interlude
1
「なるほど、それで貴方は、その三人を生贄にしたわけですか」
長い長い話を聞き終えた私は、今、ホグズミードを治めるウッドクロスト伯爵家の当主と、彼の屋敷の執務室で向き合っていた。
「そうだ」
彼と会うのは、初めてではない。
数年前に王宮に召喚された際に見た時とは、一瞬別人かと思うほどにげっそりと痩せこけた姿で、ウッドクロスト伯はこのひと月の間に起きた出来事をようよう語り終えた。
なるほど、何故孤立無援の領土が敵国の侵攻をひと月もの間食い止めることができたのかという、騎士団長の疑問については、これで過不足なく説明ができる。それを聞かされた彼が話を信じるかどうかは別として。
しかし、それも今やどれほどの意味があることか。
ホグズミードは、陥落した。
「私を誹るかね、メイド長」
「いえ。よく冷静な判断をされたと思います」
「……言うな」
見れば彼の両掌には包帯が巻かれ、顔の前で組まれた手の中できつく握り締められたそこから、じわじわと血が滲んでいた。
「その三悪……三人組はいま何処に?」
「……地下牢に、監禁されている」
「そうですか」
「メイド長。貴女は、彼らと何か関係が?」
「いえ。ただ、帝都で少しありまして。まあ、顔見知りです」
「そうか……」
ああするしかなかった、自分は悪くない、これが最善の道だった。
そんな言葉を一言も発することなく、痩せこけた領主は、ただ静かに己の拳を握り締め、新たな血を流した。
出会いの形はどうあれ、その手段はどうあれ、その目的はどうあれ、自分たちの領土を守るために命をかけて戦った異邦の若者を、その領土を守るために敵に差し出す。
それは、一人の為政者として、文句のつけようもない正常な判断だった。
だからこそ彼には、今後もこの領土と領民を守り続けてもらわなければならない。こんな場所で自棄になられても困る。
「しかし、貴女も災難だったな、メイド長。正直、救援が来るなどという可能性は頭になかった」
「そうですね。国防の戦略としては悪手も悪手だと、騎士団長も言っていましたから」
遅ればせながら、なぜ私が今こうして領主と対話が出来ているのかと説明すれば、それは数日前のこと。
王命により、ホグズミード領への侵略を防ぐための救援部隊に潜り込んだ私は、途中の砦や城を守る味方の兵士たちに恨みの視線を向けられながらも(先に自分たちを助けろ、とその目は口ほどに物を語っていた)どうにかホグズミードへと辿り着くことができた。
そして、自分たちが遅きに失したことを知った。
領境を越えてしばらく進んだ所で、私たち救援部隊はグリフィンドルの兵士たちに取り囲まれた。
当然応戦の構えを取ったわけだが、そこへ二人の黒髪の若者が現れ……。
まあ、何が起きたのかは私にはよく分からなかったのだが、スリザール兵は一瞬で蹴散らされ、その後一瞬で治癒され、問答無用に捕縛された。
そして今現在、領の中心地であるこの門前町に逗留させられているというわけだ。
皮肉なことに、我々の輸送した救援物資は滞りなくホグズミードの領民に届けられ、私たちの目的の半分は達された。
その上、兵士や随員の全員が拘束されることもなく自由に街中を歩くことを許されている。果たして本当にこの領でひと月もの間戦争があったのかと疑いたくなるほど、それは平和な光景であった。
『僕たちは、平和主義なんですよ』
かの異邦人は、そんな訳の分からないことを言っていた。
なるほど、こちらの世界にはない言葉を使うという点では、確かにあの三悪党と彼らは同郷の人間なのだろう。
そしてその言葉の通り、ホグズミードの領民たちは虐げられることも搾取されることもなく、平時と変わらぬ暮らしを約束されているし、通商も既に復旧しているのだとか。
平和。
そう、平和だ。
争いがなく、市民の生命が脅かされることがない。
『この領の現状の情報を国に持ち帰ってください。そして、どうか降伏を。僕たちは、無用な争いは好みません』
彼らは私たち救援部隊の面々にそう話した。
『最初から降伏してくれていれば、このひと月でいたずらに兵が死ぬこともなかった。この領が疲弊したのは、全てあの三人のせいです』
『同郷の人間として、本当に心苦しい、申し訳なく思います。でも、だからこそ、その責任は取らなければならない。僕も、あの三人も』
『彼らの処遇はこの国、この領の司法に任せます。そのために、彼らがこの地でしたことの全てを詳らかにします』
『たとえその結果、彼らがどういう処罰を受けることになろうとも』
彼の目は、澄んでいた。
真っ直ぐで、曇りなく、己の道を信じる者の目。
「メイド長」
それと対照的に、暗い目で私を睨め上げる領主ウッドクロスト伯と、視線を交わす。
「どうするのかね。私たちはこのザマだ。もうどうすることもできん。この領土の現状を報告すれば、国は降伏すると思うかね」
「どうでしょうね。可能性はあるでしょう。少なくとも、戦の面では勝ち目がなさそうです」
本物の勇者と聖女による、桁外れの武力と魔法。
ほんの少し前まで、『桁外れ』という言葉は、あの黒髪の大男の武力と、同じく黒髪の少女の知性に使っていたのだ。それが、一夜にして上書きされてしまった。
「恐ろしいのは、奴らが本当に我々から何を奪おうともしない点なのだ。普通は、見せしめに街なり領土なりを滅ぼし、国に脅しをかける。奴らはその逆を行った。これでは、反抗するための大義がない」
「ええ。そうですね。しかし――」
そう。
この領には、もはや争いがない。
暮らしは平時の通り。いや、むしろ傾きかけのスリザールに属していたときよりも、今後は展望が明るいかもしれない。
もしもこれが、国家に対しても同じことが約束されているのなら。
もちろん属国という扱いにはなるだろう。
しかし、むしろこの国の腐り切った王宮にとっては、そうやって外部から無理やり風を通すことが最も手っ取り早い治療法なのかもしれない。かつてあの三悪党が傭兵組合に対しそうしたように。
その対価に国民の命が脅かされるのならばともかく、それが全くないと保証されているのだとしたら?
約束された平和。
平和。平和。平和だ。
ああ。
それでも。
この感情をなんと言うのだろう。
もやもやと渦巻く私の胸中から、一つの言葉が染み出した。それは黒々と濁って胃の腑を苦しめ、それでも喉を通り、唇を動かした。
あの、この世の邪悪を煮詰めたような歪な笑みが脳裏に過る。
「反吐が出ますね」
領主が、かつて私やホラスや
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