interlude

1

 私が笑い顔を作れなくなったのは、いつの頃からだったろう。


 父親ほどに歳の離れた男に無理やり契りを結ばされたときだろうか。

 母親だと思っていた女が、見知らぬ男と添い遂げるために私を路上に捨てたときだろうか。

 それとも、その数日後に、その女が路地裏でボロ雑巾のように捨てられ死んでいるのを見たときだろうか。


『私はね、こんな暮らしをしていい人間じゃないんだ』


 それが、あの女の口癖だった。

 女の父親、つまり私の祖父にあたる男は冒険者であったらしい。

 らしい、というのは、私が長じて後に身に着けた知識と、幼い頃に繰り返し聞かされていた話をすり合わせた結果、恐らくそうだろうと予想しているのであって、実際のところは分からない。

 あるいは騎士であったのかもしれないし、傭兵であったのかもしれない。もしくは、ただの破落戸であったのかも。

 ただ確かなのは、この帝都に一軒家を構えるほどには蓄えを持っていたことと、女が十四かそこらの時には命を落としていたこと。そして、異常なほどに寡黙な人物であったらしいということだけ。


『私はね、あんたのじいさんの声をほとんど聞いたことがないんだ』


 女が覚えているのは、祖父に浴びせられる街の人々の称賛と感謝の声だけだったという。

 彼の仲間が語る祖父の冒険譚は、まさに英雄と呼ぶに相応しいものだった。

 火を吹く獣。稲光を纏う剣角。瘴気を呼吸する闇の眷属。

 それらを打ち倒す、一振りの剣。

 彼は強い男だった。

 それでも、無敵ではなかった。


 ある日、唐突に彼は死んだ。

 女は自らの父の死にかろうじて立ち会うことができた。

 そして。


『×××××』


 その時初めて、女は父親の声を聞いた。

 なんと言ったのか、上手く聞き取れなかった。

 人の名前を呼んだのか、何かを伝えたかったのか、あるいは恨み言を残したのか、それすらもよく分からなかった。

 女はその言葉を、意味も分からぬままに脳裏に刻み込んだ。


 彼は情に厚い男だった。

 残された家族のために蓄えも残した。

 それでも、それは無尽ではなかった。


 男の稼ぎに頼り切っていた妻と娘はほどなくして路頭に迷う。

 ともすれば女の身で出来ることなど限られている。

 幸い、彼女らの住処は帝都だ。働き口なら、いくらでもあった。


『私はね、こんな暮らしをしていい人間じゃないんだ』


 譫言のように私にそれを聞かせる女の声は、今も私の記憶にこびりついている。

 女の母親は病を得て儚くなり、女は私を得て生活を苦しくさせた。

 女の頭には、自分が幼かった頃に周囲から降り注いでいた父への称賛と感謝の声がいつまでも消えていなかった。


『×××』


 それを忘れぬためにも、女は自分の子供に父の記憶のよすがを縫い付けたのだ。


『それが、お前の――』


 結局はそれすらも、捨て去ることになるというのに。


 ああ。

 そうだ。

 これは墓標だ。


 かつてこの世界に確かにいたはずの家族。

 妻子を護るために命を使い果たした男と、それを貪りつくした二人の女。

 もはや誰の記憶にも残らない、そんな家族が確かにいたのだと、そうこの世に証すための墓標。


 それが、私の――。

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