3.仲良くしましょう

3-1

「国境が封鎖された?」


 教会の中に作られた来客用の部屋の中に、黒髪の三人組の姿があった。

 片手で逆立ちをしながら屈伸運動をする黒髪の大男と、柔らかなソファの上ですやすやと眠る少年。戸棚の隅々までを物色する少女。

 教会の司祭に案内された部屋で、好き勝手に寛ぐ彼らに、顔を蒼褪めさせたシスター・ベラトリックスが、そんな報をもたらしたのだった。


「なによそれ。ハーフルバフもグルってこと?」

「わ、わかりません。ただ、国境橋は厳重な警備が敷かれ、誰も通ることが出来なくなっている、と」

「そう来たか……。仕方ないわね。レン。プランBよ」

「え? なんだっけ」

「今から考えるわ」

「じゃ、決まったら起こして~」

「よし、決まったわよ」

「早っ」


 そんな意味があるのかないのか分かりかねるやり取りを、不気味そうに見ていたシスターへ、黒髪の少女は口の端を邪悪に吊り上げて視線を投げかけた。

 びくり、とシスターの肩が跳ねる。

「そ・れ・じゃ・あんたには教皇様のところまで案内してもらおうかしら?」

「きょ、そ、そん、わた、無――」

「ああ、勘違いしないで? 場所だけ教えてくれればいいのよ」

「ひ……」




 この時、聖陽教のトップたる教皇グリンゴッツ9世は、領主たるウッドクロスト伯爵と密会を行っていた。

 その場所を知るものは極々限られていたが、誰が知っているかは比較的多くの人間が知っている。つまりは、哀れなるシスターから、彼女の上役たる司祭、さらにはその上役へと順に脅しをかけ、悪党はその密会場所たる教会の内奥へと足を踏み入れたのだ。


「邪魔するぜー」

 そんな呑気な声と共に、分厚い鉄扉が開かれた。

 恐らくはその前に侍っていたのであろう僧兵の倒れ伏した腕がちらりと覗き見える。

 それをずかずかと乗り越えて、黒髪の大男と小柄な少女が歩みを進めると、簡素なテーブルセットを挟んで向かい合っていた二人の男のうちの一人――ウッドクロスト伯が、深々と溜息を吐いた。


「よう領主さま。なんだ、シケた面だな。いい朝が台無しだぜ?」

「一応聞くが、鍵はどうしたのかね? 内側からかけておいたはずだが」

 頭痛を堪えた表情でウッドクロスト伯が尋ねると、黒髪の少女が一歩前に踏み出し、その口元を三日月形に歪めて嘯いた。

「お生憎様。こっちにはマスターキーがあるのよ」

「マスターキーだと?」


 いや。

 力づくで錠を壊すことを開錠するとは言わないだろうに……。


「ヘンギスト。彼らが例の……?」

「ああ」

 深く皺の寄った顔から、興味深げな眼で二人の闖入者を見遣った老人――グリンゴッツ9世に、ウッドクロストは忌々し気な顔を隠しもせずに短く答えた。


「一人足りないようだが?」

「あら、おじいちゃん。気になる?」

 教皇たる彼がそんな不遜な態度を取られたのはいつ以来のことになるのか、心中察するに余りあるが、それでも彼は鷹揚に笑ってそれを流した。

「ははは。いやいや。まあ、まずは要件を聞こうじゃないかね。せっかくここまで足を運んでもらったんだ――」


 そう言って彼が立ち上がった、その瞬間。


 ばちゅん。


 と、音を立てて、狭い室内に閃光が迸った。

 薄黄色の光は直線と破線によって奇妙な象形を為し、その中心に黒髪の少女の矮躯を捕らえていた。


 それは、聖陽の奇跡。その一端。

 異端者を捕らえ、神の光へと還すための術。

 聖陽教のトップたる教皇直々に行われた奇跡をその身に受けた少女の顔が苦痛に歪む。


 そして、同じ場所にいたはずの大男の姿は――。


「おいおい教皇さま。あんた、俺とダチになりてえのか?」

「ん。ぐ。ぐ」


 その御業をなした教皇の首を、片手で握り締めていた。


「それなら話が早え。仲良くかたりあおうぜ」

 教皇の顔が、どす黒く鬱血していく。

「ちょっとシオ。手足の三、四本くらいならへし折っていいけど、胴体から上は残しなさいよ」

  教皇の意識と共に徐々に薄れゆく光の中で、黒髪の少女は不敵に嗤った。

「待て! 待ってくれ! 頼む、手を放してくれ!」

 顔を蒼褪めさせたウッドクロストが大男に縋り付く。

「ああん? 仕掛けてきたのはそっちだぜ? まさかとは思うが、殴られる覚悟もなしに拳を握るのか? 俺が一番嫌いなタイプだなぁ」

「あらぁ、シオ。好き嫌いは良くないわよ? ちゃんと話し合えば、きっと分かってくれるわ」

「……ぁ。………ぉ」

「待て待て待て! 分かった、話を聞く! 君らに危害は加えないと誓う! 今ここで彼を害されては困る!!」

「「こっちは困らない」」

「やめろぉぉぉおお!!!!」



 もしも、仮に、今まで彼らと関わったものたちが、領主と教皇に助言を与えることができたなら、口を揃えてこう言っていただろう。


 あの詐欺師の少年が交渉の場に立たなかった時点で、素直に話を聞いておくべきだった、と。


 残念ながら、その教訓を得ていたものは、この時のホグズミードにはいなかったのだ。




 そして、十数分後。


「さ、挨拶は済んだし、本題に入らせてもらうわよ」


 酸欠により意識を失った教皇が息を吹き返すのを待ち、堂々と上座にふんぞり返った黒髪の少女がそう言い放ったときには、ホグズミード領の重鎮二人の心は既に折れかかる寸前であった。

 話が交渉の場に移ってしまえば自分の仕事は終わったとばかりに、黒髪の大男は部屋の隅で不完全燃焼の体を鍛え始めていた。


「というより、まずは現状の確認かしら。あんたたちがここで何を話し合ってたか、当ててあげましょうか?」

 それに一切構うことなく、黒髪の少女は二人の老人を相手に口火を切った。


「君にそれが分かるというのかね?」

「逆に分からないとでも思ったの? 大したことでもない。商業ギルドをいかに裏切らせないか、でしょ?」

「……」

 

 どうやら図星であったらしいことは、彼らの嘆息から察しがついたのだろう。少女は満足そうに顎を上げ、言葉を続けた。


「この領の勢力図三色。そのうち唯一、領土が乗っ取られてもダメージが少ないのが商人どもだものね。ましてや普段からずぶずぶに癒着し合ってる相手。放っておいたら敵方にどんな情報を流されるか分かったものじゃない」

「……確かに、自明の問題だ」


 そう。領主たるウッドクロスト伯爵にとって、土地とは自らの血肉も同然だ。戦争状態になったというなら、なんとしても自分の土地だけは守らなければならない。

 そして、その土地に根を張る聖陽教にとっても、他国の侵略は身命に関わる重大事である。隣国グリフィンドルとは、信仰している教えが全く違うのだ。敗戦し、土地を乗っ取られてしまえば、苛烈な迫害が起こることは想像するまでもない。


 そこへいくと、確かに商業ギルドにとってはダメージの考え方が全く違う。

 金貨で繋がる関係に終始するのであれば、取引先をグリフィンドルに替えればいいだけのこと。無論最初数年は痛手を被るであろうが、それはその先の商売で取り戻せる損失である。


「だからあんたたちが最優先でやらなきゃいけないのは、この先起こる戦争に負けないために、商業ギルドの連中を裏切らせないこと。そうでしょ?」

「そのとおりだ。しかし言うは易いが、実際には――」

「やめときなさい」


 ぴしゃり、と。

 黒髪の少女は言い放った。


「無駄よ。無駄無駄。向こうだってあんたらが何考えるかぐらいすぐに分かる。その上で自分たちの保身を考えるなら、あんたらと交渉の場になんか立つわけないわ。それに、そもそも――」

「……なんだね」

「この国、負けるわよ」

「…………」

「まさかと思うけど、勝てると思うの? こんなスッカスカでボロボロの国が、他国に戦争仕掛けられて生き残れるって? ましてやここはもうすぐ最前線。あんたらが突っ張ったって土石流に障子紙で蓋するようなもんでしょ」

「では、我々にどうしろと?」

「決まってるでしょ」


 黒髪の少女の口が邪悪に吊り上がり、老人二人の顔を一層蒼褪めさせた。



「あんたら全員で、国を裏切るのよ」

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