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 はっきり言って、スリザールは劣勢だった。

 トラバーユが落ちたことが判明してすぐ、それ以上の侵攻を阻むために各領地より兵士を集めて大規模な会戦を仕掛けたのだが、結果は大敗。

 兵力差はもとより、敵方の士気が高く、こちらのそれを大きく上回っていた。

 本来ならば、国防のために平時より備えるべき戦力というものが各領地には定められている。しかし、いざ会戦となった折、集められた兵士の数とその練度は、想定された水準を完全に下回っていた。

 そもそも練兵が満足になされていなかったのか。それとも員数を出し渋った領主がいるのか。はたまた敵国と密通していたものがいたのか。それを把握しきる時間的余裕も、此方にはなかった。


 不幸中の幸いと言っていいのかどうか分からないが、大敗という結果のわりに、軍の人的損害は軽微だったという。

 つまり、戦いにすらならなかったのだ。

 そんな中で……。


「常識から言えば、いくらなんでもホグズミードがこのまま持ち堪えられるはずがない。先ほどの軍議では、かの地の敗北を見越した防衛線を構築すべしとの総意が得られた。まずここを……ここまで下げて……」


 短く刈り上げた白髪グレイヘアと、浅黒く焼けた傷だらけの肌。

 この国の騎士の全てを纏め上げる総団長――ルシウス・アイザックス公爵は、首回りの無精髭を撫で摩りながら地図上の駒を操った。

 卓上演習のイロハも知らない私に何を伝えようとしているのかはよく分からなかったが、とりあえずふんふんと頷いておく。


「だが、そもそもの前提として、ホグズミードがどこまで粘れるかという点で意見が割れてなぁ。本来ならばとっくに潰れていてもおかしくない故、ではあとどれほどという予測がつかん」

「救援を送るというのは? 素人考えで申し訳ありませんが、この場所は東部との流通の要です。保持できれば、少なくとも物資の点では今後の戦況に貢献できるのでは?」


 というより、内政側わたしの視点から言わせてもらえれば、最初にトラバーユを抑えられてしまった時点で、兵站戦ではもうかなりの痛手を被っているのだ。

 国の農作物のかなりの割合をトラバーユが賄っていたこと。

 それがよりにもよって仮想敵国として最も警戒していたグリフィンドルと隣接していたこと。

 そして、あのゴイル侯爵がばら撒いた麻薬によって、近隣の土地の生産力が著しく低下していたこと。

 かの地が抱えていたリスクが、全て顕在化している。


 唯一薬物汚染から逃れていたホグズミード(ハーフルバフとの交流が汚れることはゴイル侯も避けたかったのだろう)が未だに落ちていないというのは、私には天祐としか思えない。


「そうしたいのはやまやまだがね。確かに救援を送ることはできる。ここからこう……。相手は挟撃のリスクを恐れて北方は囲めていないからな。しかし、そこに至るまでのルートが細すぎる。見たまえ、この川向こうの城を抑えられている以上――」

「ええっと、申し訳ありません。要約すると、ホグズミードは見捨てる方向で軍部は動いているのですね? では、私に一体の何の相談を?」


 話を途中で遮られたルシウスは、それでもさして気にした風もなく、私の顔を覗き込むようにして問いかけた。

「何か思い当たる節はないかね、メイド長?」

「思い当たる? 何をですか?」

「ホグズミードの奮戦の理由さ」

「あの。私に軍事の知識は……」

「軍事屋の視点ではこの事態の説明ができないのだ。今、ホグズミードで何か異常なことが起こっている。その原因が分からぬことには思わぬところで足元をすくわれかねん。そこへいくと、王宮に集まる情報に一番詳しいのは貴女だ。何か、思い当たる節はないかね?」


 繰り返し問われたところで、私にだって理由は分からない。

 孤立する地方領が、なぜひと月以上もの間敵国の侵攻を阻んでいるのか、それがどんな方法によるのかなど。

 だが、原因ならばはっきりとしていた。


「ルシウス様」

「なんだね」

「申し訳ございませんが、私には分かりかねます。私に分かることは、ホグズミードを切り捨てるのであれば、どこか別の場所でまとまった量の物資を確保する必要があるということだけです。戦地から離れた地方領主も、まともな領地経営をしているものは少ないですので。そこをどうか、ご留意頂ければと」

「……そうか。覚えておこう」


 そうだ。原因など分かり切っている。

 そして、それを説明したところで理解を得られないことも分かり切っている。

 ならば、私にできることはそう多くない。


 それは、例えば――。




「貴様が総団長か」

「ルシウス・アイザックと申します、陛下」


 その日の夕、玉座の間に呼び出された総団長を、陛下は苛立たし気に見下ろしてこう告げた。


「王命である。ホグズミードを死守せよ」

「…………畏まりました。理由をお伺いしても?」

「アンコだ」

「……………………は?」

「俺――余はアンコが食べたい。だが、よりにもよって輸入先が戦を仕掛けてきたというではないか。この愚か者が。貴様は国防を担っているのではないのか? 一流の騎士とは戦に勝つものを指すのではない。戦を起こさせぬものを指すのだ」

「面目次第もございません」


 覚えたてのフレーズを淀みなく言えたことに満足そうな笑みを浮かべる陛下に、総団長は平坦な声で応じた。

「それで、アンコというのは?」

「貴様そんなことも知らんのか。甘味だ、甘味。余はあれが気に入ったのだ。聞けばハーフルバフとやらでも扱える商人がいるそうではないか。ならばその玄関口たるホグワー……ホグ、……なんだ、その領地は守り切らねばならぬ」

「しかし――」

「総団長。二度は言わん」

「……王命、しかと承りました」


 長年の勤労によって身に着けたのであろう鉄面皮を揺るがせもせず、見事な騎士の作法で王命を受け取ったルシウスが、ちらりと私に視線を寄越した。

 それに目礼だけで返した私を見る彼の目には、どこか剣呑な光が宿っていた。

 

 そして私が、己の持てるボキャブラリーの限りを尽くした言い訳を駆使して、ホグズミードに救援を送る部隊の世話役に自分の体をねじ込み帝都を発ったのは、それから一週間後のことだった。

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