4-2

 その場に集まった面子を見て一度は逃げだした商会長――ティモシー・ペティグリューは、教皇の手によって捕縛され、無理やり会談の場へと加えられた。

 彼をここまで誘導した神官姿の男は、その金髪のカツラをずるりと脱ぎ捨てると、猫のように伸びをして部屋の隅に座り込んだ。


「ソノちゃ~ん。僕の仕事は終わりでいいよね~?」

「んー。とりあえずいいわよ。お茶とか淹れてくれてもいいけど」

「やだ」

「ちっ」


 二人のやり取りを、いや、正確には黒髪を顕した少年の変貌ぶりを、領主と商会長が不気味そうに見る。

 そして、途中参加の商会長にここまでの話を説明すると、彼はその丸まると肥えた顔を赤くしたり青くしたり白くしたりしながら、罵声と悲鳴と懇願を交えて話の全貌を呑み込んだ。


「……わかった。いや、わかりたくはないが他に選択肢はないな。迂闊にこんなところに来てしまった私が馬鹿だった」

 あらゆる種類の汗をかき、ぐっしょりと濡れた襟元を寛げながら、商会長は重苦しい溜息とともに椅子に座り直した。

 そこに、気づかわしげな声音で領主が声をかける。

「ティモシー。ことここに至ってしまえば、もう覚悟を決めるしかない。お前の協力が必要だ」

「いいだろう。だが、こちらは身銭を切るのだ。発生した魔獣の素材は全てもらい受けるぞ」

「ちょっと。全てってことはないでしょ。可食部は食糧の足しにするわよ」

「それは魔獣の種類によるだろう。君たちに――」

「だから――」

「それは――」


 いつの間にか、会合は黒髪の少女が三人の老人を説得する場から、少女の策を具体的に実現するための会議に変わっていった。

 やがて正午を過ぎ、全員が顔に疲労の色を隠せなくなってきたころ。


「……やはり。速度を重視するには連携が足りぬな」

「おじいちゃんのトコの『ウォッチ』の奇跡とやらは?」

「あれを戦争に求める精度で使うなら、司祭クラスの僧侶が最低十名は必要だ。消耗も大きい。あまり多用はできん」

「ま、要所要所で使ってくれればいいわ。あとは私が都度都度で戦況を確認して……」

「問題はそこだよ」

「はあ? 何がよ」


 ここ数十分張りついたままの不機嫌面をさらに顰めて、黒髪の少女が顔を上げる。

 それを、領主ウッドクロストはため息交じりに見返して言った。

「盤上戦をやるのではないのだぞ。君の言う事の一つ一つをどうやって現場の兵に聞かせる? 指揮系統というものがあるのだ。君は、自分たちが異材だということを忘れていないかね?」

「……」


 それは確かに、大きな問題であった。


 魔獣の発生を利用して敵方の侵攻を阻み、自前の戦力でそれを殲滅する、などという奇策の指揮をとれる人物など、彼女をおいて他にいるはずもない。

 しかし、貴族家に仕える騎士であれ、商会ギルドが擁する傭兵であれ、教会の僧兵たちであれ、得体のしれない小娘の命令を直に聞いてそれに従うはずもなく、あるいはそれぞれの陣営のトップがその指揮権を認めたところで、心中で反発が起こることは想像に難くない。


 今この場には、帝都での内乱のときのように、事情を心得た騎士も傭兵もいないのだ。もちろん、彼女の意を汲み、あるいはその悪意を希釈して采配を振るう、現場の誰にあっても信頼の篤い、あの――。


「それは流石に詐欺師ぼくの仕事かな~」


 そのとき、先ほどまで部屋の隅で丸くなり惰眠を貪っていたはずの少年が立ち上がり、不機嫌面の少女の座る椅子の後ろに回った。

 新たに話の場に加わったその無邪気な顔を見て、老人たちにうんざりした表情が浮かぶ。

「味方を脅すとか嵌めるとか、ソノちゃんのやり方じゃあ短期的にはどうにかなるだろうけど、侵攻されてる間ずっと続けるのは無理があるよ」

「ふん。そんなことは分かってるわよ、レン。だから、あんたがなんとかしなさい」

「うん。じゃあ、ソノちゃん。ちょっと?」


 ……。

 …………。

 …………………。


「は?」

「は?」

「は?」

「は?」


 その場の誰もが、彼の言葉を咄嗟に呑み込めなかった。


「だからさ。ソノちゃんの言葉が一義的に現場の人たちに伝わればいいんでしょ? そんなの、ソノちゃんの言葉そのものに権威パワーを持たせるしかないじゃない。この国、いや、この世界かな? その人の立場とか出身とか、そういうのを一切気にしないで得られる上に、相手の立場も出身も関係なしに権威を持つ称号が二つだけある。そうでしょ?」

 続いて語られる、その軽やかな言葉に、重苦しい声で答えを返したのは、領主であった。


「勇者。そして、聖女、か」

「待て。待て待て待て。ちょっと待て。いや、しっかり待て。貴様自分が何を言っているか――」

「まーまーまー落ち着いて。ステイステイ。みんな、気持ちは分かるよ。すっごい分かる。だけどホラ。落ち着いて。目を閉じよう。目を閉じて~。それで、ソノちゃんは眉間の皺取って。はい。深呼吸。そしたら顎を引いて、肩の力抜いて。膝を揃えて、手は腿の上。そうそう。で、ほんのちょっとだけ瞼を落として、視線は斜め下。オーケーオーケー。……はい。みんな目を開けて~」


 三人の老人たちが、恐る恐る目を開けてみれば、そこにいたのは、楚々とした仕草ではかなげに目を伏せる一人の小柄な少女である。

「みんな、心の目は閉じたままね。今、目の前に見えるものだけを見て。ほら、ぱっと目を引く黒髪と、華奢な体つき。見た目だって悪くないでしょ。シオくん横に立たせたら対比で余計可愛く見えると思うんだ」


 その言葉を受けて、せっかく引けていた少女の顎がくい、と持ち上がった。

「ふん。ま、まあ? こっち来てからも極力手入れは欠かしてないし? そりゃ何にも考えてないそこいらのブスより可愛い自信はあるけど? でも、どーだろなー。困るんだよなー。あんまり目立つの好きじゃないっていうかー。まあ? それがレンの策で? みんながどーしてもって言うならやってあげても――」

「「「絶対に無理だ!!!」」」

「なんでよ!?!?」


 そして。


「馬鹿な」「そんなことできるわけがない」「不可能だ」「冒涜だ」「正気か」「狂ってる」

 再び繰り返されたそんな言葉の末に、もはや息も絶え絶えな教皇グリンゴッツ9世が最後の頼みとばかりに反論した。

「そもそも。そもそもだ。聖女としての地位を得るためには教会からの認定を得る必要がある。私一人が裏で手を回そうが、その場の全員に心からそれを認めさせなければ、結局権威は身につかんぞ」

「分かってるって~。聖女としての認定を受けるために必要な条件はゴチャゴチャあるみたいだけど、実質必要なのは一つだけでしょ?」

「……ぐ。なぜ君が条件諸々を知っているのかを問い質したいところだが……」


「聖陽の神への祈りをもって顕される奇跡を、。そこから先は、またソノちゃんにバトンタッチかな~」


 ふむ、と顎に手をやり考え込んだ少女の姿を、三人の老人たちは震えあがって見つめることしかできなかった。

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