4-3
親指を立てて廊下の奥を指す黒髪の大男に、目礼だけを返す。
私はパンジーの勧めてきたジョッキを辞すると、くれぐれもミソノ様に倣って仕事を覚えないようにと彼女を諭し、階段を上った。
先を行くウシオ様の背を追って応接室に入れば、そこには卓上に簡素な料理と酒器が並べられ、レンタロウ様とミソノ様が晩酌をしていた。
「遅かったわね、サク」
「久し振り~、サっちゃん」
「これは一体、何の騒ぎですか?」
閉じたはずの扉を通じてでさえ聞こえる階下の狂宴に眉を顰めながら訪ねると、答えは一人だけ酒瓶を直接呷るウシオ様から発された。
「ようやくこないだの騒ぎでぶっ倒れてた連中が全員回復したからな。騎士の連中と一緒に、祝勝会だ」
「私はてっきり、組合長を悼んで喪に服しているものかと……」
「おいおいサっ子。下にいる連中は騎士に傭兵だぜ? 普段から
「しかし……」
「むしろ、あれが連中なりの弔いってやつだ。おやっさんだって、湿っぽいのは好きじゃねえだろ。ケンカの後ってのは、必ず何かを得て何かを失ってる。手にしたもんだけ数えても、失くしたもんだけ数えてもダメだ。全部抱えて、次のケンカに備えるんだよ」
「……」
珍しく饒舌なその口ぶりから、彼の感情を伺うことは出来ない。
逆に、いつになく寡黙なミソノ様は、つまらなそうな顔で干した果実を摘まむと、ちろりと酒器の端を舐め、私に無言で空の盃を押し付けてきた。
「いえ。私は……」
「まあまあまあ。一杯だけ。ね?」
その反対側から、流れるような所作でとくとくと蜂蜜色の液体が注がれ、嫌も応もなく杯を掲げさせられる。
『わが古き友に!』
その時、扉と階段を隔てて聞こえる、ホラスのよく通る声が乾杯の音頭を取り始めたのが分かった。
『偉大なる傭兵に!』
次いで、別の男のダミ声が。
『尊敬する師に!』
若い男の声が、それに続く。
そして。
三悪党が、それぞれ無言で酒を掲げた。
『愛すべきクソオヤジに!』
乾杯。
私は虚空を見つめ、今回の騒動で命を落とした敵と味方それぞれの人たちに、黙祷した。
甘く、苦く、狂わしい香りが口腔に広がり、喉を焼きながら胃の腑へ下っていく。
酒をこんなに不味いと感じたのは、初めてのことだった。
「それで? あのクソ侯爵、蟄居中の屋敷から逃げ出したって?」
そして、しばらく互いによもやまごとを報告し合っていると、顔を赤くしたミソノ様から、そんな問いかけが発された。
「ええ……」
そう。一体どこにそんな余力があったのか、彼は監視の目を振り切って帝都を脱出していたのだ。
流石に、あれだけ王宮内が紛糾していては隠し事などできるはずもない。恐らくは、昨日私のエプロンドレスに手紙を忍ばせた際に、王宮内にて情報蒐集がなされたのだろう。
「行先の当てはついてるの~?」
こちらも珍しく頬を紅潮させたレンタロウ様が、空の酒器を弄びながら問うてくる。
「ええ。恐らくは自領――トラバーユで間違いないかと」
「ま、そうでしょうね。で?」
「正式に、彼の爵位を剥奪の上、トラバーユを国の直轄領とする裁定が下りました」
「なるほど。ようやくあんたの目的が達されたわけだ」
「…………」
それを見透かされていたことに、今更驚きもすまい。
帝国スリザールを治める王宮は、慢性的な財政難に陥っている。
前代の王の治世よりこの方、王家の求心力は日を追うごとに低下し、それを支えるべき大臣たちは己の私腹を肥やすことにしか眼中にない。
そこへ来て、昨年に起きた北部の潮害と、南部の干害。
地方貴族たちは早々に王家に見切りをつけ、税の徴収もままならない状態が続いている。
そして、そんな貴族たちの治める地方領の中でも、ゴイル家の治めるトラバーユ領の豊かさは他の追随を許さない。
豊富な水源、肥沃な農地、それによって生み出される富と、人口。
それら全てを、王家の財源に充てることが出来れば……。
『この国の民たちのために、悪党たちを最大限利用すべきです』
本当に、よくもまあ、我ながら心にもないことを言ったものだった。
私が救いたかったのは、王宮の財政が逼迫した時、真っ先に切り捨てられる下っ端の官僚やメイドたちだ。
実際、もう一年ほどこの状況が続いていれば、彼らのうちの一体何人が路頭に迷うことになるか、想像するに難くない。
かつて、ホラスは言った。
この国を蚕食する悪党を、このまま野放しには出来ない、と。
私はそれに賛同した。
膨れ上がった悪党の財布を、掠め獲るために。
私が利用したのは、正義を信奉する騎士たちと、自由を渇望する傭兵たち。
そうだ。私に、騎士や傭兵たちと盃を交わす資格など、あるはずがない。
レギュラスの墓前に、手向ける花など持てるはずがない。
彼を殺したのは…………私だ。
ぱしっ。
その時。
私の胸元に小さな手が伸ばされ、ほとんど反射的に、私はそれを掴み取った。
「……………なんですか、この手は?」
「いや。今ならいけるかな、って」
そのままじりじりと不毛な攻防を続けていると、それを眺めていたレンタロウ様が不意に声をかけてきた。
「ねえ、サっちゃん」
「……なん、でしょう、か」
「僕さ、今回の騒動で、けっこう色んな人に変装したじゃない」
「そうですね……」
「基本気持ち切り替えてやってるだけどさ。あんまり短期間で色んな人になりきってると、ちょっと気を抜いたとき、別に何の演技もしてないんだけど、自分が自分じゃないみたいな感覚になっちゃうことがあってさ」
「はあ」
視線を空の酒器に向けながら、レンタロウ様はぽつぽつと、語りかけるともなしに語り始めた。
「それでね。昨日のことなんだけど、僕、普通に街で買い物してたんだけどね。通りの向こうで、窓ガラス越しにこっちに手ぇ振ってる人がいたわけ。それで、『あ、僕に振ってるのかな』って思ったんだけど、『あれ? 今自分誰になりきってるんだっけ?』って、一瞬混乱しちゃってさ」
「あの、それは一体なんの話……」
「でもよく見たらさ。…………窓拭いてるだけだったんだ」
……。
…………。
…………………は??
「ぶふっ。ちょ、ちょっと! レン! 笑わせないでよ! ていうかそれ嘉門達夫のネタでしょ!」
「も~。びっくりだったよ~。まさかホントにそんな勘違いするなんてさ~。手ぇ振り返さなくて良かった~」
「はっはっは。レン太。そういう時はジャンピング・スクワットで誤魔化せ」
「余計恥ずかしいよ~」
「あの。レンタロウ様。何故今その話を?」
「え? ただの世間話だけど?」
「…………そうですか」
いえ、別に。
別に、どんな言葉をかけてもらおうと思ったわけでもないですけど!
なんていうか!
私いま、世間話に興じるような状態に見えました!?
「レン。買い物すんのはいいけど、無駄遣いしないでよね。あの狸親父のせいで今回の収支ややプラスくらいで終わっちゃったんだから」
「分かってるって~。でも、これからはピン跳ねされてた分が純増でしょ? 目的額までは短くなったんじゃない?」
「まあね~。二月ってとこかしらね」
固まった私を余所に、何気なく交わされたその会話の中に、聞き過ごせない
「目的額? 何の話ですか?」
私の問いかけに、ミソノ様とレンタロウ様はきょとんと顔を見合わせた。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「なかったんじゃない?」
「……あの、今度はどんな悪行を働くつもりでしょうか」
この悪党たちに資金力まで加わってしまっては、どんな恐ろしいことになるのか想像もつかない。
しかし、私の不安を余所に、ミソノ様の答えは至極呆気なく、また、全く意外なものであった。
「亡命したいのよ、私たち」
「亡命?」
「ええ。ハーフルバフあたりが妥当かなと思ってるんだけど。国境超えるときの袖の下用と、向こう着いてから定収得るまでの繋ぎにね。まとまったお金が必要なの」
その予想外の答えに、一瞬思考が停止してしまった。
この連中、てっきり帝都での暮らしに根を張るものだとばかり思っていたのだ。
しかし。
そうか、この国を出るつもりなのか。
なるほどなるほど……。
「そうですね。ハーフルバフでしたら、比較的国境の情勢も安定してますし、特段の問題もないでしょう。二か月後でしたら雪の降り始める直前ですので流通も少なくないですから、商隊に紛れるというのはどうでしょうか」
「ウキウキしてんじゃないわよ」
「しておりませんが?」
失礼な。
人の好意をもう少し素直に受け止められないものだろうか。
「ちなみに、理由をお伺いしても?」
「え? だって――」
二か月後。
帝国への恭順を拒むゴイル侯爵に対し、征伐隊が編成された。
トラバーユ領へ向け遠征に向かった騎士隊が目撃したのは、領主の城にはためく、隣国グリフィンドルの国旗。
事態の把握に遅れ混乱する騎士隊は、グリフィンドルの国軍によって壊滅。
そのまま、グリフィンドルは我が国に対し正式に宣戦を布告した。
王宮にてその報せを受け取った私の脳裏には、あの日ミソノ様が発した言葉が、呪いのごとくにこだましていた。
『――だって、この国、もうじき滅びるじゃない』
第三部『詐欺にご用心』 了
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