3-2

『少し、考えさせてください』


 私はそう言って、彼らと別れた。

 

 話は簡単だ。

 どの道もうスリザールは助からない。ならば今のうちに、この戦争が終わった後で自分の身を守る方法を確保しておいたほうがいい。

 それには確かに、彼らに付いていくことが最も手っ取り早い。


 だが、そのさらに後は?


 セイカ・タナカは昨日、自分たちの目的が彼らの元居た世界に帰ることだと明かした。

 そして今日、『最後はスリザールの首都まで行かないといけない』と漏らした。

 つまり、彼らが帰還するための条件が我が国の都にあるのだとするなら、戦争が終わったあと直ぐに、彼らはいなくなる可能性があるということだ。


 なるほど、確かに彼らは慈悲深いのだろう。たとえ敵であっても殺さず生かし、争い自体を起こさせないようにする。彼らの思想と、その超常的な戦力があれば、首都の無血開城とて夢ではあるまい。

 だが、


 彼らが帰還したのち、残されるのは戦勝国グリフィンドルと、敗戦国スリザールだ。一体彼らという枷のなくなったグリフィンドルがスリザールにどのような所業を働くか、想像するまでもない。

 その時真っ先に犠牲になるのは、私がまさに守りたいと思うものたちなのだ。

 私が国を裏切り彼らに付いていくというのなら、彼らが帰った後のことまでをも彼ら自身に保障してもらう必要がある。


 だから私は、ある問いかけをした。


『飢えに苦しむ母と子がいたとしましょう』


 私の言葉に、彼らはきょとんとした顔でこちらを見つめてきた。


『彼女たちはその日食べるパンの一切れにも困っています。ところがある日、母親に身請けの話が来ました。早くに妻を亡くした男が後妻を欲したのです。しかしそれには、子を手放すことが条件だと言われました。子供はまだ小さく、労働力にはなり得ません。男は、自分以外の種でできた子供など欲しくはなかったのです。母親は、一人の女に戻ることを選びました』


 二人の若者の眉間にしわが寄った。


『彼女は、どうするべきだったと思いますか?』


 真っ先に言葉を発したのは、聖女の方であった。

『なにそれ、ひっど』

 続いて勇者が、気づかわし気な視線を寄こしてくる。

『メイド長さん。それは、ひょっとして、あなたの……?』


 その問いには是とも否とも答えず、私が無言で答えを待つと、横合いから声がかかった。


『決まっています! たとえ貧しくとも、母と子二人で生きていく術を探すべきでした!』

 いえ、シスター。あなたには聞いていませんが……。

 まあそんなことを口にするわけにもいかない。それに大した時を置かず、聖女と勇者が答えを出した。

『母親がまだ小さい子供を捨てるなんてあり得ない。そんなの、人のやることじゃない』

『いや、田中さん。問題はむしろ、そうしなきゃならないほど生活に困ってる人を救済する手段がないことだよ。人と人が助け合って生きていける世界が必要なんだ』


 また、あの目だ。

 曇りのない眼。真っ直ぐな光。


『安心してください、メイド長さん。僕たちがこの世界を変えてみせます。二度とそんな悲劇が起きないように、二度とそんな過ちが起きないように。だから――』


 僕たちと一緒に来ませんか?

 と、同じ問いを重ねた彼らに、私は返答を保留した。


 いや。

 その時点で、私の心はほとんど固まっていた。


 遠い昔、かろうじて雨風をしのげるボロ小屋に私を置き去りにした女の背中を思い出す。

 そして数日後、路地裏に打ち捨てられていたその女の死体のことを。

 その体から衣類を剥いだことを。

 野犬の如くに帝都の暗がりを這いずり回った日々を。

 目を瞑るだけで鮮明に思い起こせる、カビに塗れたパンに染みる汚泥の味。隣に座り込む、昨日まで言葉を交わしていた仲間にたかる蠅の羽音。残飯を漁った私たちを追い掛け回す大人たちの足音。


 あの日々は、あってはならないことだったのだ。

 全てが過ち。

 全てが間違い。

 この二人はきっと、それを修正するためにこの世界にやってきたのだろう。



 なら、



 彼らと別れてしばらく経った後、私は自分に宛がわれた寝室を抜け出し、深更の教会を歩いていた。燭台一つを用意し、赤子の指のような小さな炎と、昔日に否応なく鍛えられた夜目を頼りに地下牢を目指す。

 入口の鍵は、既に入手してあった。


 かつかつと、暗い夜の底に私の足音だけが響く。


 ああ。そういえば、あの連中に最初に会った日も、こうして夜陰に紛れて城内を歩いていた。

 あの脳筋男は、見た目からは想像もつかないほど軽やかに歩く。私は自身の衣擦れの音の方が大きく響くことに焦りを覚えたものだった。

『あなたがたが子供たちに分け与えた食糧、どこから手に入れたものですか?』

『強盗だよ』

 そんなやり取りにも、もはや懐かしさを感じるほど。


 身も凍り付きそうな冬の夜。

 厚手の外套を纏った私の肌にも、じわじわと冷気が染みこんでくる。

 私はかじかむ指でなんとか錠前を解き、錆ついた扉を開けた。

 冷えた湿気が足元を這う。

 そのまま歩みを進めた廊下の奥。今朝がたぶりに辿り着いた牢部屋の前で燭台をかざすと、闇の中から少年の顔が現れた。


「やあ。お帰りなさい。待ってたよ」


 なんの抑揚もなく発されたその声は、私がまだ見たことのなかった表情の、一人の詐欺師から発されたものだった。

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