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《とある兵士の命運》



 最初は楽な仕事だと思ってたんだ。


 前々から、軍の上層部で隣国スリザールへの侵攻が計画されていることは噂になっていた。

 当然俺みたいな下っ端に計画の全貌なんてものが降りてくるわけはなかったが、口の緩い将軍が酔いの席で口を滑らせたり、娼館通いの連中から噂が回ってきたり、あるいは露骨に演習の回数が増えてきたりと、どうやらそろそろ時期が近いらしいことは分かっていた。


 断片的な情報をヒマな連中が継ぎ接ぎして拵えた大筋はこうだ。

 スリザールの前王の治世時から、王家の衰退は始まっていたらしい。地方の領主たちからの求心力は年々失われ、中でも大きなトラバーユ領を治めるゴイル侯爵家は、早々に母国へ見切りをつけ、我が国グリフィンドルへと内通していたそうだ。


 グリフィンドルは慢性的な農地不足に悩まされている。

 ゴイル家は自領の農産物や、自身の手で開発した生物兵器を手土産に、ゆくゆくは我がグリフィンドル王家へと帰順、母国を売る算段をつけていたらしい。

 ところが、彼は失敗した。

 一体何が起きたのか、彼は帝都での地位を失い、自領へと逃げ帰ってきたのだそうだ。

 こちらの軍部はその動きを把握し次第、即座に彼を切り捨て、とうとう侵攻に踏み切った。

 とまあ、大体こんなところさ。

 当たらずも遠からず、くらいにはなってるだろうよ。知らねえけど。


 俺たちの最初の仕事は、もともと属領として迎え入れるはずであったトラバーユを略奪することだった。

 当然抵抗はあったが、まあこっちだってそれなりに準備して臨んでるんだ。

 ゴイル家当主のじいさんを拘束してからは早かった。

 じいさん、もうちょい部下と信頼関係作っとくべきだったな。

 こっちの悪い連中が裏から手ぇ回したら、あっさり裏切ってくれたってよ。


 いやあ、その日は楽しかったなぁ。

 食い放題に飲み放題。女だってとっかえひっかえだ。全部こっちのもんじゃないから気の楽なこと楽なこと。俺も久々に嵌め外しちまった。

 けど、それが俺たちの最後の宴になった。


 があって、これ以上こっちの国で略奪はするなっつうお達しがきちまったんだ。

 おいおいおいおい。戦争しにいった先で略奪するなって? そりゃ一体どういう命令なんだ? まさかとは思うが、ここまでしておいて友好条約でも結ぼうってのか? 冗談じゃねえぜ。役得がなきゃ兵士だって働けねえ。


 まあ、当然不満は噴出したさ。

 幸い、俺の上司たる将はその辺の機微も弁えてた。というか、自分の我慢が効かなかった。俺たちの隊は、そのまま東へ向かってハーフルバフへの玄関口になってるホグズミードへ進攻する手筈になってたんだが、本隊から遠く離れるのをいいことに、どこか適当な村の一つでも襲って、全部焼き払って証拠を隠滅しようっつうことになった。

 まったく、持つべきものは話の分かる上司だなぁ。



  ……なあんてことを思っちまったのが、運のツキだったんだ。



「はあっ。はっ。あっ。がはっ」

「おい! しっかりしろ! あとちょっとだ!」

「ぐぇぼっ」


 びちゃびちゃと、胃液と血反吐の混じった液体が足元にぶちまけられる。

 俺が肩を貸す同僚は、半月前の宴で、一緒になって女を犯した友人だ。

 赤毛の女が好きで、俺とはよく狙う獲物が被って喧嘩をしたもんだ。

 身に着けた鎧は胸から下がべこりとへこみ、罅割れている。

 くそう。装備の手入れ油を切らしたこいつに、煙草一本で俺の手持ちを分けてやったのは昨日の話だ。


 ひりひりと、背中と首筋が痛む。

 視界が涙で滲む。

 いや、血が足りていないのだ。

 自分の背中の怪我を確認するのが怖かった。


「お。……おい……お。……れ、を。置い――」

「馬鹿言ってんじゃねえぶっ飛ばすぞ!!」


 譫言を繰り返す友に叫び返した反動でさえ、俺の体から力が抜けていく。


 そして。


 げええええええ!!!


 空気を震わし、耳をつんざくようなその声が、さらに。


 おかしいと思ったのは、遠くに村の影を見つけたときからだった。

 日も登り始める時間だというのに、炊事の煙の一つも上がっていないのだ。

 訝しむ気持ちはありながらも近づいてみれば、どうやら村人が一人も残っていないことが分かった。

 廃村か?

 そんな疑問は、しかし、手入れの行き届いた畑の様子から否定された。


 次に考えたのは、どこぞの部隊に先を越されたかというものだったが、それにしては争いの痕もない。ついでに、食糧庫と思しき倉庫には、麦粒一つ落ちてはいなかった。

 となれば、俺たちの襲撃を察知して村人全員で逃げ出した可能性がある。

 そして、それはとりもなおさず、俺たちの動きが敵方にばれていることを、そして、こんな辺鄙な小村にまで避難を呼びかけるほど相手に余裕があることを示していた。


 俺らを率いる将は、すぐさま逃げ出した連中の背中を追う決断をした。

 もしも領の中心に向かったっていうんなら、道は平原だ。背中をぶった切るに大した苦労もねえ。

 そう考えた俺たちの横っ面をぶん殴ったのは、どでけえ獣の咆哮だった。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 突然吹き飛んだ村の家屋。

 立ち上る土煙の中から、は現れた。


 巨大な鶏冠。

 爛々と輝く黄色の瞳。

 その尻尾には、毒蛇の頭が。


「コカトリスだと!?」


 部隊は一瞬でパニックに陥った。

 まず最初の襲撃で二人やられ、体勢を立て直す暇もなく、さらに一人。


 俺たちは兵士だ。もちろん対魔獣用の訓練も受けている。受けてはいるが、そもそも今回、俺たちは人間と戦争しに来たんだ。魔獣用の装備なんて持ち合わせちゃいねえ。

 なんとか迎撃の陣は組んだものの、苦戦は必至だった。

 それでも、どうにかこうにか、そのでけえ魔獣の息の根を止めた時には、さらに二人の犠牲者が出ていた。


「撤退だ」


 将の判断は早く、そして苦渋に満ちていた。

 まさかこんなことになるなんて、誰もが予想できなかった。

 ましてや、なんて、一体誰が予想できる?



 げぇぇええええええ!!!



 鹿が、続けざまに襲い掛かってくるだなんて。


 地に落ちる影は、馬三頭が隠れるほど。

 空より舞い降りる厄災。


 白頭巨鳥ルフだ。

 

 こんなもん、人間の生活域に現れていいもんじゃねえ。


「総員!! 撤退!!!」


 迎撃なんて、とてもできる状態じゃなかった。

 歯抜けになった撤退の陣を組んで、俺たちは遮二無二駆けだした。

 そして、その場の誰もが、このままじゃ逃げきれないと分かっていた。


「私が時間を稼ぐ! ハンス! お前が指揮を取って味方の場所まで撤退するんだ! 馬はくれてやる!!」

「隊長! しかし!!」

「いいから行けえ!!!」


 大剣グレートソードを抜き放った将の背中に目もくれず、俺たちは駆けだした。

 

 しかし、逃げ出して数分で、指揮を預かったはずのハンスが馬ごと空に放り出されて死んだ。

 そして、ようやく俺は自分たちが嵌められたことを知った。

 

 当たり前だ。あんなでけえ化物鳥、人間と馬がいたら馬を襲うに決まってる。


 野郎、俺たちを囮にしやがったんだ。


 俺は即座に馬を乗り棄て、林の中に逃げ込んだ。

 並走していた同僚に肩を貸し、とにかく奥へ奥へと向かっていく。

 友の顔色は、真っ青だった。

 

 くそう。くそう。


 一体、何がどうなってやがる。

 こんな平地にあんな魔獣が発生ポップするわけがねえ。

 なにか、異常な事態が起きているのは明らかだ。


 肩にかかる友の体が重みを増していく。


 死んでたまるか。

 死んでたまるか。


 遠く、馬の悲鳴が聞こえる。


 こんなところで、俺は――。





 ぶつり。


 そんな音が聞こえて。


 眼の前が真っ暗になった。

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