の数が多いだけだよ。そして、それを自由に脱ぐことができるってだけ」


 こうして文字に起こすといかにも人間らしく会話をしているように見えるかもしれないが、私は先ほどから猛烈な違和感に混乱していた。

 彼の口から発される言葉に、全く抑揚がない。その視線に意思が見えない。人間というのは、ここまで『個性』を削れるものなのか?


 ざり。

 と、小さな足音と共に、彼の脇に小柄な少女が立った。

 いつも手入れを欠かしていなかった黒髪はすっかりほつれ、艶を失くしている。

 襤褸同然の布切れに身を包み、真白い首枷によって声を封じられた彼女は、おもむろにしゃがみ込むと、小さな枝切れで地面に文字を書いた。


『ナニシニキタ』


 そのさらに奥には、樽に背を預けて座り込んだ大男が、静かに視線を寄こしているのが見える。

「…………話を、聞きに来ました」


 私の答えに、ミソノ様が胡乱気な目でこちらを見上げてきた。

 鉄格子越しに見る彼女の顔が、少しやつれている気がした。

 私が思わず伸ばした掌が、鉄格子を僅かにすり抜けたところで見えない壁によって阻まれる。

 ちり、と指先に微かな痺れが走り、弾かれた。


「無駄だぜ、サっ子。多分、俺のこの枷がなくてもそいつは破れねえ。んだ」


 異世界の聖女の魔術。

 ニホン人しか入ることが出来ず、ニホン人は出ることができない。

 この牢は、鉄格子よりも堅牢な結界によって守られているのだ。


「ああ。ひょっとして、僕たちがここに物資を持ち込んだ方法を聞きにきたのかな。大したことじゃないよ。入る前から置いてあったんだ」

 相変わらず人間味のない声で、レンタロウ様が語り始めた。

 入る前? そんなはずはないだろう。ならば何故彼らを投獄した時点で気づけなかったのだ?


「正確に言うと、置いておいたんだ、僕が。二人が戦争に行ってる間にね。もし二人が負けてこの城下町が攻められるようなことがあったときのために逃げ道を確保しておこうと思ったんだけど、いつの時代にか、同じようなことがあって、同じようなことを考えた人がいたんだろうね。この地下牢には抜け道があって、地下から町の外へ脱出できるようになってる」


 そこまで彼が語ったところで、ミソノ様が立ち上がり、今朝と同じように部屋の柱から一つの石を抜いた。

 小さく、微かな振動音が聞こえ、今朝は大量のクッションによって遮られていた壁に、ぽっかりと穴が開いていた。


「この中、結構な広さの空洞になっててね。逃げる時用の物資も隠しておいたんだよ。だけど――」

「なるほど、その抜け道ごと、結界で囲われてしまった、と」

「そういうこと。領主様が僕らだけでも逃がそうとして、この牢に入れるところまでは手を回してくれたんだけど、無駄になっちゃったってわけ。まあせっかくだから物資だけはこうして使ってるけど」


 そして今さらどうでもいいことではあるが、やはり崩落云々はハッタリだったわけだ。 

 まあ、あの程度詐欺というほどのことでもない。

 そして、問題はここからだった。


「それで、この後はどうするおつもりですか?」


 別に、彼らがどうやってこの悠々自適の牢獄生活を手に入れたかなどどうでもいいのだ。一々彼らの手腕に呆れたり驚いたりするのもいい加減馬鹿馬鹿しい。どうせ私には思いつかない何かしらの方法をミソノ様が取ったのだろうと考えていた。

 だが、では何故彼らがそんなことをしたかと言えば、それはまだ彼らが諦めていないからなのだろう。

 ここから、あの同郷の勇者と聖女に反撃する手段を蓄えているからこそ、こうして体力を温存しているに違いない。


 私は、それを聞きにきたのだ。

 しかし――。


「どうって、そろそろ寝ようかと思ってたけど」

「は?」

「いや。この後って、もう真夜中でしょ。ここは日の光がないから分かりにくいけど。多分サっちゃんが来るんじゃないかって、三人で話してたからこうして待ってたけど、そっちの用が済んだらもう寝るよ」

「……いえ、そういうことではなく」


 その言葉からは、やはりその真意を読み取れない。

 いつになく静かなウシオ様は、やはり無言で見るともなしにこちらを見ている。

 ミソノ様は、つまらなそうな表情で顔を背けていた。


「レンタロウ様。腹の探り合いをしに来たのではありません。単刀直入に聞きます。どうやってこの状況を切り抜けるつもりですか?」

「……逆に聞きたいんだけど、どうこうできる状態に見える?」

「え」

「今、外で僕らを処刑する算段をつけてるんでしょ? まあ、街の人たちには僕が、結局最後に決めるのはあの二人なんだから、もう助からないよ」

「な、なにを……」


 何を言っているのだ?

 まるで、それではまるで、死ぬことを受け入れているような……。


「ような、じゃなくて、受け入れてるんだ。僕たちは負けた」

「何を言ってるんですか!?」


 そんな馬鹿な。

 ウシオ様の力を三分の一にする枷?

 ミソノ様から声を奪う枷?

 レンタロウ様の変装を見破る魔法?

 どうあっても倒せない敵の戦力?

 が、彼らにとってどれほどのハンデだというのだ。


 まさか、私があの若者二人に懐柔され、情報を盗みにきたと思っているのか?

 考えてみれば、彼らからすればそれが一番警戒しなければならないことなのかもしれない。

 では、どうする?

 どうやって彼らに――。


 その時。

 ざり、と。足元で音がした。

 見れば、先ほどと同じように、ミソノ様が地面に文字を書いている。


『モウイイ』


 それは、私の知る彼女には、あまりに不釣り合いな言葉だった。



『サスガニ、ツカレタ』


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