6-4
《とあるシスターの落涙》
私は今まで、ずっと真面目に生きてきたつもりだった。
『真っ直ぐ生きなさい。お日様の光のように、いつだって、真っ直ぐに。そうすれば、きっとお前は幸せになれる』
お父様が遺した最期の言葉。
それを胸に刻み込み、いつだって私は正直に生きてきた。
教会でのお勤めは、最初はもちろん辛かったけど、すぐに慣れた。両親を一度に亡くした私は、自分こそがこの世でもっとも悲劇的な人間なのだと信じて疑わなかったが、そこで、私と同じような境遇の人間なんてありふれていることを知った。
だから、みんなで助け合って生きてきた。
辛いこともあったし、苦しい時もあった。それでも、必ず助けてくれる人はいたし、私も誰かが困っている時は助けの手を伸ばしてあげた。
太陽のように、真っ直ぐに。
それが、人としての正しい在り方なのだと信じていたし、私が身を寄せる聖陽教会とは、それを実践するための場所なのだと信じていた。
それなのに。
『あんたんとこの司祭、ギルドの役員の奥さんとできてるわよ』
あの三人の悪党たちが現れてから、全てが狂いだした。
あの、この世の邪悪を煮詰めたような顔で笑いかけられた司祭様は、急にへこへこと卑屈な笑みで黒髪の少女に媚び諂いだし、彼女の言う事を聞かされる奴隷となった。
『お前のとこの僧兵たち、もうちょっと鍛えたほうがいいぜ?』
馬鹿なことを言うな。
彼らが日々、どれだけ苛酷な訓練に身を置き、私たちを守るために頑張ってくれているか。
それを嘲笑うように叩きのめしたあの大男。
自分の実力を誇示するためだけに、あそこまでする必要がどこにあったというのだ。
『ごめんね~。この街出るまでの間だけだからさ~』
ふざけるな。
ならば何故さっさと出て行かない。
何故、私たちを戦争に巻き込んだ。
何故、どうして、私の暮らすこの世界を滅茶苦茶にするのだ。
思えば初めからおかしかったのだ。
彼らがこの街に来る直前になって、今まで平和だった領内に魔獣が跋扈するようになった。
それを退治したことで街の中枢に近づいたと思ったら、隣国が戦争を始めた。
教皇様と領主様を脅し付け自分たちの企てに加担させた。
挙句の果てに、聖女に勇者だと?
こんな馬鹿な話があってたまるか。
あの、人を貶めて嘲笑う悪魔のような少女が。
人を殴り飛ばして呵々と笑う鬼人のような男が。
かつてこの世に平和をもたらした聖女と勇者の末裔だと?
間違いない。
あの連中は血肉を啜る魔物だ。
だって、おかしいじゃないか。
隣の国が戦争を仕掛けたからって、なんでこっちがそれに応じる必要がある?
話し合えばいいじゃないか。
向こうだって何か事情があって戦に踏み切ったのだ。なら、きちんと話し合って解決すればいいじゃないか。
それなのに。
『真っ直ぐに生きなさい。お日様の光のように、いつだって真っ直ぐに』
ああ。
お父様。
ごめんなさい。
私は、何もできませんでした。
あの悪党たちが嬉々として戦争の準備を進めているのを見ても、私は何をどうすることもできませんでした。
きっとあの連中は、この世界に混沌をもたらすためにやってきた魔物なのだ。
そうでなければ、どうして人類の敵たる魔獣を利用して敵兵を喰らわせるなんて作戦を思いつく?
本来頼りにすべき司祭様も、それどころか私たちの心のよりどころである教皇様までもが連中の傀儡に落ちてしまい、不浄はますます増長した。
そこに加えて、あのいつも醜い笑みを浮かべている商業ギルドの会長や、誰よりも領民の暮らしを守るべき領主様までもが奴らに加担している状況で、私如きに一体なにが出来たというのだろう。
最初は私の身を案じてくれていた他のシスターたちも、やがて面倒事に巻き込まれるのを恐れるように私から離れていった。
四六時中あの悪魔のような少女の傍に侍り、彼女の方々に吐き出す毒の言葉を聞いているうち、私の心はどんどん暗く淀んでいった。
そして、極めつけは――。
『ダメ。今年はどっちも諦めなさい』
私が毎年必ず行っていた、両親への墓参りでさえ、あの少女は許さなかったのだ。
『ふらふら出歩かれて敵対派閥に身柄抑えられたらこっちが迷惑するんだっての』
どこまでも利己的な理由。
そもそもあの連中が自分たちで敵を作ったくせに。
酷い。
こんなのは、あまりに酷すぎる。
理不尽極まる悪党も。
それに屈することしかできない私も。
『真っ直ぐに生きなさい』
ごめんなさい。
ごめんなさい、お父様。
私の道は、捻じ曲がってしまいました。
きっと、だからなのだろう。
私に、天よりの罰が下ったのは。
「おっし。あともうちょいで国境だ。気ぃ引き締めろよ」
「あいよ」
「へっへへ。しかし、今回はついてなかったなぁ。こんなちんちくりんしか手に入んなかった」
「言うな言うな。豊漁の日も不漁の日も。我らに恵みあれかし、だ」
獣の匂いが濃く漂う台車に、私は手足を縛られて転がされていた。
台車を轢く騾馬と一緒になって歩く四人の男たち。みな一様に薄汚れたボロボロの軽鎧を身に着け、剣を帯びている。
彼らは、人攫いだ。
傭兵のふりをして戦場に出入し、後方にいる手ごろな獲物を攫って売り捌く猟師。
今回の収穫は、戦場の血腥い空気に耐えきれず、聖女が采配を振るう本陣から一人抜け出して膝を抱えていた、私だった。
「どんくらいの値がつくかねえ」
「持ってく場所考えにゃあなるめえ。なに、こんなんでも買い手を見つけるのがこの俺の仕事よ」
「かっ。んなこと言っておめえ。こっそり売りもんに手ぇ出そうとしたの忘れてねえからな」
「バカ。何年前の話してやあがる」
身を凍り付かせるような恐怖が、私の全身を侵していく。
縛り付けられた手足が痛い。猿轡を噛まされた口の中が痛い。背中が苦しい。息が苦しい。
なぜ。
どうして私がこんな目に。
天よ。
私が悪いのですか。
あの悪党どもを野放しにしてしまった私は咎人ですか。
酷い。
こんなのはあまりに酷すぎる。
誰か。
誰でもいい。
誰か、助け――。
「ねえ、ちょっとそこのおじさんたち」
その時。
暗い森に造られた僅かな道を進む男達に、その歩みの先から声がかけられた。
「あん?」
「なんっじゃあ、てめえは」
台車が止まり、私は縛り付けられたままで必死に体を入れ替え、かろうじて視線を前に向けた。
「その女の子、放してあげてよ」
それは、穏やかな声であった。
春の日差しのように。野をそよぐ風のように。
軽やかで、暖かな、まだ年若い男の声。
そして、黒。
涙で滲む私の目に、薄暗い森の中でなお、見事な艶を放つ黒髪が映った。
そして――。
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