6-6

 それは、何の変哲もない若者の姿をしていた。

 中肉中背。姿勢は悪く、とても鍛えているようには見えない柔な体つき。

 穏やかな表情。

 そして、この場に集った三人の悪党と同じ、黒髪ダークヘア

 空間を捻じ曲げ突如として現れた若者から、虹色の輝きと共に尋常ならざる圧力プレッシャーが放たれる。


 最初に動いたのは、もちろんこの男だった。


「しぃぃっっ!!」


 バネ仕掛けでも使ったかのように部屋の隅から跳ね跳んだ黒髪の大男が、同じ黒髪の若者の側頭部に蹴りを放つ。

 

 ぱし。


 そんな、気の抜けた音を立てて。 

 騎士の鎧を砕き、魔獣の鱗を破る必殺の蹴りが。

 およそ戦士とも思えぬ細腕の若者に、片手で受け止められた。

 そして――。


 ぶん。


 虹色の光を放つ若者は、宙で一瞬静止した大男の足を無造作に掴むと、タオルでも叩くように片手で振るった。

 耳を聾する轟音が響き、大男の体が石床にめり込む。


「……ぁ」


 背中を強打され、苦痛の声さえ封じられた大男の喉から漏れた微かな音をもかき消そうとするように、黒髪の若者が腰に提げた剣を抜き放つ。

 そこへ、日輪の閃きが奔った。


 直線と破線で為された光の紋章が、若者の体を束縛する。

 聖陽の奇跡、『ディフィカルティ』。

 それを為した教皇が、更に指印を組み換え祈りの言葉を唱う。


雷光ファイア・ボルトは法をととのう。獄を用いて噛み砕かん」


 それは、聖陽教の最高峰たる教皇の放つ破敵の秘術。

 神敵を罰する雷鳴の大顎。


「『噬嗑パニッシュメント』」

「よっ……と」


 それが、剣の一振りで、ちり紙のように破り捨てられた。


「がっは」


 秘術を正面から破られた教皇が、その反動を受けて喀血する。

「チャーリー!」

「ひぃっ」

 それに駆け寄った領主と、腰を抜かして尻もちをついた商会長。

 図らずも三人纏まってしまった老人たちを、虹色の閃きが襲った。


 血飛沫。


 弧を描く剣閃が奔り、テーブルを、領主の腕を、教皇の脇腹を、商会長の両脚を、まとめて断ち割っていた。


 野太い悲鳴がこだまする。

 惨劇の証たる鮮烈な血飛沫は、しかし、それを為した当人に降りかかるより早く虹色の光によって蒸発し、涼しい顔で剣を収めた黒髪の若者には一滴もかからない。


「さて、……と。次は――」

「がぁああああ!!!」

 陥没していた石床から野太い腕が伸び、両断されたテーブルの足を掴んだ。

 力任せに振り回したそれを、虹色の光を放つ若者に叩きつける。


「あは。やっぱり頑丈だなぁ」

 それを、剣すら使わない、腕の一振りで払いのけ粉砕した若者の背後に黒い風が翻る。

「しゅっ――」

 常人には目で追うことも不可能な速度で背後に回り込んだ大男が、その怪力を五指の先に集中させ、無防備に背中を晒す若者の頸椎を狙う。


「でも、遅いよ」


 空振り。

 その巨体が着地するより速く、穏やかな声がその背後から聞こえ、再び足首を握られた。


「ねえ、『アベンジャーズ』でさ。ロキが最後どうやって倒されたか知ってる?」


 それは、この惨劇の場に、およそ不釣り合いな声音であった。

 まるで、親しい友人と夕暮れの中で語り合うような、邪気のない笑い声。

 その声の主は、片手に握り締めた大男の足首を掲げ、再び石床に叩きつけた。


 轟音。


「あは」


 轟音。

 轟音。

 轟音。


 もうもうと砂煙が舞う。


 都合九度、床なり壁なりに無造作に叩きつけられた大男の体から、今度こそ力が抜けた。


「あ。君は映画とか観ないのかな、篠森くん?」

 白目を剥き昏倒した大男を名前で呼んだ若者は、次に、椅子に座ったまま身じろぎもせずにいた黒髪の少女に向き合った。


「久し振りだね、凍倉さん」

「…………なにやってんの、あんたら?」

「なにって、さっき言ったでしょ。勇者と聖女だよ。いやあ、びっくりだよ。まさか今更この世界でクラスメイトに再会するなんて思わなか――」

「アホか。んなことどうだっていいのよ。そこのじいさんら殺してこの後どうするつもりかって聞いてんの」

「は?」


 腕と足を組んで椅子にふんぞり返った少女が、顎を持ち上げて敵を見据えた。

「ふん。大体分かったわ。あんたら、わね?」

「……まあね。僕の能力は、『英雄覇ヒーロ――」

「あーあーあー。そんな中二心に溢れた能力名とかどうでもいいから。興味ないっつうの」

「…………」

「そんで? なに、グリフィンドルの連中に味方してるわけ? でもさあ。その様子を見るに、どうせ大した信頼もされてないんでしょ? だから連中が苦戦してたホグズミードの攻略を手土産に自分の力を認めさせようとしてるわけだ。くっっだらないわねぇ。幼稚園児はじめてのおつかいなの? それでこの領土のトップ殺してどうすんのよ。このあとどう収拾つけるわけ?」

「ちょっと、佐藤君。そいつの話聞かないほうがいいよ」


 そこで、それまで沈黙を貫いていたもう一人の闖入者――ひと際手入れの行き届いた黒髪を丁寧に結い上げた少女が、若者の肩を叩いた。

「会話するだけ無駄だって。ほら。あの人らなら治しといたから」

「……ああ、ゴメン、田中さん」


 その視線の先に、血だまりの中で呆然と座り込む、老人たちがいた。

「ば、馬鹿な……。私は、今、確かに腕を――」

「ありえん。ありえん……」

「あ。ああ。ああああ」


 それをつまらなそうに見遣る、椅子にかけたままの少女に、もう一人の少女が侮蔑の視線を向けた。

「あんた、もう喋んなくていいから」

「はっ。成程ねぇ。そうやって瀕死の兵隊たちも治してあげたってわけだ」

「喋んなっつったでしょ」

「何よ? なんか喋られたくないことでもあるの? せ・い・じょ・さ――んぐっ」

「黙れ」


 嫌悪の情を隠しもしない少女が握る杖が一振りされると、邪悪な笑みを浮かべていた口が見えない力で塞がれ、その体が椅子に押さえつけられる。


 その時。


「教皇様!」

 既に半壊していた部屋の入り口に、辛うじて引っ付いていたドアが破られ、数人の僧兵が押しかけてきた。

「だ、誰だ貴様ら!?」

「勇者様!?」

 その、崩壊寸前の部屋の中で昏倒する黒髪の大男を見た僧兵が狼狽する。

 儀仗を構える彼らの中の一人が、震える足で踵を返した。

「応援を呼んでくる!」


 その、背中を。


「いや。騙されないから」

 藤色の光が、撃ち抜いた。


 それを放った杖を握る少女が、指揮棒のように杖を操ると、床に崩れ落ちた僧兵の体が宙に浮き、部屋の中に招じ入れられる。

 仰向けに転がされたその体から僧帽が外されると、彼女らと同じ黒髪が現れた。

 それは、彼らが部屋に出現したと同時に、誰にも気取られずに部屋を抜け出していた詐欺師の少年だった。


「ごめんね、楠君。これ、日本人を追尾する魔法なの」


 そう言って、さらに杖を操った少女が、三人の悪党を藤色の光で縛り付け、部屋の中央に纏めて拘束した。

 それを、薄暗い笑みを浮かべて見下ろすシスターに、震える声で僧兵の一人が話しかけた。


「し、シスター・ベラトリックス……。一体、どういうことだ」

「……悪党どもの手先に話すことなどありません」

「おのれ裏切ったか!」

「うるさい!!」


 きゅごっ。


 部屋に踏み込まんとする僧兵たち一人一人の足元に、虹色の槍が突き刺さった。


「はい。ストップストップ。ごめんなさい。ちょっと黙っててくれるかな」


 穏やかな声と共に歩みを進める黒髪の若者が、青い顔でへたり込む三人の老人の前に立った。

「領主さんはどなた?」

「…………なにが、望みだ」

 掠れる声で答えた領主ウッドクロスト伯に、若者は穏やかな顔で微笑みかけた。


「僕たちは、戦争を終わらせに来ました」

「……要求を聞こう」

「ああ。大したことじゃないですよ。別に領地を割譲しろとか、ええっと……聖陽教? でしたっけ? そちらの宗教をどうこうするつもりもないです。ただ、スリザールとは手を切って、今後はグリフィンドルの属領になってください。それだけ約束してくれれば、これ以上の危害は加えませんから」

「……それで、それだけで、本当に良いのか?」

「もちろんグリフィンドルの人たちは良くないでしょうけど、そういう約束で僕たちは力を貸しましたから」

「温情に……感謝する」

「ああ。でも、この三人の身柄は預かりますね」

「なんだと?」


 藤色の光に縛り付けられた三人の悪党たちの姿を、黒髪の若者は嘲笑の眼差しと共に見下ろした。

「あなた方も迷惑していたでしょう。彼らは僕たちの同朋です。責任をもって引き取りますと、そう言っているんですよ」

「彼らをどうするつもりだね」

「それはあなたには関係ない」


 そのやり取りに、僧兵の一人が声を荒げた。

「領主様! この二人は我らを救った勇――」

「こいつらは勇者でも聖女でもない! ただのペテン師だ!!」

「ベラトリックス! どうしたというのだ! 彼らは君のことを――」

「黙れ! みんなこいつらに騙されてるんだ!」


 ヒステリックに叫ぶシスターを、苦笑して見遣る黒髪の若者に、領主は慎重に問いかけた。


「もし、それが受け入れられない場合は?」

「この槍が、領民全員の頭の上に降り注ぐことになる」


 そう言って、その手に新たな虹色の槍を出現させた若者に、領主は唇を噛みしめ、目を伏せた。

 


「君の要求を呑もう。好きにするがいい」

「ありがとうございます」



 こうして、およそひと月の間続いた、グリフィンドルとホグズミードの戦争は終わった。



 結果として見れば、ホグズミードは当初の予定通り、領土の保全、聖陽教の存続、およそ望みうる最善の結果を得ることが出来た。

 グリフィンドルとしても、今後スリザール本国を攻めるに際し後顧の憂いを除き、それどころか商業都市として名高いホグズミードを、その機能を損なうことなく属領として迎えることが出来たのだ。

 双方に取って、決して禍根がゼロとは言えぬまでも、戦争の結末としては悪くない落としどころを迎えられたと言える。


 この戦において、敗北者がいたとしたら、それはただ三人。



 もしも。

 仮に。

 虹色の光を操る本物の勇者と、理外に強力な魔法を行使する本物の聖女が、正面から攻めてきたのなら、結果はもっと違ったものになっていただろう。


 両者の異能は誰の目に見ても明らかで、戦場に現れれば必ず

 三悪党は、決して自分たちが無敵ではないことを心得ていた。

 彼らが戦場に虹色の輝きを見つけていたのなら、恐らく偽の聖女と詐欺師の少年は逃走する判断をしていたはずだ。


 彼らが一網打尽にされたのは、明らかに、一人のシスターの手柄であった。


 彼らが狭い屋内で一堂に会すのを待ち、あらかじめ転移の魔法を仕込まれていた十字架を発動する。彼女は、自身に与えられた役割を十全に果たした。

 

 力もなく、知恵もなく、勇気もなく、意気地もない。

 人に流され、長いものに捲かれ、顔を上げず、背中を丸め、恐怖に震えることしかできない、どこにでもいる普通の少女。

 それでも、ほんのちっぽけな誇りを守るために勇気を振り絞った一人の少女に、この日、三悪党は敗北したのだった。




 第四部『彼女は聖女のように』 了

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