5-2

「チャーリー。待ってくれ。何を言っている?」


 最初に言葉を発したのは、領主であった。

 椅子に深く腰掛け直した教皇が、それに答える。

「これは、聖陽教の一部のみに伝わる逸話でな。初代の勇者と聖女は、我々の住むこの世界とは異なる世界からの来訪者ヴィジターだった、と」


「異なる……世界? この大陸の外ということか?」

「そうではない。海も、空も、時間すらをも超えた別の世界。この世ならぬ世界。そういった場所が、どこかにあるのだ。そして、時折、我々と彼らの世界が繋がる瞬間がある。その度に、何故か一方的に、あちらの世界の住人がこちらに亘ってくる。彼らの大多数は環境の変化に適応できず野垂れ死ぬが、稀にこちらの世界に順応するものも現れるという」


 そんな荒唐無稽な教皇の言葉を受けて、しかし、領主と商会長は同時に「まさか……」と呟いた。

 いまだに二人の仲間に抱えあげられたままであった黒髪の少女が、つまらなそうな顔で右脇を抱える大男の二の腕を叩く。二人の少年が少女を床に降ろすと、少女は傲然と腕を組み、くいと顎を上げた。


「なによ、なにか心当たりでもあるっての?」

 その問いに答えを発したのは、このスリザールの国政に、陰に陽に影響力を持つウッドクロスト伯爵家の当主であった。

「もう、三十年以上は前になるか。帝都に住まう一人の冒険者が話題になったことがあった。ウシオ君と比べてどうかは分からないが、戦においては無類の強さを持つ若者で、多くの武勇伝を残し、しかし、ある日を境にぱったりと姿を消した。私は記録でしかそれを知らないが、私の父の世代ではそこそこ有名でな。聞くところによると、こちらの世情や常識に疎く、よく分からないトラブルを起こすことも多々あって名が通るようになったと……」


 それに、スリザール東部の流通を牛耳る商業ギルドの長が続く。

「……今言われるまで忘れておったわ。昨年末、トラバーユの商人と奴隷の取引をしたとき、身に着けている衣服はやけに上等なくせに、こちらの言葉が一切通じぬ少女がいたそうだ。異国のものかと思われたが、では何処からという見当がつかん。見た目はそこそこだったらしく直ぐに引き取り手がついたらしいが……。彼らは、君たちの仲間だったのかね?」


 三人の老人の視線を、黒髪の少女は鼻で笑って受け流した。


「三十年も前のやつのことなんか分かるわけないでしょ? でも、まあ、そうね。オッサンの言ってる方は、一年前ってんなら、私らと同じタイミングで来たんでしょうね」

「しかし、君たちは随分流暢に、こちらの言葉を……」

「覚えたのよ。こっち来てから。そりゃ最初は苦労したけど、?」

「最初は大変だったよね~。シオ君以外」

「男が言葉を交わすのに、拳が二つありゃ十分なんだよ」

「あんたは早く文字を覚えなさい、シオ」

「で、では、本当に……?」

「逆に聞くけど、こっちの文明水準で食糧自給率40パー以下なんて国ありえるの?」


 その迂遠な肯定の言葉に、領主と商会長は言葉を呑み込み、視線を落として考え込んだ。

 それを見た少女が話は終わったとばかりに立ち去ろうとするのを、教皇が引き留める。


「なによ、おじいちゃん」

「初代勇者と聖女は、その身に桁外れの聖気――魔力と呼んでもいいが――を備えていたと聞く。だが、君たちにはそれが全く感じられん。君たちの持つその異常な能力は、来訪者ヴィジターゆえのものではないということかね?」

「だから、そんな何百年前の話なんか知らないっつの。まあ、想像でしかない話ならしてあげてもいいけど、聞きたい?」

「……聞かせてくれ」


「私らの世界じゃ、、異世界転移って言ってね。フィクション界隈じゃ有名なんだけど、まさか自分が当事者になるとは思わなかったわ。で、異世界転移には……まあ、こういう話すると議論百出するからあんまり言いたくないけど、大きく分けて二つパターンがある。つまり、その転移に

「……意味?」

「その転移、そっちの言い方だと来訪ヴィジットが意図的に行われたかどうか、よ。さっきの話だと、境を越えるのプレインズウォーク自体はもう確立された現象なんでしょ? だったら、それを利用しようとするやつがいたって不思議じゃない」


 その常識の埒外にある話を、それでも教皇は呑み込み、深く頷いた。

「では、初代の勇者と聖女は、意味があってこちらに来たものたちだ、と?」

「そうなんじゃないの、って話。その魔王とかを討伐するのが仕事だったんでしょ。これもこっちの言い方だけど、『チート』っつってね。転移の前なり後なりに特別な能力を授かるのよ。で、私らはそんなもん貰ってないわっつうこと」

「ね~。なんか一個くらいくれてもいいじゃんね~」

「はっはっは。俺は要らん!」

「あんたらは黙ってて」


 そこでようやくそこまでのやり取りを呑み込んだ領主と商会長が矢継ぎ早に質問を繰りだしたが、(君たち以外に来訪者はいるのか、具体的にどういう手段で転移がなされるのか、etc.eteなどなど……)黒髪の少女はその全てを「知らない」と「どうでもいいでしょ」で蹴散らした。


 それが本当に分からないのか何かを隠しているのか、彼らには判別できなかったが、彼女に答える気がないものを答えさせる手段を彼らは知らない。それでも、最後に教皇から発された質問にだけは、少女は短く答えを返した。


、というのは、一体誰が主体となって行われているのかね? つまり、初代勇者と聖女をこの世界に寄越し、彼らに『ちーと』とやらを与えたものとは?」

「さあ? 神様なんじゃない? もしくは――」


 その頬に、歪な笑みを浮かべて。


「悪魔、とか」

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