She Like a Saint

1.冬の訪れ

1-1

 聖歴130年、霜の月。

 年の瀬も間近に迫る冬の日、我が帝国スリザールは、隣国グリフィンドルより戦争を仕掛けられた。

 寝耳に水、とは言えなかった。かの隣国は武装国家として名を知られており、ここ十数年の間で急激に軍備を拡張していることが間諜の働きによって分かっている。

 軍拡の目的など、戦争以外に一体何があるというのか。


 そして、かの国の隣には具合よく格好の獲物がいたのだ。

 政変が繰り返され、求心力を失った王家。

 臣下によって蚕食され、孤立した国土。


 そして、それらを律すべき立場にありながら、国外にまで名を知られた稀代の愚王。


「おい、メイド長。ブラッドオレンジのジュースが飲みたい」


 ユースタス・サラザ・スリザール。

 私の仕える、主君である。


 不摂生な生活が祟り、御年17歳にして既に荒れ果てた肌を白粉で塗り固め、酒焼けしたダミ声で不機嫌そうに宣う国王陛下に、私は立礼したまま答えた。

「南部よりの荷が滞っておりますゆえ、既に在庫を切らしております」

「それはもう聞いた」

「はい。七度ほど申し上げました」

「ならば早く荷を届けよ!」


 もし、敵国の誰かが、この獣の吠えるような声で幼稚な言葉を発する若王の姿を見て、私たちに同情し侵略を思いとどまってはくれないものだろうか。

 いや、むしろ前倒しで進め始めるかもしれない。

 やはり、これは宮中の秘とせねばなるまい。


 そもそも、陛下がブラッドオレンジを好まれる理由が「だって、なんか名前がかっこいいだろう。血のオレンジだぞ。まさに俺のイメージにぴったりではないか」というのだからどうしようもない。そんな理由で、南部の領地を半ば脅し付け無理やり流通ルートを確保したのは、何年前のことだったか。

 そしてその地は、今まさに領土を守るために国の男たちが本物の血を流している場所なのだ。


「陛下。届かぬものは届きません。こちらで代わりのものをご用意致しました」

「ふざけるなよ。この俺に代替品を押し付けようというのか」

「まずはご賞味を」


 私が合図を送ると、外に侍っていたメイドが銀の盆に乗せてグラスを運んできた。

 目にも鮮やかな鮮血色の果汁がなみなみと注がれ、その縁に同じ色の柑橘が輪切りの状態で飾られている。

 見た目には、陛下がご執心しておられる品となんら遜色はない。


「おい。何だこれは。あるじゃないか」

「いえ。これは通常のオレンジを特殊な方法で染色したものにございます」

「染色? ……まさか! おい貴様! まさかトマトを使ったのではあるまいな!? おのれ斬首だ斬首! 俺は金輪際あの野菜は口にしないと言っただろうが!」

「ご安心ください。使用したのは花にございます」

「トマトの花か!?」

「陛下。恐れながら申し上げます。トマトの花は黄色です」


 そのままメイドに陛下の元までグラスを運ばせ、捧げ持たせる。

 不気味そうにそれを見る陛下のために、私は予め用意しておいたセリフを読み上げた。

「こちらは大陸西方の砂漠にて採れる特殊な植物の花を用いた染色法でして、昼は灼熱地獄、夜は極寒地獄、激しい気温差を生き抜くためにその身に多量の水分を溜めこむその植物が数十年に一度咲かせる貴重な花を百株、七日七晩煮だして搾り取った染料でございます。飲み物に用いればその風味を一切損なうことなく、微かにシナモンに似た香りを纏わせます。西国においては王侯貴族も滅多に口に出来ない貴重品ですが、今回特別にご用意させて頂きました。どうぞお召し上がりください」

「お、おお……」


 とりあえずこれだけの分量を一息に喋れば最初のやり取りは忘れてもらえるだろう。

 恐る恐るグラスを受け取った陛下がその端をちろりと舐め、目を見開いた。

「う、うむ。美味い。これは確かにオレンジだ。しかもそれだけではないな、微かに香る……あの、なんだ」

「流石陛下。違いがお分かりになりますか」

「もちろんだ。俺を誰だと思っている。おいメイド長。これはあとどれくらい用意できるんだ」

「そうですね……」


 その後、適当な数字をもっともらしく伝え、とりあえず陛下の癇癪を収めた私は、メイドの一人を伴って玉座の間を辞した。

 全く、余計な時間を使ってしまった。この後、戦地への救援物資の手配を渋っている西方領土の領主を脅迫――もとい説得して、次は城下の治安悪化対策に傭兵組合へ顔出し。それから――。


「あの~。メイド長」

「なんですか、ミルファ」

 その時、空のグラスの乗ったトレイを不思議そうに見ながら、隣を歩くメイド――ミルファが問いかけてきた。


「この派手な色のジュース、ホントにそんな貴重品なんですか~?」

「そんなわけがないでしょう。この緊縮期に」

「じゃあ、特殊な植物の花を七日七晩とかいうのは……」

「嘘です」

「ですよね~」


 周りに人のいないことを確かめながらも声を忍ばせてこちらを伺う若いメイドは、それでも少しだけ瞳に好奇の色を覗かせていた。

「じゃあ、あれ何の色なんですかぁ? けっこう綺麗な発色でしたよねぇ。でも味は全然おかしくないみたいだし~」

「虫です」

「え゛」

「だから、虫ですよ。例の西方から取れる多肉植物に寄生する虫を潰すと、あの色が取れるんです」

「……あの、あのメイド長~。ということはですよ? 私、私さっき、虫から取れたジュースを、へ、陛下に、飲ませ――」

「このことは、他言無用にお願いしますね?」

「流石の私も言えませんよぅ!!」


 顔を蒼褪めさせたミルファの肩に手を置くと、彼女の小さな体がガクガクと震えていた。

「大丈夫ですよ。このことを知ってるのは私とあなただけです」

「う、うぅ。何故私を共犯に……」

「あなたの軽い口が少しでも締まるようになればと思いまして」

「そんな躾のやり方あります!? ていうか、陛下が具合悪くしたらどうするんですか!?」

「安心なさい。人体に影響はありませんし、陛下の舌では微妙な風味の違いなどわかりません」

「でも、シナモンに似た香りがするっていうのは……」

「シナモンを入れただけです」

「……そうッスか」

「口調」


 そんな不毛な会話を続けているうちに、王宮内の炊事場の一つに辿り着いた。

 グラスに色が残らないよう念入りに洗っておくよう指示を残しミルファと別れようとしたのだが、そこで別のメイドから引き留められた。


「メイド長。この樽全然開かないんですけど」

「それは?」

「なんか、よく分かんないですけど、なんかの塩漬けです」

「ああ、ニシンですね。留め具が痛んでるのでは?」


 二人のメイドが樽を挟んで向かい合い四苦八苦していた。

 私も手伝ってみたが、どうにも歯が立たない。


「しょうがないなぁ。私誰か男の人呼んできますね」

「え~。あの騎士のオッサン連れてこないでよ?」

「アタシ行ってこよっかぁ?」

「いえ。それには及ばないでしょう」

「「「え?」」」

「全員目を瞑っているように」


 私は適当な手拭いを樽の蓋に敷くと、スカートの奥から短剣を鞘ごと引き抜き、振り下ろした。

 

「開きましたよ」

「「「えええ……」」」


 少し痺れの残る右手を振って指を解している私を、ミルファがしげしげと見つめてきた。

「なにか?」

「あの~。メイド長、最近なんか変わりました?」

「はい?」

「あ~、分かるかも」

「うんうん」

 他の二人がそれに頷くのを見て、眉を顰める。


「何の話です?」

「なんていうか、さっきもですけど、陛下を丸め込むのが上手くなったというか……」

「あと、やることがえげつなくなってきたというか……」

「なんか、逞しくなったというか……」

「ああ……」

「でも、なんかこう……」

「「かっこよくなった!」」

「そう!!」

「……」


 若いメイドたちのその言葉に、私は久方ぶりの頭痛を覚えた。

 私に何か変化があったというなら、そんなもの原因は一つしか、いや、考えられない。

 しかし。


「気のせいでしょう」


 そうだ。どうせそのうち、この微妙な変化も忘れ去られていくだろう。


 あの三悪党スリーアウツは、もうこの帝都にはいないのだから。

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