3-2

「話にならん」


 そう言い放ったのは、いまだ顔を蒼褪めさせたままの教皇グリンゴッツ9世であった。

 背筋を曲げ、うつむき気味に発せられたその言葉に力はなかったが、それでもゆるぎない意志をそこに感じさせた。


「君が先ほど言っていただろう。領土が他国に侵略されて最もダメージが少ないのが商人だと。そして、なるほど。戦争が起きる前に降伏してしまえばこの領自体は存続できるやもしれん。ヘンギストにとってはそれが次善の選択肢だろう。だが、それでは聖陽教われわれに生き残る術がない」

「ま、そうでしょうね。あんたなんか確実に弾圧されるわよね。信仰の自由なんて概念、こっちにはないだろうし」

「信仰の、自由? なにを言っているのだ、君は――」

「あーあー。今それはどーでもいいのよ」


 面倒くさそうに掌を振る黒髪の少女へ、教皇はまだ手の痕が消えない首元を撫で摩り、ため息交じりに言った。

「君がその策を用意したのであれば、考えが足りなかったな。君はこの場ではなく、ヘンギストと商会長ティモシーを引き合わせるべきだった。……私を排除させるようにな」

「おい、よせ」

 短く叱責する領主の声に耳を傾ける様子もなく、教皇は呻くように言葉を繋げた。

「まさか、『ディフィカルティ』の奇跡を躱すものがいるとは思わなんだ。私の首を手土産に降伏する選択肢とてあったろうに――」

「くっだらないわねえ」

「……なに?」


 それまでふんぞり返っていた椅子の上に立ち上がった少女は、上等な仕立てのスカートから片足をからげ、テーブルを踏みつけた。

 その淑女からぬ所作にぎょっとした二人の老人を、睥睨するように毒を放つ。

「あんたの首一つになんの価値があるの?」

「なに?」

「あのねえ。向こうにとっちゃ勝てる戦争なのよ? こんなみすぼらしい世界で国と国が戦争する理由は何? 土地が欲しいからでしょ? この領が狙われるなら敵方の目的は何を置いても土地・土地・土地。あんた一人殺して向こうが何手に入れるってのよ。まっさきに狙われる標的は――」

「……領主わたしの首、だろうな」

「そうね。だけど当然、あんたの首を差し出したって聖陽教は助からない。だから商会の連中はあんたら二人を裏切って自分だけ助かろうとする。あんたら二人はそれを阻止しようとする。向こうは抵抗する。そうやってぐちゃぐちゃやってる内に戦争が始まって、はい、ゲーム・オーバー」

「……ならばどうするというのだ」



「だから、



 領主と教皇の顔に、徐々に恐怖の色が浮かんできた。

 それは、未知の邪悪への恐怖だ。

 この、年端もゆかぬ少女の口から発される言葉が、自分たちの運命を歪めてしまう恐怖。


「あんたたちは互いの弱みを握り合ってる。だからこそ三人のうち二人が残りの一人を嵌めることができる。けど、それじゃあ敵に勝つことも降伏することもできない。戦いになれば勝敗は明らかだもの。だからこそ敵には殺して奪い取るハック・アンド・スラッシュ以外の選択肢を取る理由がない。

 けど。じゃあ、ハクスラやってて一番テンション下がる瞬間って何だと思う? 楽勝だと思って殴りかかった敵が倒せない相手イモータルだったときよ」

「待て。待ってくれ。何を言ってるのか分からない。つまり、我々にどうしろというのだ?」


「まあ聞きなさい。土地も信者も失くしたくなきゃ、あんたたちは負けることも降伏することもできない。けど、戦争になった時に国に与したら確実に負けるわ。そもそも相手の一番の標的は国そのものなんだしね。

 けど、ねえ、想像してみて? これから本丸を落とそうってときに、地図の端っこに片手間じゃあどうやっても落とせない土地がある。本腰入れてそこを落とそうとしたら相手の本隊に後ろを突かれる。そんな状況で、その端っこの領土がを申し入れてきたら?」

「わ、和平?」


「そう。あんたらがいくらこうべを垂れようがその首に価値なんてない。だったら、あんたらの首を狙うことを相手にとっての損失にすればいい。つまり、あんたらがやるべきことは領内での足の引っ張り合いなんかじゃあない。あんたら三人だけで敵をぶん殴って返り討ち、その拳を開いて握手を求めるのよ。そして、その時の交換条件に――」

「聖陽教の存続を認めさせればよい、と」

「あら。ようやく頭が回ったの、おじいちゃん?」

「馬鹿な。不可能だ。机上の空論にもなっていない。我々の戦力だけでどうやって敵国の侵攻を阻めというのだ。相手は既にトラバーユを落としているのだぞ!?」


 激昂した領主が立ち上がり、その胸元に頭突きでもしそうなほど距離を詰めた少女が、その勢いを消し去るほどの邪悪な笑みで嗤った。


「ふうん。じゃあ、聞きたい、私の策?」



 そして。


「馬鹿な」「無理だ」「できるわけがない」「不可能だ」「冒涜だ」「正気か」「狂ってる」


 おおよそそんな言葉が百度ほども発された頃だろうか。

 少女の放つ毒気に充てられ憔悴しきった領主と教皇の耳に、どたどたと駆けよる重たい足音が迫って聞こえてきた。


「ヘンギスト、探したぞ! 至急相談がある! はや……げぇぇえ!! き、教皇!? 何故ここに!?」


 そんな、非常に人間味のある言葉とともに現れたのは、この領を牛耳る三勢力の残りの一角、商業ギルドの会長――ティモシー・ペティグリューであった。


 その肥え太った体にたっぷりと汗をかいた老人に、領主ヘンギストと、教皇グリンゴッツ9世が呆れたように声をかける。

「ティモシー。どうした。何があったのだ」

「まったく、たいした挨拶だな。ティモシー。私がここにいては不都合かね」


 二人の落ち着き払った(というのはティモシーから見た状態で、実際は心底疲れ切った)様子を見て、ティモシーの顔色がさらに変わった。

「き、貴様、この私を謀ったな!?」

 そう言って振り返った先には、一人の神官姿の男がいた。


「グリフィンドルの野蛮人どもがトラバーユを落としたというから、次にここが狙われる前にヘンギストと結託し、教皇の首を手土産に降伏しようと! 貴様がもうヘンギストに話はついているというからここまで着いて来たのだぞ!?」

「ええ。そう言えばここまで来てくれるかと思いまして」

 それを柳葉のごとくに受け流し、神官姿の男は微笑んだ。

 彼の正体が何者か、解説の必要もないだろう。


 それを見て、黒髪の少女は再び椅子へとふんぞり返って座り込んだ。

「さ・て・と。役者は揃ったわね。じゃ、台本作ってくわよ~」


 しかし。


「ふざけるな! この私を嵌めたな!? そうはいかんぞ!」

「おい。おちつけ、ティモシー。誰もお前を――」

「黙れ! 私は生き残る!」

「待――」


 静止の声を振り切って肥満体の老人は踵を返し、床を踏み鳴らして駆けだした。

 それを悠々と見送った、部屋の端でひたすら筋力トレーニングを続けていた大男を、少女が怒鳴りつける。

「ちょっと、シオ! 見てないで捕まえなさいよ!」

「あん? おいおいソノ子。俺は逃げ出した野郎の背中を蹴る趣味はねえぞ」

「言ってる場合か!」

「やれやれ……」


 大儀そうに立ち上がったのは、背筋の曲がった白髪の老人――グリンゴッツ9世であった。

 その両手に印を結び、小さく祈りの言葉を唱える。

「往けばなやみ、来ればほまれ。宜しく待つべしと也」


 その瞬間、回廊の奥に閃光が迸り、豚が轢かれたような悲鳴が聞こえた。



「……そうよなぁ。普通、避けられぬよなぁ」

 弱々しい嘆きの声を漏らす老人の肩に、労苦を分かち合った領主の手が優しく置かれた。

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