2.三悪党、ホグズミードへ
2-1
これから語ることは、全て後から聞いた話だ。
その連中がホグズミードの領主に面会したのは、グリフィンドルとの戦争が始まる、ちょうど2,3日前のことだったという。
「そなたらが巡礼者を
ホグズミード領主ヘンギスト・ウッドクロスト伯爵は、でっぷりと脂を乗せた青白い顔をひくつかせ、目の前の三人組を見遣った。
ここひと月ほどの間、領内を悪い意味で賑わせていた怪異が退治されたと聞いた際には、心底胸を撫でおろしたことだろうが、それを為したものたちの風体を聞いた彼は思わずうめき声を上げていた。
この国では珍しい
一人は小柄な少女、一人は筋骨隆々の大男、もう一人はこれといった特徴のない優男。
今やその連中の存在は、国内の裏社会に顔の利く人間であれば知らぬ者のないほどに名を上げていた。
曰く、かのゴイル侯爵を失脚させた張本人。
曰く、飛竜の大群をたった三人で撃退した超常の武力。
曰く、王宮のメイド長の懐刀(風評被害!!)。
その他真贋定めきれぬあれやこれやの
そして、ホグズミード領といえばゴイル侯の治めるトラバーユ、そして隣国ハーフルバフとも直に隣接している地政学上の要地であり、帝国の国教たる聖陽教の発祥の地とされている。そんな領地の長が極楽蜻蛉に務まるわけもなく、ウッドクロスト伯爵家といえば、代々国政へ陰に陽に影響を与え続けてきた有数の実力者の一角である。
「お初にお目にかかります、領主さま。敬虔なる聖陽教徒の方々のお役に立てた事、心より嬉しく思います」
黒髪であること以外これといった特徴のない凡庸な顔の青年が、恭しく礼をする。
この青年の存在が何より不気味なのだ、とウッドクロスト伯は警戒心を強めた。
他の二人のことならばまだ分かる。小柄な少女が参謀役、大男が荒事役なのだろう。顔を伏せたままこちらに目を合わせようとしない少女(この場合は礼儀上それで正解なのだが)が、あのゴイル侯爵を出し抜いてのけたことは何本かの情報筋から確かめている。
大男の方は見た目にも分かりやすい。ウッドクロスト家の抱える私兵の中にもこれほどに肉体を持つものはいない。まあ、流石に
「聞けばかの
これだ。
確かに、そんな風説はもはや隠しきれぬほどに領内に広まっている。
領内を流れる川沿いの村にて、年の瀬の祝いのため、神に捧げる供物として用意された魚を、その見事な脂乗りに惜しくなった村長がこっそり家族で食べてしまったのだという。
さらには代わりに釣り上げた二匹目の魚も一匹目に負けず劣らずの大ぶりで、村長はこれも隠れて食してしまった。
そして、三度目に川から釣り上げたものは、妖しく光る緑色の目をもった黒猫だった。
不気味に思った村長はすぐさまそれを投げ捨てたが、その日以来村長の家の周りに緑色の目をした黒猫が出没するようになる。
戸板の隙間から。屋根の上から。井戸の影から。
気づけば緑色の瞳がこちらを見つめている。
鳴き声一つ上げないその黒猫は、追い払えばすぐさま消え失せる。しかし、大した時を置かずに再び現れては無言で村長を見つめ続けるのだという。
大いに恐れをなした村長は村のものたちに黒猫を殺すよう命じた。
しかし、探そうと思うと見つからない。
村の中を隈なく探し回ったが、猫の糞尿の類といった痕跡までまるで見当たらない。
どうやら逃げ去ったらしいと安堵すると、またその日の晩には村長の寝室の窓から緑の双眸がこちらを覗きこんでいるのが見える。
いよいよ村長は恐慌を来し、自室から物陰になりそうな家具を全て捨て去り、窓に目張りをして引きこもり、聖陽の神に祈り続けた。
そんな祈りの声が途切れたと、家の使用人たちが様子を見に村長の部屋を開けると、そこには喉笛を噛み切られ血の海に沈んだ遺体だけがあった。
それ以来、件の村だけでなく、近隣の村々や街道にまで、緑色の瞳を持った妖猫の姿を目撃するものたちが現れ始め、それと同時に、喉笛を噛み切られた死体が見つかるようになった。遺体の周りには、決まって黒々とした獣の毛が数本残されていたのだという。
…………なんだその怪談は。
数日前にそんな話を報告されたとき、ウッドクロスト伯は心底うんざりした。
別に何かしらの魔獣の変異種だのなんだのが暴れたところで大した問題ではない。騎士なり傭兵なりに討伐を依頼すればそれでよいのだ。
問題は、その
神への供物を横領した男への天罰だと?
この聖陽教会の大本山のお膝元で?
外聞が悪いどころの騒ぎではない。
「
ウッドクロス伯は厳格な声で(そう聞こえてくれるといいのだが)黒髪の優男――レンタロウに訂正を求めた。
ただ目先の欲にかられただけの(それにしたって自分の村で獲れた美味そうな魚を家族で分け合っただけだ)男の話を異端者にまで結び付けられてはたまらない。ましてや、それに神罰が下された、などと。
先のこの男のセリフは、間違いなく
油断ならない。
一件何の変哲もないただの優男の顔。しかし、海千山千の貴族や僧侶たちと長年渡り合ってきたウッドクロスト伯をもってしても、腹の底の見通せぬ微笑。
この男が鍵なのだ、と彼は確信した。
いかに優れた知性や武力を持とうと、個人レベルの力であのゴイル侯を下せるはずがない。この得体の知れない男をこそ、自分は最も警戒しなくてはならないのだ、と。
「ああ、申し訳ございません。どうもこちらの言葉にはまだ不慣れでして」
なるほど、異邦人であるという噂は本当であるらしい。もしくは、そのような噂を利用しているのか。
「どうぞ警戒なさらないでください。私たちも身を寄せていた巡礼者の旅団に怪異があったもので、嫌も応もなく対処しただけなのです。それが領内を騒がせている魔獣だと知ったのも、その後で」
それは運が良かった。いや、悪かったのか?
「私たちは何の見返りも求めません。先にも申しました通り、敬虔なる聖陽教徒のお役に立てただけで十分でございます」
ならば何故この自分に面会を求めたのだ?
「ただ、一つだけお聞きしたいことがございまして、この度お目通りをお願い致しました」
そら来た。いったい何を言うつもりだ?
「領主さまにおかれましては、近頃何かお困りごとなどはございませんでしょうか?」
来たぞ来たぞ。押し売りの常套句だ。やれやれ、どうしたものか……。
「たとえば、そう――」
全く、困りごとなど、常日頃から山ほど抱えている。
しかし、それをこんな得体の知れない連中に関わらせるはずが――
「領内で、不自然なほどに魔獣が湧くようになった、とか」
…………はあ。
それか。
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