4-3

 かつて、この世界の国境線が、今と全く違う形をしていた頃のこと。世界のはてに魔獣の王を名乗る異形の怪物が現れた。

 すなわち、魔王。

 いつしかそう呼ばれるようになったその怪物は、自身も魔獣の身でありながら人語を解し、決してまつろわぬはずの魔獣を使役し、人界に恐怖と混沌を撒き散らした。


 いくつもの村が滅び、街が滅び、国が滅んだ。

 しかし、歴史の中に唐突に姿を現わしたその魔獣の王は、やがてたった二人の若者の手によって滅ぼされることになる。


 魔王と同じように、ある日突然この世界に現れた、尋常ならざる力を持った人間の男一人。

 彼の進む道に障碍はなく、一たび剣を抜き放てば、そこには人に仇為す魔獣の躯が山を築く。

 すなわち、勇者。

 

 そして、彼と同じくいつの間にかこの世に現れ、数々の奇跡を以て人界に光を齎した人間の女一人。

 癒し。護り。救う。彼女が祈りの言葉を以て為した奇跡の数々は、後の世界に様々な教えとなって受け継がれている。

 すなわち、聖女。


 やがて時が経ち、人々が魔王とその配下の魔獣たちの恐怖を忘れたころになっても、勇者と聖女の伝説は人々の口に語り継がれ、その称号もまた様々な人間たちに受け継がれてきた。

 時に、数多くの強大な魔獣を倒した戦士に。

 時に、国一つを滅ぼさんとする疫災から人々を救った医女に。

 時に、隣国よりの侵略者から街を守った若者に。

 時に、大山の噴火を予知し村を助けた修道女に。

 勇者と聖女の称号は贈られ、人々に讃えられてきたのだった。


 そして、現代。



『このもの、ミソノ・イテクラ。未来を予知し、シュストの村の危機を除いたこと、その功に偽りなしと認める。よってここに、聖女の称を号す』



 聖陽教会の総本山にて、そんな言葉を宣い、新たな聖女の誕生を認めた教皇グリンゴッツ9世は、本山の中に造られたバルコニーにて夕日の沈む西空に背を向け、眼下にて騎士と僧兵たちが演習を行う様子を見るともなしに眺めていた。


 昨日、早朝から昼過ぎまで続いた会議の果てに今後の方針を固めた教皇・領主・商会長と黒髪の少女は、早速彼女を聖女に仕立て上げるための工作に取り掛かった。

 領主の持つ領内の地理書と天候の記録を片っ端から読み込んだ少女は、次にここひと月以内で発生した魔獣の目撃・討伐報告を精査し、魔獣の発生ポップする場所に予測を立てた。


 その上で、その地点に魔力の流れを偏らせるよう、教皇自らの手で別の場所に『セイント』――地鎮の奇跡を為し、発生を早めた。

 そして、巡礼者を装って黒髪の少女と大男が村を訪れ、村の危機を予知したと村長に告げる。当然相手にされるわけもなかったが、少女にとっては当然に、村の人間にとっては驚愕すべきことに魔獣が現れ、それを大男が討伐。


 その功績は商会長の手のものによって瞬く間に領内に伝えられ、大男は勇者と讃えられ、少女は教会総本山に召喚。

 ここまで、わずか一日半の出来事である。


「……これで満足かね、レンタロウ君」


 教皇は、彼の背後に侍る僧兵――どこからどう見ても壮年の僧兵にしか見えない――に、振り返ることもなく言葉をかけた。

「あれ? ばれちゃった?」

「君たちの異能にはほとほと懲りた。これでも一応、史上最多――三十七の奇跡を授かったという触れ込みで教皇をやっているのでな」


 見れば教皇は、その袖の下で両手に印を結んでいた。

 顔全体に皺と染みの化粧メイクを施した男が、その手元を覗き込む。

「へえ? それは何て奇跡?」

「……あまり教えたくはないが、まあ、今は手札を共有しておくのも良いだろう。教典に曰く、天下に雷あるサンダー・バードは乃ち動きて健。虚妄なく真実明らかとなる。これぞ、『无妄トゥルース』の奇跡、とな」

「おお~。なんかそれっぽい」

「それっぽいとはなんだ……」


 するすると足音も立てず教皇に並び立った男が、欄干越しに眼下の光景を見遣る。

 その視線の先には、傍らにシスターを一人侍らせ、領主お抱えの騎士団長を相手に盤上演習をする黒髪の少女がいる。

「ま。バレるならバレるでいいんだけどね~。ていうか、ソノちゃんを聖女にするのはただの手段だから。大変なのはこっからでしょ?」

「うむ。領境からの報告に異常はないが、こちらへの侵攻もそうそう遠いことではないだろうな」

「ところでサ。教皇さま――」


 そこで言葉を区切った僧兵と教皇は、改めて盤を挟んで相対する二人と、それを囲む騎士たちを見た。


。何かしらの教義に抵触しないの?」


 小さな体を最大限にふんぞり返らせる黒髪の少女が座っているのは、半裸に剥かれ、四つん這いとなった騎士の背中であった。


「……人を椅子にするなかれ、とは、どの経典にも書かれておらんな」

 一部始終を見ていた教皇には、それが彼女が先に負かした相手――騎士隊長の一人で、彼に課せられた罰ゲームなのだということが分かっていたが、仮にも自分が与えた聖女の称号が彼女に何の枷も与えていないことを示すその光景に、頭痛を堪えきれない様子であった。


 彼女が聖女として認められたとはいえ、それでおいそれと領内の兵力に力を及ぼせるわけではない。ましてや未来視――『未濟フューチャー』の奇跡などと、俄かには信じがたい能力をあてにしては猶更のこと。

 そこで早速難癖をつけてきた騎士を相手に、彼の経歴やら家族構成やら武器の得手不得手やらを暴き出し、ついには最近通っている娼館の情報までもが開示されそうになったところで、黒髪の聖女は彼を降参させた。


既濟パスト』――過去視の奇跡と嘯いて見栄を切った彼女は、そのまま騎士隊そのものに喧嘩を吹っ掛ける。

 そうして始まった盤上演習でまだ年端もゆかぬ少女相手に騎士たちが十連敗を喫したころから周囲に観客ギャラリーが集まりだし、どうせならと場所を移して本格的な演習を始めてからも、彼女は一切の揺るぎを見せることなく勝ち登り続けた。


 やがて、現在彼女に相対する騎士団長――つまり、彼らの最後の砦ががっくりとその頭を垂れ、周囲から悲鳴と歓声が沸き起こった。


「……ふむ。これで、彼らも大人しく聖女ミソノ君の指揮下に入るだろう」

「いや~。大人しく、ってわけにはいかなそうだけどね~」

「彼らとて武人。約定は違うまい」

「ま。いいけどね~。僕は別に」


 二人がその顛末を見届け、寒風に身を震わせて欄干から身を引いた時。


「チャーリー。少しいいか。聞きたいことがある」


 バルコニーと屋内を繋ぐ扉が開かれ、領主ウッドクロスト伯が姿を現わした。

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