2-3

「どうなってんのよ!?」


 それは、随分と居心地のよさそうな牢獄であった。

 一体どうやって調達したのか、恐らくは保存食が入っているのだろう大量の樽。

 三人分の安眠には十分な量のクッション。

 適度な光量をもたらすランタンの魔道具。

 部屋の隅には何故か小さな溝渠が敷設され、ちろちろと水が流れているのが分かる。


 果たしてこれで、何を反省するというのか。


「ちょっと佐藤くん! なんでこんな待遇にしてんの!? これじゃ牢屋に入れた意味ないじゃん!」

「い、いや、違うよ。僕じゃない僕じゃない!」

「じゃあ何なのよ、これ! 最初にこいつらぶち込んだ時こんなのなかったじゃん!」

「知らないって!」


 さっきまでの余裕の表情はどこへやら。俄かに狼狽しだした二人を完全に無視して、レンタロウ様は呆れ顔で私を見上げ、ウシオ様は快活な笑みで私を見下ろした。

「サっちゃんが来たってことは、ひょっとして王様がここを援助しろとか馬鹿な命令でも出したの? あはは。相変わらず大変だね~」

「なあ、サっ子。久しぶりに会って早々悪いんだけどよ、なんか重りになりそうなもん持ってきてくんねえか? トレーニングが捗らねえんだよな、ここ」


 一人沈黙したミソノ様は、青い顔を俯かせ、レンタロウ様に背中を摩られるがままになっている。

 ふと、その首筋に白い縄でできた枷がかけられているのが見えた。

 牢の中で一人立ったままのウシオ様も、同じ首枷を嵌められている。

  

「あんたら、なに好き勝手やってんのよ。立場分かってんの!?」

「ごめんねぇ、サっちゃん。僕らも見ての通りでさ~。まあ、ここにいる間は身の危険もないだろうし、折角だからゆっくりしていったら?」

「出来れば土嚢かなんかがいいな。まあ、三つくらいあれば――」

「聞けよ!!!」


 激昂する少女には目もくれず私に話しかける二人の男を他所に、まだ青白い顔をしたミソノ様は、顔の肉を両手の指で引き延ばしたまま舌を突き出し、見るだけで頬を張りたくなる悪態でこちらを挑発していた。

 その様子に流石に違和感を覚えた私は、膝をついて牢の中を覗き込んだ。


「ミソノ様。声が出ないのですか?」


 不機嫌そうに顔を歪め、無言のまま首枷を指さしたミソノ様の隣で、レンタロウ様が苦笑する。

「そういう魔法なんだってさ~。もう五日もソノちゃんの声聞かないでいると、心が落ち着いてくるよ~」

 どういう意味よ、とでも叫びたかったのだろう。口をぱくぱくと動かすミソノ様の喉からは、掠れたような音がひゅうひゅうと聞こえるだけだった。


「俺の方は力が三分の一になる枷だってよ」

 ぱっと見た分には平時と変わらぬように見えるウシオ様は、それを全く気にしていないような素振りで、その鋼のような肉体を叩いた。

 先ほど、ミソノ様を担ぎ上げて行っていた『すくわっと』、道理でいつもより負荷のかけ方がぬるいと思ったら、なるほどそういう事情だったか。

「よく分かんないけど、ほんのちょっとでも魔力に触れれば解除される代わりに、自力じゃ絶対解けないようになってるんだって。でも――」

「この牢にはニホンジン以外は入ることができない、と」

「そうそう。笑えるでしょ」


 笑えはしないが、まあまあ滑稽なことではあった。

 わざわざそんな七面倒くさいことをするくらいなら、刃物一つでミソノ様の喉を潰すなりウシオ様の四肢の腱を断つなりすればよかろうに。

 ん?

 そういえば見たところ、レンタロウ様には同様の魔法はかけられていないようだが……。


「僕? 僕はここに入れられる前に病気で死にそうなふりしてたら免除してもらえたよ」

 ああ、あれか……。

 今となっては遠い昔のことのように思えるが、彼らとの出会いの時に見せられた演技のことを言っているならば、確かにこの若者二人が魔法をかけることはできなかっただろう。


 無邪気に笑う彼の様子に、少なくとも敗北者の悲壮感や悔恨の情は見受けられなかった。

 帝都の暗がり、ボトル・ベビーたちの棲家で。

 長閑な秋空の下、飛竜退治に向かう馬車の中で。

 汗と酒の匂いが漂う傭兵たちの駐屯所で。

 私がほんの僅かな間だけ同じ時を過ごした彼らと、何一つ変わらぬ軽やかさで、三人の悪党は獄中にいたのだった。


「ふざけんな!」

 

 みしり、と。

 地下牢が揺らいだ。

 膝をついた私の頭の上で、藤色の光が炎となって燃えていた。

 それを掌中に握る黒髪の少女は、怨念の籠った眼で三悪党を睨みつける。


「なんでそんな偉そうな態度取ってられるわけ!? 私がこの腕一つ振るだけであんたら全員殺せるんだよ!?」

「そのくらいシオ君にもできるって」

「おう。何なら人差し指だけで十分だな」

「こ、……の」

「た、田中さん、ストップストップ!」

「なんで止めるのよ! そもそも佐藤くんが甘い顔するからこいつらがつけあがってんじゃん!」

「ええ!?」


 その時。

 こつ、と。短く硬質な音が聞こえた。

「あ~。ちょっとちょっと」

 レンタロウ様の間延びした声に獄中を覗けば、いつのまにか部屋の壁際にいたミソノ様が柱に手をやり、何やら拳大の石のブロックを握っていた。

 柱には、ちょうどその石が収まっていたのであろう窪みが空いている。

 薄暗い牢屋の中に、邪悪な笑みが浮かび上がっている。

「盛り上がってるところ悪いけど、ここであんまり騒がないでくれる?」


 声を封じられた彼女クズに代わり、詐欺師が弁舌を始めた。


「はあ? 今からこいつぶち込んで牢屋ん中グッチャグチャにしてやるところなんですけど?」

 心底見下した声でそんなことを宣う少女に、レンタロウ様は苦笑で応じた。

「やってみれば? その代わり、ここら一帯全部崩落するけど」

「つまんない脅しね。そのくらいの手加減ができないと思ってんの?」

「今ソノちゃんが石抜いた柱、この地下牢全体の要だから」

「え?」


「だ~か~ら。別に君が手加減上手でも下手でも構わないんだって。ねえ、聞こえない? あっちこっちからミシミシ音が鳴ってるの。まああと数分は持つだろうけど、今ここで和田アキ子が『あの鐘を鳴らすのはあなた』を歌ったら、すぐにでも崩落が始まるだろうね」

「ちょ、え、な……」

「ま、なんでこんな機構が部屋の中に作られてるのかは知らないけどね。今君がちょっとでもこの部屋に魔力を打ち込んだら、それでシオ君の枷が解ける。こんな石柱に止めさすのに、一秒もかかると思う?」


 藤色の炎を握る少女の顔が、引き攣った。

「こ、こっちには勇者と聖女の力があるわ。別にこんな場所が崩れたくらいで死んだりしない。死ぬのはあんたたちだけよ」

「うん。そこのメイドさんもね」

「………………は?」

「僕らは別にいいよ。どの道数日後には処刑される段取りなんでしょ? 今更命乞いなんかしないって。ま、というわけだからさ、サっちゃん。悪いけど一緒に死んで?」

「ま、待て! 待て!」


 そこでようやく停止していた思考が動き出したのか、イサム・タナカが割って入ってきた。

「こ、この人は君たちの知り合いじゃなかったのか!? さっきだって、親し気に――」

「あはははは。あのさぁ、君たち、この期に及んでなに日和ってんの? 今自分たちが誰と会話してるのか忘れちゃった? 領土一つを戦争の騒乱に巻き込んだ悪党たちに、いったいどんな道徳心を期待してるわけ? あ、サっちゃんだけ逃がそうとしても無駄だよ? どの道ここが崩れたら、教会の中にいる人たちも確実に巻き込まれるから。それとも、ご自慢の治癒魔法で体中瓦礫に押し潰されたスプラッタ死体の蘇生でもやってみる? 間に合うといいねぇ」


 あはははは。


 乾いた笑い声が薄暗い地下に響く。

 ぐるりぐるりと、大男が自慢の太腕を振り回す。

 くつくつと、声なき声で邪悪な笑みを漏らす少女の瞳が、暗い愉悦に染まっている。


 私はため息を一つ零して立ち上がり、愕然とする二人の若者に向き合った。


「お二人とも、ひとまず、ここを離れましょう。ミソノ様、私たちがいなくなれば、その石を元に戻してもらえますね?」


 つまらなそうな顔でひらひらと手を振るミソノ様と視線を交わし、私は顔を青ざめさせた二人を伴って、その地獄のような地下室を脱したのだった。

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