6-5

 グリフィンドルによる侵攻から、32日目。


 その日、ホグズミードの中心地たる門前町は、ささやかな宴の中にあった。

 およそひと月の間続いた隣国からの侵略を、見事に跳ねのけたのだ。大規模な会戦に勝利し帰還した兵士たちを慰労し、戦死者を弔うための宴であった。


 半日続いたその宴は、ここ数日の間町中に漂っていた鬱屈とした空気を晴らし、みな疲れ切った、それでもどこか穏やかな表情で互いの苦労を労った。

 戦の功労者たる聖女と勇者は宴の間町中を引き回され、笑顔と泣き顔に囲まれながら感謝と称賛を浴びた。

 やがて疲れ切った聖女が聖陽教の本山に引っ込むと、しばらくの時を置いて勇者もその後を追い、宴は徐々に下火になっていった。


 

 そして、本山の中に造られた秘密の部屋にて。


「大変だったね~。ソノちゃん。お疲れ~」

「……うぇぇ。気持ち悪……」

 青い顔をした黒髪の少女が、テーブルに突っ伏していた。


 そこへ、横からそっと茶器が差し出され、熱い湯気が少女の髪を撫でた。

 それを給した小柄なシスターに、同じ卓につく黒髪の少年が無邪気な顔で笑いかける。

「シスターちゃんもお疲れ~」

「……いえ、私は」

「いや~。無事でなによりだったよ~。ごめんね~、ソノちゃんがちゃんと見てなかったからさ~」

「いえ……」

「はあ? こいつが一人でふらふらと外ほっつき歩いたのが悪いんでしょ……んんん……」

 

 自分で発した声にさえ耐えきれなかった黒髪の少女が、擦り傷とあかぎれで荒れた手で頭を抱え、再び突っ伏す。

 それを、ホグズミードの重鎮――三人の老人が苦笑交じりに見つめていた。

 黒髪の少年はグラスを片手に涼しい顔。

 部屋の隅に座り込む黒髪の大男は、川魚の内臓の塩漬けを肴にし、一人静かに酒器を傾けている。

 一人シスターだけが、顔を俯かせて佇立していた。


「……おじいちゃん。ちょっと『キュア』かけて」

「いかな聖陽の奇跡とて、悪酔いには効かん。むしろ翌日の頭痛が悪化するぞ」

「かける場所が悪いのよ。この辺この辺」

 そう言って自身の右脇腹を指す黒髪の少女に、聖陽教のトップたる教皇が訝しげに近づき、手に指印を刻んで術をかけていく。


「……この場所に何があるのかね」

「こっちの世界にはまだ早いわ。解剖学の進歩を待ちなさい」

「都合の良い時だけ来訪者になるんじゃない」


 領主と商会長も興味深げにその様子を伺っていたが、どうやら秘密を喋る気はないらしい少女の口ぶりに、早々に見切りをつけた。

 そこで、珍しい場所から問いが発される。


「なあ、じいさん」

「なにかね、ウシオくん。君には必要なさそうだが」

「あんたらの使う癒しの奇跡ってのはよ、腹ぁ掻っ捌かれても治るのか?」

「腹? もちろん程度によるだろうが、内臓を損傷していては難しいだろうな。無理に治したところで血が腐れて余計に苦しむことになる」

「腕ぇ吹っ飛ばされたら?」

「ふむ。基本的に体の欠損は治らん。記録上一度だけ、異常な切れ味の魔剣によって両断された腕が接合したという例はあるが、それは断面が全く潰れていなかったからだろう。普通は治らんよ」

「はあん……」

「どうかしたのかね?」


 その場の全員から(シスター以外)視線を向けられた黒髪の大男は、それをさして気にした様子もなく、なんでもないことのように言った。

「ああ。こないだ戦った連中なんだけどよ。二週間くらい前だったか。魔獣に襲われて腹噛み千切られてた奴がいたんだよ」

「……は?」


「あの、ほら、名前なんつったか、あの食う場所がほとんどなかった魔獣やつ。あいつに襲わせた小隊があったろ。連中、腕やら足やら吹っ飛ばされてたのに、こないだ普通に剣握ってやがったからよ。まあ俺としちゃぁ喧嘩相手が増えるのは困らねえんだが――」

「ちょっとシオ。そういうの早く報告しなさいよ」

「ああん? 俺に求める指示とは思えねえな、ソノ子」

「ちっ。……道理で敵兵の数が多すぎると思ったのよ」

「ちょ、っと、待ってくれ。……その、見間違いではないのかね。あの乱戦の中で一兵卒の顔一人一人まで判別できるとは……」

「ま、信じる信じねえはそっちに任せるぜ」


 聞きたいことは済んだとばかりに再び酒器を傾けた大男に、三人の老人が困惑する。そこで、それまで押し黙っていたシスターが、ゆっくりと、部屋の隅に座り込む大男の前に立った。


「ウシオ様。敵が増えることは喜ばしいですか?」


 それは、静かな声だった。

 それでも、かつて彼女からは聞いたことがないほど、意思に満ちた声だった。


「おう」

 それに、正面から答えが返る。


「敵を殴ることは楽しいですか?」

「おう。楽しいぜ」

「それは、どうしてですか?」

「俺がそういう風に生まれついたからだ」


 そのやりとりを、全員が沈黙したまま見守っていた。

 商会長などは、まるで置物が喋ったかのような不気味な目でシスターを見ている。

 彼女はその場で振り返り、眉間に皺を寄せる黒髪の少女へ更に問うた。


「ミソノ様。謀略を練ることは楽しいですか?」

「別に」

「人を陥れることは楽しいですか?」

「さあ」

「では、なぜそうするのですか?」

「そうしなきゃ生きていけないからよ」


 その答えをどう受け止めたか、シスターは胸の前で腕を組み、顔を伏せた。


「……君。どうしたのかね、突然」

「シスターちゃん。僕からも聞いていいかな」

「……なんでしょう」


 領主から発された声を遮って黒髪の少年が立ち上がり、シスターの前に歩み寄る。


「確か、この前の戦場で、本陣を抜けて一人でいたところを人攫いに誘拐されたって、言ってたよね?」

「はい」

「うんうん。怪我とかなくて良かったよ。それで、その後どうしたんだっけ。隙を見つけてんだっけ?」

「……はい」

「嘘だよね?」

「…………」


 少年が、無邪気な笑みを浮かべて、シスターの俯いた顔を覗き込む。

「君にそんな機転が利くわけないでしょ。でも、確かに君は一人で戦場跡の駐屯所まで帰ってきた。別にいいんだよ? 帰ってきてから、君のことはずっと見張ってたし、持ち物もチェックしたから。特に怪しいことはなかったから、放っておいたんだけどさ」

「ちょっと、レン。なによその話」

「あはは。ごめんね~、ソノちゃん。……でもさぁ。今日の君は、いつもと様子が違うね? 何か大きな覚悟を決めた目をしてる。ねえ、何をしようとしてるのか、教えてくれない?」


 その、魂の奥底まで見透かしていそうな視線に射抜かれたシスターの膝が、震え出した。

 伏せられた顔の中で視線が泳ぎ、組まれた腕が忙しなく擦り合わされる。


「……あ……ぅ」

「レン。待ちなさい、そいつのことは――」

「あなたたちは!!!」


 金切り声が、室内にこだました。

 シスターの目から、ぼろぼろと涙が落ちてくる。

 噛みしめられた唇は青く、その端に血を滲ませている。


「勇者でも聖女でもない!!!」


 懐から取り出したのは、何の変哲もない、十字架だった。

 聖陽教の象徴たる、正十字イコール・クロス


「滅びてしまえ!!!」


 その、悲痛な叫び声に、呼応するように。

 十字架が、虹色に輝いた。


「なっ――」

 その場の全員の目が驚愕に見開かれる。

「馬鹿な。ありえん」

 そして、その場において唯一魔力を感知する力を持った教皇が、その光から発される莫大な力に腰を抜かした。


 虹色の光が収束し、二つの塊となっていく。

 徐々に形を変えるその塊は、やがて人型をなし――。



「よく頑張ったね、シスター」



 力強く、優しい声が、発される。

 春の陽射しのような。野をそよぐ風のような。


 光が、晴れた。


「お願い、します……。どうか、どうか……」

「うん。後は私たちに任せて」


 シスターの頭に伸ばされた腕は細く、その手には傷一つない。

 異国風の衣装に身を包んだ、一組の男女。


 薄暗い部屋の中でなお艶を放つ、見事な黒髪。


 震えるシスターが、膝をついた。


「ああ……。やはりあなたたちが、……」


 突如として現れた二人の若者が、言葉を失った三人の老人に向かい合った。



「初めまして。ホグズミードのみなさん。僕たちが、



 その腰に提げられた剣が、虹色の光を放った。

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